ソニーのAMステレオ対応ラジオ SRF-M100の修理 [ラジオ]
2023年12月17日の日記
ちゃんと,AMステレオのインジケータも点灯しています
ソニーが国内で最初に発売した,AMステレオ対応ポータブルラジオのSRF-M100を持っています。
確か,1992年3月,日本でAMステレオ放送が始まったとき,最初のAMステレオ対応ラジオだったと記憶しています。wikiを見るとアイワのCSD-SR80の方が早いようですが,こちらはラジカセですね。ちょっと,iruchanはこちらは覚えていません。
まだ,iruchanも愛用している,SRF-AX51Vなどは確か,もう少し後だったように思います。
AMステレオ放送が始まったけれど,それを聴こうにも,しばらくはSRF-M100しかない時期があったように思います。”ラジオの製作” (懐かし~)でも特集が組まれましたけど,リファレンスはやはりこのラジオでした。
iruchanは速攻でこのラジオを買って,と思っていたのですが,当時,秋葉原にあった石丸電気(こっちも懐かし~~)で買ったらしく,1999年の日付の入った石丸電気のハンコが押してありました。
石丸電気は電気製品だけでなく,輸入CDを買いによく行きました。どうもありがとうございました。
それにしてもどうしてこんなに遅かったのだろう......
しかも,買っただけで,そのまま保管していました。普段,聴くのは,もっぱら,モトローラのMC13020Pを使った自作チューナーでした。
やはり,ちょっと妙に大きいのと,PLLシンセサイザチューナというのがどうにも気に入らなかったのだ,と思います。
東京,大阪,札幌,福岡などの局はプリセットしてあり,こういう大都市に住む人には便利なラジオなのでしょうけど,iruchanみたいに田舎に住んでいるといちいち,近所の局を登録しないといけない,というのが面倒だし,どうにも反体制派なので,こういう大都市優遇みたいなラジオが気に入らなかったのだ,と思います。
でも,そろそろAMステレオどころか,AM放送自体が終わりが見えてきたので,それこそ30年ぶりに取り出して楽しんでいます。ただ,iruchanはこのラジオ,SRF-AX51Vなどの方が好きで,持ってはいましたが,ほとんど使わず,新品箱入りの状態でずっと保管していました。
やはりいいラジオですね~~。
音質もよいし,非常に高感度だし,ポータブルラジオの最高峰のひとつ,なんではないでしょうか。
実際,オークションなどでも高いし,新品に近いものだと1万円を超えますね。
ということなんですけど,このラジオには困った病気があるんですね......。
内部の電解コンデンサが液漏れして音が出ない,という症状が出るようです。
幸い,iruchanの持っているのはほとんど使っていなかったせいなのか,それとも,対策品だったのか,なんの問題もなく,ちゃんと音が出ます。
と言うことなんですけど,せっかく,新品同様のものを持っているのでこちらは保存用とし,普段用でいまさらながら,もう1台,オークションでジャンク品を購入しました。
ジャンク扱いとのことなので,やはり,音が出ません......
ということだったのですが,チェックしてみると,まったく音が出ないわけではなく,静かな部屋に持っていったら,かすかに音が出ている状況です。
これ,まずはおそらく出力に使われている電解コンデンサが容量減になって音が小さい状況,と思います。
その昔,トランジスタラジオがまだ6石スーパーだった頃,よくあった現象ですね。
6石スーパーだとOTLじゃなく,OPTを使っているので,出力コンデンサはないですけど,段間のカップリングの電解コンデンサが容量減になって音が小さくなってしまうんですね。
SRF-M100はパワーアンプICを使っているはずですが,単電源のアンプでは,BTLアンプでもなければ必ず,直流カット用のストッピング(出力)コンデンサが必要です。真空管のOTLアンプと同じですね。
この場合,スピーカーのインピーダンスが低いので,大容量の電解コンが必要で,SRF-M100も470μFが使われています。これが容量減となっていることが予想されます。
しかし,まあ,1990年代だし,電解コンデンサの容量減というのは普通,優秀な日本製電解コンならそれほど心配しなくてもよい,と思うのですけどね.....。
このラジオの病気はすでに有名で,いろんな先輩諸氏が治療しておられるので,参考にさせていただきました。
要は,この時代,電解コンは低ESR品が開発されたばかりで,封止材との相性が悪く,その電解液が外へ漏れて容量減となるばかりでなく,どうもひどい場合はアルカリ性の電解液のせいでプリント基板のパターンを腐らせて断線させてしまうようです。
いわゆる電解コンデンサの四級塩問題ですね~
第四級塩化アンモニウム塩溶液を内部の電解液として使用していた時代があり,最近の製品は使用していませんし,発熱のひどいコンピュータ用などは固体電解に変わってきているので,問題は減っていると思います。
☆四級塩電解コンデンサの交換
SRF-M100で使用されている電解コンデンサは時代的に電解液に四級塩電解液を使用しているようです。他にもソニーに限らず,四級塩電解コンデンサを使っている製品が80年代末~90年代には多いようなので,注意が必要です。
iruchanが買ったSRF-M100がなんの問題もないのは,おそらく,買ったのが遅かったので,すでにこの問題の対策が取られていて,四級塩電解コンデンサを使用していなかったためではないか,と思います。
実際,実はSRF-M100は2種類あって,前期型と後期型に分かれるようなのですが,iruchanが買ったのは後期型で,今回,オークションで落札したのはやはり,前期型でした。
ひょっとして,後期型はコンデンサは対策済なのかもしれませんが,未確認です。iruchanが買ったのは1999年なので,その頃にはこの問題は広く電機業界では認識されていたので,対策がされていたのかもしれません。
なお,前期,後期の違いはソフトケースの違いと,本体は側面のVOLUMEとPHONESの表記がシルク印刷(前期)か,モールド(後期)か,の違いのようです(一番下に写真を載せました)。
以前,オイルコンやペーパーコンのリークについて書きましたけど,これも封止処理が悪く,封止材として使われているゴムが劣化して内部に水分が侵入して絶縁が低下するのですが,この電解コンデンサの場合も同様で,どうも電極引き出し部分から電解液が漏れてしまう,ようです。
ついでですけど,古いラックスの真空管アンプなど,日本製のオイルコンが使われている場合はすぐにフィルムコンデンサに交換してください。音が悪くなるばかりでなく,出力管が昇天したり,OPTが断線する原因になります。
と言う次第で,問題の電解コンデンサを交換したい,と思います。
さて,取り替えないといけないのは,220μFと470μFのコンデンサです。場所は▼です。
C26,C65の220μFのコンデンサとC64とC53 の470μFコンデンサを交換します。
C65が出力コンデンサで,これが容量減となると音が小さくなります。C53も重要で,これは電源のフィルタコンデンサですが,これが容量減となったり,液漏れしてリークするようになるとVccが低下して音が小さくなったり,最悪,ラジオ全体が動作しなくなります。
C26とC64はデカップリングコンデンサですね。真空管アンプでおなじみだと思います。フィルタと同時に,低周波増幅段が電源を介して結合し,低周波で発振するのを防ぐ目的があります。
半導体のアンプだと全段直結が当たり前なので,普通は0.1μFくらいで,これは高周波ノイズを低減するためのパスコンです。
しかし,なんでこんな大容量なのか.....。
真空管アンプなど,デカップリングのほか,AC電源を使う回路だとリップル低減のフィルタ目的のため,数十μF~数百μFにしますけど,デカップリングが目的なら,WEのアンプみたいにほんの数μFでOKのはずです。
このラジオは電池が電源だし,そんなに大容量は必要ないと思うんですけどね.....。
なお,回路図は国内モデルと海外モデルで異なり,ネット上で入手可能な回路図は海外モデルで,ソニーの場合はAEP modelと書いてあります。アジア,欧州,太平洋地域を意味しています。
残念ながら,仕向地がAEPのモデルの場合,AMステレオ非対応なので,回路は異なります。ピンクで書いている部品は海外モデルの部品番号です。国内モデルと基板上の部品番号が違うので,ご注意ください。iruchanは国内版の回路を持っているんですが,出力部分が欠落していて,海外版から借用して修正しましたが,ちょっと違うかもしれません。
まずは分解します。
背面にねじが4個所と,電池箱の中に1個,ねじがあるので,それらを外します。
電池箱の左右に,ツメがありますので,マイナスドライバーを突っ込んでツメを外せば,簡単にフタが外れます。
ところが......。
何かクサい
四級塩の電解液の臭いでしょうか.....酸っぱい,酢みたいな臭いがします。
基板もねじで留まっていますので,ねじを外し,▲のフレキケーブルを外せば,基板を取り出せます。
オレンジで記載した電解コンデンサを交換します。
幸い,基板パターンへの影響は少なく,スルーホール部分もきれいでした
この部分が腐食してパターンが消えているとちょっと削ってパターンを復活させる必要があります。
470μFは液漏れした跡があります。220μFも底部になにやら黄色い物質が付着しています。メーカは違うので,電解液も少し違う感じです。
それに,負極側がリークする,と言う話でしたけど,一番右の470μFは正極側からリークしているようですし,▼のパターンが断線する個所も,正極側です。
一番左は正常だったようで,▼のチェッカーで400μFくらいの数値を示しましたが,問題を起こすのが予想されるので交換します。
案の定,中国製の部品チェッカーでテストしてみると,そもそも,コンデンサじゃなくて,ものがなんなのか,判断つかないようです。ちなみに確認のため,正常なコンデンサを挿すとちゃんと470μFとか表示しました。
なお,iruchanのは問題なかったですが,液漏れがひどいものはパターンまで腐食し,パターンが断線し,そもそも電源がきちんと供給されない,と言う場合もあるようです。
左側の2個所はもともと導通していますので,右側のQ10のデュアルTr XN4608の#3ピンとの導通を確認してください。右上に拡大図を載せておきました。
もし,この間の導通がない場合,こちらのように,ジュンフロン電線で接続するとOKです。
ただ,どうにもそのXN4608の周辺がきたない......
液漏れした電解液が付着しているのか,XN4608のピンや基板が茶色く変色しているし,何かが付着して,ちょっと盛り上がっている感じです。ヤッバ~~。
一応,アルコールできれいに拭いておきました。
これ,松下製の高PcのPNPと小信号用NPNのTrを1個ずつ内蔵したデュアルTrのようです。本機はタイマーがついているし,マイコンで電源をon,offしているのですが,このQ10で電源を制御しています。
まったく音が出ない,と言う場合はC53 470μFとPNP Trのエミッタをつなぐ▲の写真の裏側にあるパターンが断線してしまって電源を供給していない場合のようです。先ほどの回路図で×とあるところです。その場合はジャンパー線で接続してください。
さて,交換するコンデンサですが,結構,難航しました。
というのはこういう背の低いロープロファイルと呼ばれる電解コンデンサはもはや消滅寸前のようです。部品箱を探したら何個か出てきて,220μFは別メーカのを見つけました。昔,どこかで買ったようです。小型なので,いいコンデンサだと思うんですけどね......。
まあ,そもそもアキシャルリードの部品自体,そろそろ半導体でも抵抗でも,どれもやばい状況なので,しかたないのかもしれませんが......。
とりあえず,なんとか220μFはニチコンのオーディオ用MWシリーズが現行品のようで,秋月で入手可能でした。耐圧が10Vなので,ちょっと大きい(φ8mm×5mm)ですけどね.....。
で,問題は470μF。こちらはいいものがありません。
しかたないので,表面実装用のものが小さなリード線がついているので,それを利用しようか,とも思ったのですけれど.....。
残念ながら,耐圧が6.3V~25V品は全部高さが同じで,10.2mmもあって高杉晋作!
表面実装でこれか? って気がします。
しかたないので,ちょっと値段が高いんですけど,導電性高分子固体電解コンデンサはどうか,と思うと,秋月で売っているPanasonicのは高さ13mmもあります!
千石電商で日本ケミコン製の固体電解を売っていたのでそちらにしました。日ケミのSPCシリーズの6.3V,470μFは大きさがφ6.3mm×8mmで小さいので,こちらにしました。
中央の2個が,問題の四級塩電解コンデンサで,両側が交換用です。
これでようやくコンデンサが交換できました。
☆セラミックフィルタの交換
次に,いつもやることなんですけど,セラミックフィルタを交換したいと思います。
SRF-M100に使われているセラミックフィルタの型番が不明ですが,表記を見ると450Gという文字が見えますので,帯域4.5kHz品と思われます。
まあ,日本だと9kHz間隔で置局されていますので,妥当な帯域か,とは思うのですけどね......。
AMステレオ用に販売された,SFG-450Dの手持ちがまだあるので,交換したい,と思います。これは帯域幅10kHzなので,非常にHiFiです。前回,SRF-A300を改造するときにも使いました。
左:オリジナル,右:SFG-450D
残念ながら,ソニーのサービスマニュアルにも,CF2: FILTER, CERAMICとあるだけで,部品メーカの型番がありません。おまけにどういうわけか,黒いオリジナルの方は4本足です。
ムラタのカタログを見ると,たぶん,CFULA450と思います。足が多いのはGNDが2本あるため,のようです。
ちょっとサイズも大きいし,ピン配置も違うので,苦労しましたが,なんとかSFG-450Dに交換できました
☆ ☆ ☆
こうやって,仮組みして電池をつないでみると大音量で鳴るので,修理完了のようです。
外観は割にきれいですし,普段使うSRF-M100として愛用させていただきます。
2023年12月27日追記
残念ながら,セラミックフィルタの交換はやはりやり過ぎだったようです
というのも,帯域が広くなりすぎ,近隣の局だとひとつ上や,下のチャンネル(±9kHz)でもほとんど音質劣化なく,聞こえてしまいます。
SRF-A300などではこんなことはないんですけどね.....。
ひどい場合,微弱局だと隣接チャンネルの局の方に同調しちゃって本来の局が聞こえません
これ,原因はSRF-M100はバリキャップチューニングだから,ですね。
SRF-A300はバリコン式なので,フロントエンドでも帯域が決まっちゃうのですが,バリキャップはQが低く,帯域幅が広くなり過ぎちゃったのですね。
バリコンだと中波帯はQが100~200くらいはあるので,セラミックフィルタで広くしても意味がないくらいで,SRF-A300などではQダンプのため,直列に抵抗を入れていますが,SRF-M100ではセラミックフィルタの交換はしない方がよさそうです。
と言う次第で,元に戻すか思案中......です。
近隣局だとものすごくHiFiに聞こえる,と言うメリットはあるのですけど.....。
☆ ☆ ☆
iruchanが1999年に買ったのは後期型でした。ちょっと写真をお見せします。
今回,修理したのは前期型です。VOLUMEとPHONESがモールドになったのが後期型です。他にも,ソフトケースの形状が違うそうですが,前期型は本体のみなので,ケースがありません
さよならAMラジオ~送信所めぐり~その9:ラジオNikkei長柄送信所, ニッポン放送木更津送信所 [ラジオ]
2023年12月16日の日記
前回,三河地方の送信所を訪ねましたが,今日はいよいよ,ニッポン放送の木更津送信所を訪ねます。ここはiruchanにとっては,やはり一番の聖地です。
何より,オールナイトニッポンを中坊の頃から聴いていますし,設備も立派で,ぜひ,一度,訪れてみたい,と思っていました。
iruchanが中坊の頃,ラジオの深夜放送をみんな聴いていて,iruchanも小さな松下の6石スーパーで聴いていました。
こんなラジオでしたけど,ニッポン放送は強く,北陸の田舎でも夜になると聴くことができ,たまに聴いていました。
たまに.....と言うのは当時はオールナイトニッポンは夜,1時スタートだったからで,さすがにこんな遅くまで起きていることはないし,でも,宇宙戦艦ヤマトの特集があったのは今も覚えていて,ちゃんと起きて聴いていたりしました。
と言うこともあり,iruchanが中坊の頃は本当に木更津のニッポン放送を受信しないと聴けなかったので,昔から憧れていました。
それに,「東京有楽町のニッポン放送からお届けします......」ってアナウンスもなんか田舎の中学生にはものすごく刺激的で,かっこよくて,しかも,ちょっと挑発的な感じもして,「ゆうらくちょうってどんなとこだろう」,と憧れた記憶があります。
大人になって,有楽町へ行ってこんな雑然としたところだったのか,ってがっかり.....でしたけどね。
☆ラジオNikkei長柄送信所
木更津送信所へ行くついで(失礼!)に,もう1ヶ所,どこかへ回りたい,と思ったのですが,千葉県って,AM局の送信所はニッポン放送だけ,なんですね~~
ちょっとビックリ
FMやデジタルTVの中継局はたくさんあるんですが,そんなの興味ないし,AM局は残念ながら,ニッポン放送だけです。
NHKは久喜の 総本山 から 布教 発信しているだけだし,民放各局も中継局は設置していません。房総半島の太平洋側,鴨川や勝浦などでは問題なく聴取できるのでしょうか.....。
ちょっとこれじゃ,時間がもったいないのでどこかほかに見に行くところはないか,と思ったらラジオNikkeiの長柄送信所があるじゃ,ないですくゎぁ~~
諸先輩の中には,私的にここはラジオたんぱです,って書いておられる方がいらっしゃいましたが,iruchan的には日本短波放送なんですけどね..... この前,行ったラジオ日本だって,iruchan的にはラジオ関東なんですけどね.....。
ここ,日本じゃ,3ヶ所しかない,短波の送信所ですし,短波の送信所を見るのも初めてなので,一度,見ておこう,と思いました。短波の送信所はラジオNikkeiの送信所だと,あとは根室送信所ですし,ほかにはKDDIの八俣送信所しかありません。さすがに根室は遠いな~。
でも,調べてみてまたビックリ。
首都圏だというのに,ここ,行くのは本当に大変です
茂原駅か,八幡宿駅からバスが出ていますが,本当に少ない。
どちらも,ロングウッドステーションというショッピンセンター跡にできたイベント施設行きのバスで,当然,行きが午前,帰りが午後,と言うダイヤだし,どういうわけか,そういう施設行きのバスなのに,土,日は本数が減るので,送信所を訪問するには不便です。
茂原駅7:25発のバスで行きました。車内は数人のお客さんがいるだけ。ロングウッドステーション行きと言っても,実際は茂原市内か,長柄町まで行く方ばかりだと思います。
長柄送信所へ行くには,六地蔵局前というバス停で降ります。やはりiruchanが最後のお客さんでした.....。
すぐに県道から離れて山の方へ行く道がありますので,うっかり,そこを歩きたくなりますが,送信所へはもっと先の,道の駅ながらを越えたところにあるキャンプ場という看板があるところを右折します。
周りはうっそうとした杉林と竹林で,それこそ熊が出そう~~
ちなみに,九州はツキノワグマは絶滅しましたが,本州でも千葉は熊はいないそうです。というのも,広い関東平野を横切って千葉まで行くことが難しいから,だそうです。
送信所はバス停から歩いて15分くらいの所にあります。
市津湖(しづこ)という1985年完成の長柄ダムの建設でできた,人工湖のそばですが,人工湖のため,一応,周回道路があるようで,一部,遊歩道として開放されていますが,この辺りは湖岸に立ち入ることはできません。崖になった地形だし,湖も急に深くなるので,危険なのでしょう。
周囲は別荘やキャンプ場もあり,それなりに人が住んでいるところですし,そもそも,送信所自体,中波の送信所だとたいてい無人ですが,ここは有人の施設で,24時間体制で設備が維持されているようです。
ここで1時間ほど写真を撮って,先ほどのバス停から,10:28発の1日3本しかない労災病院行きのバス⇒八幡宿駅東口行きバスと乗り継いで八幡宿駅に出ました。一応,房総半島縦断しました.......。
幸い,六地蔵局前のバス停そばに道の駅ながらがありますので,お土産を買って,少し休憩しました。新鮮な野菜,お弁当,お菓子など,たくさん売られていて,開店早々,とても賑わっていました。お土産に大きなさつまいもを買って帰りましたけど,ものすごくホクホクの美味しいさつまいもで,嫁はんが喜びました
送信所は本当に重厚な設備でした。
1969年2月に,戸田送信所から移転しています。TBSの戸田送信所から東へ3kmほど行ったところにありました。
国土地理院の地図・空中写真閲覧サービスで探しました。
残念ながら,1/25000地図には鉄塔の記号がありません。同じ時代のTBSの戸田送信所には鉄塔の記号があるのですけどね。
河童さんのQSLカードを見ると,鉄塔高さは20mしかなかったようなので,記載していないのかもしれません。
短波の送信所なので,当時の写真を見ると4本の鉄塔が並んで,やはりダイポールアンテナが5面,設置してあったようです。所在地は埼玉県北足立郡戸田町大字下戸田3689番地でした。
長柄送信所の鉄塔はあわせて5本あるようです。局舎をはさんで南と北に1組ずつ鉄塔があり,2系統の電波を送信しています。どちらが第1で,どちらが第2か,また,どちらがどの周波数で送信しているのか,ちょっとわかりません。
南側の1本にはSTL用のパラボラアンテナがついていました。現在は光回線で中継しているらしく,このパラボラアンテナは予備だと思います。
ただ,それにしても山の中で全体が見えない,と言うこともありますが,本当に全体がどうなっているのか,よくわかりません。
普通,短波の送信所は八俣送信所みたいに平地に作るもの,と思いますけどね。
短波だとダイポールアンテナ(T型アンテナ)にすることが多く,両端に大きな鉄塔を建て,真ん中で地上に降ろして給電する,と言うタイプが多いのですが,ここも同じです。給電点にも電柱が建っているし,とてもややこしいです。特に,北側の1系統は給電点までの距離が長く,延々と電柱でリード線がのびています。
北側はどうにも水平に張ってあるはずのリード線が地形に合わせて沈んでいるし,T型じゃなく,Y型アンテナみたいになっているようです。リード線は水平に張る必要はないのでしょうか。
それに,ラジオNikkeiはかつては7波あったこともあり,アンテナは指向性6面,無指向性が2基という具合で,複雑です。
空調装置が轟音をたてていました。送信機はNEC製で,出力部は4CX50000Aなどで,真空管のようです
▲のように,北側の鉄塔には給電点まで,延々とリード線がのびていて,これも2系統あるようです。
この局舎の左側(東)に1本,無指向性の支線式アンテナが建っているようなのですが,写真を撮ることはできませんでした。googleの空中写真で見えますけど,木が邪魔して撮影できません。
銘板
残念ながら,局舎は奥まったところにあり,うまく撮れませんでした。
ところで,ここ,ダムの完成は1985年と書きましたが,送信所の移転は1969年なので,周囲が水没する前の状況はどんなだったのでしょうか。
1975年1月 1988年10月
やはり5本の鉄塔が見えます。こんな風に周囲が変わっちゃったんですね。
それにそもそも,どうしてこんな山の中なのか......。
武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律(国民保護法)の指定機関ともなっているからか,という気がしますが.....。
でも,その法律はここの建設よりずっと後にできていますしね。
武力攻撃を受けた際に優先的に防護すべき施設,と言うことなんでしょうね。
第3次世界大戦で北半球が壊滅し,死の灰が降って生きている人はいないはずの日本の房総半島付近から,かすかに短波で音楽が流れて来るのを,オーストラリアの傍受施設が気がつく.......。
ってネヴィル・シュートの "渚にて" みたいなことになるんじゃないでしょうか.......
☆ニッポン放送木更津送信所
ここは指向性を持たせてあり,手前から,主塔の奥に副塔,主塔の左にSTL用鉄塔が見えます。
八幡宿の駅から内房線に乗り,木更津で久留里線に乗り換えて東清川が最寄り駅です。駅から1kmほど北に歩くと送信所がありますし,木更津を出るとアンテナが見えてくるので,行くことは容易だと思います。
途中,五井駅で途中下車。
お目当ては五井駅の駅弁です
小湊鉄道との連絡通路で,販売しています。
以前,小湊鉄道へ行ったときに見つけたので買っておけばよかったのですが,そのときはお腹いっぱいだったので,買わず,とても後悔してます。
ここは地元の膳料理やり田さんが販売している駅弁で,とても安くて美味しそうでしたので,次回,行ったときに買おう,と思っていました。
ところが......。
やはりコロナ禍のせいと,先日の水害で小湊鉄道が不通になった影響か,11月28日から年内一杯,休業とのこと。
本当に残念です。手作りの美味しそうなお弁当がたくさん並んでいたので,ぜひ,再開をお願いします。
JR東日本から来た,キハ40もいましたが,レトロな旧型気動車がとてもいい感じです。
9月の台風13号の被害で,月崎~上総中野間が不通になっていましたが,12月から土,休日を中心として全線運転再開しました。しかし,まだ全面復旧という訳ではなく,工事のため,まだしばらく区間運休がつづくようです。工事関係の皆様に感謝したいと思います。
と言う次第ですけど,こちらもお腹が空いてきたので,今度は東清川駅前の大衆食堂とみさんで食事。
最初は五井駅の駅弁をお土産にし,昼はここで食べて,駅弁は夜にしよう,と思っていたんですけどね。
こちらの食堂もすごかったです。ハンバーグ定食を頼んだら,普通の3倍はあろうかという巨大なハンバーグ
とても美味しくいただきました。ニッポン放送の送信所を訪れるときはここで食事するとよいと思います。本当に木更津はよいところですね。
さて,送信所ですが,ほぼ南北に主塔と副塔が並んでいて,高さはそれぞれ120mと60mで,双給電および単給電の両方に対応しているそうです。出力100kW,1242kHzで送信しています。
1971年6月に,足立区六月町から移転しました。現在は予備送信所となっています。この送信所については,こちらをご覧ください。
敷地はとても広く,大部分,太陽光電池パネルが設置されていて,CBCの長島送信所と似た感じです。また,長島送信所同様,局舎はスタジオが設けてあるらしく,かなり大きな建物です。
天気もよく,小櫃川を渡る橋からきれいな写真が撮れました。
主塔も副塔も,どちらもトラス構造です。主塔には容量環はなく,てっぺんには航空障害灯のランプが見えます。
障害灯に給電するオースチントランスが見えますね。
それにしてもコンクリートの土台が低いです。長島送信所は5mくらいはありそうでしたけど。
小櫃川の橋梁には水位計がついているのに気づきましたので,氾濫する可能性がありそうです。そういえば,小櫃川は利根川に次いで千葉県内では2番目に長い川,だそうです。
副塔にも給電できるよう,整合器が設置されています。
残念ながら,ここから道が局舎まで延びているんですが,途中で曲がっているため,局舎正面の写真は撮れません。
現在は光回線で中継しているはずですので,60MHzVHF帯用の八木アンテナが見えますが,予備だと思います。
残念ながら,たくさんこの看板があったのですが,どれも色あせていました......
かと思ったら,全面的にこのフェンスを交換している様子。工事の方がいらっしゃいました。フェンスはとてもきれいになっていました。
ところで,この送信所,敷地が丸くなっていますし,googleマップを見ると道路も丸く湾曲しています。
どうもヘンだな,と思ったら,ここは小櫃川が蛇行していたところで,捷水路工事といいますが,川の流れを直線化した工事の跡地なんですね。
元は川底なので,湿っていて,送信所としては最適の土地だったのでしょう。
1947年2月 1975年1月
建設前の1947年に米軍が撮影した写真では小櫃川はもっと北側を流れていました。現在の本流地点は何か工事が始まっているようですね。
送信所建設後を見るとすでに鉄塔が3本建っています。
☆ ☆ ☆
ようやく長年ずっと行きたいと思っていた,木更津送信所を訪ねることができ,とてもうれしいです。それこそ,iruchanが中学生の頃からですから......。
美味しいお食事もいただいたし,楽しく帰宅しました。
ニッポン放送からQSLカードをいただきました。
あの送信所から電波が届いているのか,と思うとこんなにうれしいことはなく,感慨無量です。
2024年4月1日追記
ニッポン放送がとうとう,昨日をもってAMステレオ放送を止めちゃいました。
詳しくはこちらに書きました。
文化放送が止めてからも10年以上,AMステレオを続けてくださいまして,ありがとうございました。
また,ベリカードの発送も昨日で終わり,のようです。
▲のように,AM Stereoと書いてあるから,だったのか......という気もします。
iruchanは10年前にもカードをいただいているので,よかったですが,すでに新潟放送,北日本放送,北陸放送の3局がカードの発送を中止していますし,大手のニッポン放送が止めちゃうと,追随する局が出てきそうで,ちょっと心配です。
せめて,AM放送の廃止まで続けてください。
ソニーFM/ラジオNIKKEI/AMポータブルラジオ ICF-EX5の改造~その3:バックライト,周波数カウンタ~ [ラジオ]
2023年12月3日の日記
ただいま,ニッポン放送を遠距離受信中!
周波数カウンタつけました。バックライトも点灯して見やすいです。ノイズも出ません。
前回,ソニーのICF-EX5にバックライトをつけました。
今回,周波数カウンタを接続できるようにしたい,と思います。
☆局発信号の取り出し
ICF-EX5はスーパーのラジオなので,局発の周波数を外へ引っ張ってきて,周波数カウンタでIF分だけ,周波数を引いた周波数を表示すればよいです。
と言う次第で,まずは局発の信号を取り出して端子を設けておきます。
まず,回路を検討しないといけませんが.......。
残念ながら,ICF-EX5の全回路図は未入手です。
輸出モデルだと,海外の修理業者に配布したサービスマニュアルがネットに流出して入手可能だったりしますが,ICF-EX5は国内モデルのみのため,見つかりません。
それで,とりあえず,使用されているICを調べて考えます。
iruchanのICF-EX5は三洋のLA1205を使っていました。
それなら,簡単と思っちゃったんですが......
ちなみに,ICF-EX5は1985年発売で,2009年にMk2となっていますが,2018年に製造中止されるまで,LA1205を使っているようです。また,ちなみに低周波出力は三洋のLA4550を使っているようです。
ただ,どうもMk2となる前の2001年にモデルチェンジされているらしく,内部の回路はこれ以前と後で違うようです。
Mk2は,アナログTVが終了し,FMの上に1, 2, 3とアナログTVの音声チャンネルが表示されていたのをやめたり,NSB1,NSB2とあったのをラジオNikkeiとしたり,AM KOBEとあったのをラジオ関西としたり,いくつかダイヤル表示を修正しただけ,のようで,内部は変わっていないそうです。
iruchanのは初代の後期モデル,と言うことだと思います。本当に? 初代のモデルがどういうICを使っていたかは,不明ですけど.....。
そもそも,LA1205自体,とても古いICですし,ともかく,三洋自体,もう,ないのですから......。
半導体部門は2011年にオンセミに売却されています。この年,三洋電機は上場廃止となっています
半導体は,特にラジオ用の高性能ICを作っていて,ソニーだけじゃなく,トリオなどもたくさん使用していたのですけどね。東芝のラジオICより高性能なものが多く,一度,三洋のラジオICを使ってラジオを自作してみようか,なんて思っています。
ひょっとして,ICF-EX5の製造が終了されたのは,LA1205などの三洋製半導体の在庫がなくなったから,かもしれません。本当にどちらも残念です。
さて,使っているICがわかれば,大体,ラジオの回路は判明します。
データシートも簡単に入手できました。
ところが......。
あとで,ある方面から回路図を一部,入手できたのですが......。
なんと,驚いたことにICF-EX5はAM部はディスクリートになっています
もちろん,LA1205はAMフロントエンドがついているので,これを使えばいいはずなんですが,FM部のみ使用し,AMフロントエンドはディスクリートになっていて,RFアンプ,局発ともに,ICを使わず,FET,バイポーラTrの混成回路になっています。
RFアンプもついているので,どおりで高性能なわけです。
ディスクリートの他励式コンバータでIFを作り,その後,同期検波の基板に入力されています。同期検波のICはソニーのCX857ではないか,と思いますが,確認していません。
結局,振り出しに戻って,なんとか局発コイルを見つけて,そこから取り出すことになりました。
簡単には,局発コイルの1次側(バリコン側)から取ればいいですが,こちらはパラに引出し配線の容量分が加わるので,NGで,できれば避けた方がよいです。
Trラジオ用の局発コイルは2次側コイルを持っていますので,ここ→に小容量のコンデンサをつないで接続すると影響が少ないです。
真空管ラジオだと日本製ラジオは局発コイルは2次側がないので,しかたなくバリコン側から取り出さざるを得ないことが多いですけどね。エナメル線で数ターン,コイルを巻いて,そこから取り出したりしてもよいです。
さて,現実のICF-EX5で,局発コイルを探します。バリコンのすぐ近くにあるはずです。基板を見ると,ソニーの部品番号はL5のようです。
局発はコイル2次側から取り出しました。
難しいのがGNDで,ヘタに基板上から取ると電源SWと連動しないので,ご注意ください。電源のスライドSWの中点に接続しました。
こうして,ラジオの外に取り出せるようにしました。
下に,バックライト用のタクトSWが顔を出しています。目立たなくていいでしょ
☆周波数カウンタ
次は周波数カウンタを準備します。
昔だと三菱のM54821とか,沖電気がMSM5523とか,こういうカウンタICを発売していて,自作しましたし,iruchanも実際,何個か持っているので自作してもいいんですけど.....。
やっぱ,デジタルICの自作はめんどくさい。
それに,何より,国内でも,Ali Expressとかでも,こういうラジオ用の周波数カウンタキットや完成品を売っているので.....。
今回,Aliで昔,買った,周波数カウンタを使います。
驚いたことに,三洋のLC7265を使っていて,iruchanはこのICは知りませんでした.....
このIC,さらに驚いたことに,スタティック点灯タイプなので,ノイズを発生しません。
よく,7セグメントのLEDはダイナミック点灯と言って,各桁ごとに瞬間的に点灯し,順次,次の桁を点灯する,ダイナミック点灯をやっているのですが,これだとノイズを発生するため,AMラジオの周波数カウンタとしては使いにくく,シールドが必要だったり,かなり面倒です。
と言うことなんですが,このカウンタはノイズを出さず,よいカウンタだと思います。
ただ,本来はAM/FM両用なんですが,FM専用にカスタマイズされちゃっています。
FM用に使う場合,プリスケーラのLB3500とセットになっていて,いったん,周波数を1/8にしてから接続します。AMは必要ありません。
時代的には古いICと思いますけど,ネット上には1998年発行のLC7265の規格表が出ていますし,その頃までは現役だったようです。
実を言うと,本来は,Aliで真空管式FMチューナーを売っていて,それ用のカウンタなんですよね。
よく,日本でもいまだに真空管式FMチューナーなんて売っているところがありますけど,それらは低周波部に真空管を使っているだけで,RF部はICを使っています。
こういうの,真空管式FMチューナーって言っていいのでしょうか
Aliのチューナーは逆で,RF部は真空管です。これ,いいな,と思って買いました。さすがに,MPX回路部までは真空管でやっていなくて,東芝のICを使っていますが,これなら,真空管FMチューナーと名乗っても問題ないでしょう。
このチューナーはいずれまた紹介したいと思いますが,そのときに買ったカウンタを流用します。
ところが......,実は散々手こずりました....
というのも,まず,7セグのLEDがなぜか1個だけ,別のがついていて,さすがのチャイナクォリティ~~
しかたないので,秋月で買った7セグLEDに交換しました。使われているのはアノードコモンの7セグLEDです。
次に,AM/FMの切替などの設定には,LC7265の選択ピンをLにするか,Hにするかで,決まるので,簡単,と思ったのですけれど.....。
こういうカウンタICは三菱のも沖のもそうですが,何本かのピンをLにするか,Hにするかで決められます。AM or FMはもちろん,IFがAMだと455kHzか,450kHz,ほかには263kHz(カーラジオ)なんてのも選択できますし,FMだと10.7MHzはほぼ全世界,同じですが,これを足すのか,引くのか,の選択ができます。
日本では,世界のFMと違って,局発は下側ヘテロダインなので,+10.7MHzとします。AMはどこも上側ヘテロダインなので,-455kHzとかなんですけどね。
アナログTVはなくなったし,AMもやめちゃうこともあり,そろそろ,
世界ノ大勢ト帝国ノ現状ニ鑑ミ,非常ノ措置ヲ以テ......
FMのIFを上側ヘテロダインに変えるべき,と思います......なんのこっちゃ。
案の定,Aliで買ったカウンターはFM専用になっていますし,10.7MHzを引くようになっていました。
基板を改造し,まずはAM用にして,さらに,ICF-EX5はIFは450kHzなので,-450kHzを表示するようにします。
LC7265の規格表は簡単に手に入りましたので,上記の設定は簡単にわかりました。
本カウンタはFM設定用の#11~13ピンがすべてL, AM用の#14がH,15ピンはLとなっていました。また,AMか,FMかを決める#20はHとなっていて,FMとなっています。
これらのうち,#11をHとするほか,残りをLとすれば,AM用,IF=450kHz,FMは+10.7MHzと設定することができます。
ジャンパ線をつないでこれらのピンをLにしたりしてみたのですが......。
表示がヘンです。
まったく数字が表示されず,小数点のみ表示されています......
普通,カウンタとして正常に動作しているなら,デタラメな数値を適当に表示するはずです。なにも表示しない,というのはマズいです......。
散々調べたところ,#17ピンがLになってしまい,これはブランク表示(表示しない)のピンなので,こうなっちゃうんですね....。
パターンが#14と#17が共通になっていて,Hにプルアップされているようです。これを,#14ピンをプルダウンしたので,そのまま#17もプルダウンされ,ブランク表示になっちゃったようです.....。
しかたないので,#17ピンだけ基板から外して別途,プルアップしました。
ほかにも,小数点の ● がつきっぱなし
なんで? って思ったら,なんと,小数点はそのままGNDに接続されていて,常時点灯となっていました。
最後に,規格表を読んでいて気がついたのですが,入力レベルが0.5Vp-p以上となっていて,結構大きいです。
ICF-EX5のIF出力は▲のように,100mVrmsくらいだったので,23dB程度,増幅してやらないといけません。
ということで,1石のプリアンプをつけてやります。
簡単に,2SC1815で作ってやりました。
ところが,ちゃんとカウンター表示が変わるんですが,感度が異常に悪い。
LC7265の規格表を見ると,入力電圧は0.5Vp-p以上となっていますが,オシロで見てみると,6Vp-pくらい加えないと,正常な表示をしません......
どうなっとるんや......。
オシロで波形を見てみると,どうも直流オフセットしているらしく,なぜかAM inの#9ピンの電位は2.3Vくらいあります。FM inの方は0V近辺なので,本来ならAM inも0Vのはずです。
だから,6Vp-pくらい入力の振幅がないと動かないんですね。
散々パターンを調べても原因がわかりません。
ほかの方でLC7265を使っておられる方のブログも見ましたが,単にここはプリアンプからコンデンサを介して直結しているだけで,普通は問題はなさそうです。
しかたないので,3.6kΩを介して#9ピンに入力することにしました。こうすると直流分と合成(加算)してくれますので,信号の下限がスレッショルド値以下になって動くはずです。
最初,小数点がつきっぱなしだったので,接続を切り,あとでAM/FM切替時と連動して点灯するようにしたいと思います。
黒字はもとの基板上の配線です。ピンクの部品と配線を追加します。回路はiruchanが読み取った一部分だけです。
ちなみに,FMは1ターンのループアンテナが入力でした。
驚いたことに,Aliの説明を読むと,ラジオに近づけると,局発をとらえて周波数が表示される,とのことです。
実際,テストオシレータで確認できました。
とはいえ,ICF-EX5のように半導体のラジオではムリなようです。
2MHzで27dB程度,ゲインがあります。
☆ ☆ ☆
こうやってようやくソニーのICF-EX5にバックライトと周波数カウンタが接続できるようにしました。
次回,カウンタはちゃんとケースを作ってやりたいと思います。
また,ノイズが出ない,と書いていますが,LC7265自体はノイズを出さないものの,やはり外へ局発を引っ張り出したため,配線に若干,ノイズが乗って,微弱な局だと影響が出ますので,対策します。
これで,待ち受け受信して遠距離の民放AM局を受信したい,と思います
☆ ☆ ☆
2023年12月5日追記
やはり,本体内部にバッファアンプをつけました。
LC7265はスタティック点灯のため,IC自体はノイズを出さなくて,よいICですが,引き出しのケーブルや周辺回路がやはりノイズを拾ってしまいます。
ニッポン放送みたいに強力な局はいいですが,福島放送や信越放送のように遠距離の微小局だとノイズの方が大きく,遠距離受信時には支障します。
そこで,簡単にFET1石でバッファアンプを作り,前回,作った,バックライト用の基板に配線し,ICF-EX5に内蔵しました。
ゲインは6dBほどありました。OSC出力は400mVp-pくらいになりました。
600~700kHz付近で不安定な表示になる現象も消えました。やはりバッファーは必要な感じです。
う~~ん,これだったらプリアンプと一緒にして,2石式のバッファアンプにして本体に内蔵すればよかった,と思わなくもないですけど......
ソニーFM/ラジオNIKKEI/AMポータブルラジオ ICF-EX5の改造~その2:バックライト,周波数カウンタ~ [ラジオ]
2023年11月26日の日記
前回,ソニーのICF-EX5の修理をしました。誤ったACアダプタを挿して,父が生前,壊してしまっていました。
1980年代のソニーの製品はACアダプタの極性がセンターマイナスのものが多いので,くれぐれも気をつけてください。この頃,まだ極性は統一されていなくて,各社バラバラで,その上,センタープラスのものの方が多いので,こういったACアダプタを挿すと確実にこのラジオは壊れます。ご注意ください。
そこで,前回,iruchanはこの修理をするとともに,センターがプラスでもマイナスでも両方のACアダプタが使えるよう,改造しました。
さて,このラジオ,抜群に感度がよいし,選択度も優れているので,中波の遠距離受信(DX)に最適のラジオだと思います。
と書くまでもなく,いろんな人が中波の遠距離受信に使っておられますし,皆さんとても褒めていますね。
iruchanもそろそろAM放送が終了するので,久しぶりにこのラジオを引っ張り出してきて,遠距離受信に活用しています。
となると,いくつか,やっぱりとてもいいラジオだとは思いつつも,少し,不満が出てきました。
最大の不満は周波数カウンタがない,と言うことですね。
それに,せっかくダイヤルにCBCやニッポン放送など,局名が書いてあるのに,どこが正確にその局か,● 印でもつけてくれていればいいのに,それはなく,局名の表示のみです。CBCやTBSくらいならいいんですけど,ニッポン放送なんかだと200kHzくらいの幅があるのではないかと....(爆)。
と言う次第で,やはり周波数カウンタがほしいな,と思います。
もうひとつ。
AMステレオ対応のSRF-A300は暗いんですけど,ダイヤルのバックライトがついています。
ラジオって,ベッドサイドに置いておいて使うことが多いので,バックライトがないと困ります。
SRF-A300は時代的に低輝度のLEDしかない時代だったので,バックライトが暗く,iruchanは最新の高輝度LEDに交換して,よい結果を得ました。
ICF-EX5の場合はそもそもバックライトがついていません。
蛍光灯だとAM受信するときにノイズを出すことがあるので,DX受信をするときは部屋を真っ暗にして受信することがあるので,バックライトがないのは困ります。こういうあたり,BCLラジオなんかいじっていた人はよく覚えておられると思います。
さらに,こちらはあきらめたのですけど.....。
イヤホン端子はモノラル専用で,ch. Lしか聞こえません。
最初,遠距離の放送局を受信したときに録音しておこう,と考えてステレオミニプラグを挿して音を聴いてみたところ,ch. Lしか聞こえません。
てっきり,ケーブルの異常かと交換しても同じで,ようやく,本機はモノラルイヤホン専用なのだ,と気がつきました。
まあ,ch. Lだけ録音したからって言ったって,audacityなんかの音楽編集ソフトで,簡単に両チャンネルモノラルに変換できるのですけれど.....。
ハード的にステレオミニジャックに交換すればいいのですが,こちらはあきらめました。
☆バックライト組み込み
まず,バックライトを組み込みます。
回路としては,一番簡単なのは,単なるスイッチとLEDを接続すればいいだけなんですけど.....。
といって,これだとスイッチが問題で,iruchan的にはトグルSWは論外。邪魔だし,かっこ悪いです。
と言う次第で,プッシュSWにしたいのですが,これも問題。
1回押してon,もう1回押してoffというオルタネートタイプのプッシュSWはどれも大きすぎてかっこ悪い。
小さいのもあるにはあるのですが,基板用のものばかりでパネルに固定できません。
パネル固定タイプはAC100Vがon/offできるもので,ゴツい!
別にこんな回路じゃ,AC100Vをon/offするわけじゃないので,小さなSWで十分です。
困ったな~~
それに,そもそもこういう回路だと,切るのは手動です。
まあ,それでもいいか,とは思ったのですが,SRF-A300のように,何秒かしたら自動的に切れる,と言う風にしたい,と思います。
簡単にはPICで作ればいいか,と思ったのですが,よく考えてみるとPICはクロックを持っているので,AMラジオに内蔵するとノイズを出しそうです。
となると,次の手として,単安定マルチバイブレータの出番か,と思います。
トリガー信号を入力すると一定幅のパルスを出力し,その後,0Vになる回路です。
パルス幅は簡単にCRで決定できるので便利です。
また,SWは単にモーメンタリのSWでいいので,タクトSWで十分です。これだと,ほとんど触れるだけで,一定時間,ライトが点灯する,と言う風にすることが可能です。
と言うことで,タイマーIC555を使って,簡単に単安定マルチを作りました。
時間的には30秒~1分くらい点灯すればいいか,と思いました。
回路は下記の通りです。
最初は▲のように,白色LEDにしましたが,やめにしました。
ICについている,1MΩと33μFのC,Rでパルス幅(点灯時間)が決まります。
最初,4.7MΩを使いましたが,3分25秒も点灯していたので,1MΩにして,点灯時間は40秒としました。点灯時間は自由に変えられるので,ご自分の好みで変更すればよいです。
また,電池の消耗が気になるので,C-MOSのLMC555を使いました。とはいえ,バイポーラタイプのNJM555などでも問題ないと思います。
LEDは前回,SRF-A300で使った台湾Optosupply社の小型のアキシャルリードタイプのLEDを使いました。
ただ,最初,白色のOSW5212411Cを使ったら,暗く,やはりSRF-A300同様,緑色にしました。確かに,白色は5800mcdですが,緑は12000mcdなので,随分明るさが違います。
まあ,それに,ICF-EX5は1980年代の設計なので,白色LEDを使うのはおかしいかも。
このシリーズにはないですけど,φ3mmの電球色LEDにして,ランプみたいにするのもよかったかもしれません。
側面にタクトSWがちょこっと顔を出すだけで,目立たず,よかった,と思います。iruchanは鉄道模型でも極力オリジナルを尊重し,外観が変わる改造はできるだけしないことにしています。
本当言うと,パネルの上部から照らしたいのですが,スライドダイヤルの上の方に同調LEDがついていて,これが邪魔するので,下部から照らすようにしました。工夫すれば,上部から照らせると思いますけど.....。
残念ながら,使用したLEDの照射角が狭すぎたみたいで,パネル全体を照らすわけじゃなくビーム光線みたいな状態になってしまいましたが,まあ,これで夜中でもダイヤルが見えてよいかと思います。40秒ほどで自動的に消えるのもgoodです
バックライト用の電源は+は電池箱から,-は基板上の電源SWから→の場所から取り出しました。ソニーのICF-EX5は電源SWはマイナス側についています。一応,本体の電源SWと連動していて,本体が動作していないときは点灯しないようにしています。
☆ ☆ ☆
次回,周波数カウンタを接続したい,と思います。
☆ ☆ ☆
2023年11月28日追記
まったく朝令暮改ですけど,電球色LEDに交換しました。
ついでに,LEDは4個にして,もっとパネル面が明るく光るようにしました。
iruchanがNゲージで客室内の照明用に使っているのと同じやり方で,φ0.4mmの洋白線に2030サイズのチップLEDをはんだづけしました。悪いんですけど,既製品の室内灯ユニットはどうにも明るさにムラがあり,見ているとイライラするので,こういう分散照明方式に改めました。既製品はどうしても車端部のみLEDがついていて,明るさが均等ではありませんね
ついでに,点灯時間も40秒では短いと思ったので,コンデンサを100μFにして,3倍の2分くらいにしました。
なお,LEDの順方向電圧にはばらつきがあり,特定のLEDに電流が集中したり,他のLEDが点灯しなかったりするので,本当はLEDは並列点灯をしてはいけません。
とはいえ,現実に直列で配線するのは2個までで,特に白色LEDの場合,順方向電圧が2.8Vくらいで,直列に配線すると,ICF-EX5は電池4本なので,電圧低下するとすぐに点灯しなくなってしまいます。
パラで配線すると個別に電流制限抵抗が必要なのですが.....配線が面倒ですよね
さよならAMラジオ~送信所めぐり~その8:東海ラジオ新城中継局,CBC豊橋送信所,NHK豊橋放送局 [ラジオ]
2023年11月25日の日記
今日は愛知県三河地方の送信所を訪ねました。前回は尾張地方を制覇しました。今回はいずれも中継局,と言う位置づけの送信所です。
尾張の人は名古屋があるので,自分の方が三河より格上,と思っていて,まあ,尾張と三河の関係は東京と埼玉の関係のようなもの,と思いますが.....。
かといって,三河の人は
家康様は三河だら,トヨタ様も三河だら~。
って訳で,こっちが一番,と思っているのが普通です
iruchanは名古屋周辺で暮らしたことが長かったので,名古屋弁と三河弁の違いはわかります。
確かに,信長は天下を取らなかったし,秀吉は百姓だから論外,トヨタが日本のGDPの何十パーセントかは稼いでいるし,トヨタがつぶれたら日本は尾張じゃなかった,終わりなので当然だと思いますが.....。
といって,尾張と三河の境って,境川っていう,小さな川(またまた失礼!)で分かれているだけで,まあ,荒川や木曽川ぐらいの大きな川が境目ならともかく,境川は幅が数mくらいしかない小さな川で,教えてもらわないとわからない,と思います。
まあ,もし,境川が大河だったらさすがに埼玉みたいに県境になっちゃうと思いますけどね。
それに,三河地方って,文化的にやはり同じ愛知県なのに尾張地方と違って異質で,例えば,豊橋駅の土産もちくわだったりお茶だったりして,まるで静岡の駅
愛知県だったらういろうかきしめんだろ~っていつも思うんですけどね.....。
☆ ☆ ☆
まずはしらさぎに乗って名古屋へ。そこから新快速でその境川を新快速で越えて豊橋へ.....。大府と刈谷の間に境川があります。JRになってから,途中に逢妻という駅ができましたが,iruchanは大府のとなりは刈谷です
いつもは新幹線で通るので,そのあたりはかなり狭い川ですが,東海道線が通るところは逢妻川と河川敷が同じで,割に広いです。
豊橋で飯田線に乗り換えて新城駅に着きました。
新城は飯田線で愛知県最後の市になります。ここからはどんどん山深くなり,これからの季節,紅葉がとてもきれいです。飯田線の電車も観光客の人で結構一杯。新城まで立って行きました。
残念ながら,飯田線も豊川までは本数が多いのですが,そこから先は1時間1本なので,注意が必要です。
ここから一度,南に歩いて,市役所を過ぎ,中学校の角を曲がると東海ラジオ新城中継局が見えてきます。山間部が近いので,ラジオが受信しにくく,各局が新城に中継局を設けています。
☆東海ラジオ新城中継局
高さ30mほどの小さな鉄塔なので,市役所前の道からだとなかなか見つけにくいと思います。
どういうわけか,取付道路はきれいに除草してありましたが,柵の中は草ボーボー。
これじゃ,写真がきれいに撮れません。
1991年開設の比較的新しい送信所です。鉄塔高さは34mしかありませんが,折り返しダイポールアンテナを採用したダウンリード式の送信鉄塔です。これは東海ラジオの特許のようです。
周波数は本局と同じ1334kHzで,出力100Wです。
容量環から吊り下げられる格好でリード線がついていて,基部で折り返しています。鉄塔自身は接地されています。
塔高30mほどなのなら,赤白の昼間障害標識塗装をしなくていいはずですが,ちょっとよくわかりません。
よ~く見るとリード線が折り返しされていることがわかります。横に小さな箱があり,送信機や整合コイルが入っているのでしょう。基部は接地されているので,絶縁碍子は入っていません。
なかなか珍しい送信鉄塔で,今度,きれいに草が刈られたときにもう一度,見に行きたいと思います。
ところで,帰ってきてからはつかりがっかり。
なんと,東に1.5kmほど行った豊川の対岸にCBCとNHK共用の中継放送所があるではないですか!
こちらはもっと新しく,2003年の開設のようです。
googleさんは最初,教えてくれなかったので,見に行けませんでした。また,次回です。
☆CBC豊橋送信所
1954年3月開設の中継施設です。
豊橋駅からバスに乗り,商業高校で降りて少し東に歩くと,南に鉄塔が2本見え,右側がCBC,左側が東海ラジオです。向山緑地の北西角にCBCがあり,霊園をはさんで南側に東海ラジオがあります。
ここのコールサインはJOAEで,周波数1485kHz,出力100Wです。
なんと,驚いたことに,休日だというのに除草作業中で,2人の作業の方が作業しておられました。おかげでこちらはきれいに草がなくなっています
特に指向性は持たせていないようで,支線はすべて絶縁されています。てっぺんに航空障害防止灯が見えますね。
整合トランスがすぐ脇にある,と言うのは珍しいですが,ここは丘の上のため,水没する危険がないと思いますが,鉄塔はコンクリの高い土台の上に建っています。
中継もできるよう,内部にスタジオが設けてある,と思います。ゲートにも郵便箱があり,郵便物が届けられるようになっていました。
どうも大変お疲れ様です。ありがとうございます。
南側は向山緑地になっていて,散歩したり休憩したりすることができます。
☆東海ラジオ豊橋放送局
その緑地を斜めに横切って東海ラジオの豊橋放送局を見に行きました。
残念ながら,南側は住宅街が広がり,写真が撮れるのは霊園側から写真が撮れますが,霊園の外に出るには北側にかなり迂回しないといけません。
コールサインはJOSMで,周波数864kHz,出力100Wです。
こちらはきれいに除草してありました。
残念ながら,霊園側からしか写真が撮れませんでしたが,南東側の道路に面して入り口があるようです。ちょっと失敗でした。
☆NHK豊橋放送局花田ラジオ送信所
ここから直線距離で3kmほど離れたところにNHKの送信所があります。残念ながら,豊橋駅をはさんで点対称の位置にあるので行きにくいです。歩くと4kmほどあります。
いったん,豊橋駅へバスで戻り,再度乗り換え,と言うパターンが普通でしょうが,健康のため,歩きました
途中,東海道線を渡ってすぐの野黒町にある,のぐろ亭 さんで美味しいランチをいただきました。
ご夫婦2人で切り盛りしておられる,美味しい洋食屋さんでした。こういうレストランは大好きです。
なにも看板はありません。以前はこの左側に鍋田送信所と同様の看板が立っていたようです。
ど~も,よくわからんのですが,NHKさんはそのような看板の他,ここが送信所であることを示す表示を撤去している感じです。
テロ対策なんでしょうけど,正直,なにも看板がない,というのはいかがなものか.....と。
局舎の扉横にある,大理石の銘板には "日本放送協会 豊橋放送局 花田ラジオ送信所" とあるそうです。
ラジオ第1 JOCQ/1161kHz,第2 JOCZ/1359kHz ともに出力100Wで送信しているようです。
航空障害防止灯用の電源用オースチントランスが見えますね。
なにも配線されていないのですが,かつてはここにリード線を接続し,指向性を持たせていたのではないでしょうか。
周囲が水浸しなのに驚き。アースを取る上では最適でしょう。
☆ ☆ ☆
ちょっと宿題が残っちゃいましたが,また訪れてみたいです。
帰りは豊橋駅で,壺屋の稲荷寿司をお土産に買って帰りました。安くて美味しいので,いつも買って帰ります。
ソニーの海外向けAMステレオ対応ポータブルラジオSRF-42のFMバンド変更 [ラジオ]
2023年11月23日の日記
ソニーはAMステレオ対応ポータブルとして国内ではSRF-AX51Vを発売していましたけど,北米向けポータブルはSRF-A1を1983年に発売した後,1995年に本機を発売しています。どちらも国内向けより非常に大きく,ヘッドホンがバンドタイプで驚きます。当時,すでにソニーはNudeというイヤホンタイプのステレオヘッドホンを発売していましたけど,アメリカではこういうバンドタイプの方が受けるのでしょう。
1991年に米電子工業会(EIA)と全米放送事業者協会(NAB)が策定した,AMラジオ規格AMAXに準拠し,素晴らしく音のよいラジオです。もちろん,ステレオで,バンド幅は家庭用およびカーラジオで7.5kHz,ポータブルラジオで6.5kHzを確保し,ひずみに対してはNRSC-1規格を採用し,ワイドおよびナローの帯域幅変更(自動 or 手動)を備え,かつ,10kHzのホイッスルフィルターを必須とし,AM外部アンテナ接続を可能とすることなどを規定しています。
広帯域ほど,AMの音はよいわけですが,選択度と背反するので,フィルターを規定している,と言うわけです。
SRF-42は帯域幅変更や外部アンテナはついていないのですが,AMAX準拠のマークをつけています。
実際,恐ろしいほど音のよいラジオで,iruchanは今まで,これほど音のよいAMラジオは知りません。
残念ながら,AMAX規格は策定したものの,メーカーはソニー以外はほとんど関心を示さず,ソニー自体もおそらくAMAXに準拠した製品はこれだけではないか,と思います。
それに,放送事業者自体もその後,デジタルラジオにシフトしていくわけで......。
現在は全米の2000局近くがiBiquity社の開発した,IBOCシステムを採用しているようです。中波帯でデジタル放送をすると帯域幅が広くなりすぎ,また,夜間は聞こえないなど,問題が指摘されましたが,普及しているようです。IBOCだとAMはFMなみ,FMはCDなみの音質が再現できるそうで,一度,聴いてみたいです。
と言う次第ですが,日本ではデジタルラジオへ移行することは断念したようなので,アナログが継続しますし,AMステレオはもう風前の灯火ですけど,ポータブルラジオとして使えるので,バンド変更したい,と思います。当然のことながら,FMは88~108MHzとなっていますので。
海外製ラジオのFMバンド変更については,こちらをご参考になさってください。
3個所のねじ→を外し,→部分から広げるようにするとツメが外れて分解できます。
AM用のセラミックフィルタはムラタのSFG-450Fと思います。iruchanがよく使う,SFG-450Dより帯域幅が狭く,±6kHzですが,セット全体として,SRF-A300より音がよい,と思います。
チューナーICはCX20111です。
このL3を縮め,受信最低限を76MHzに近づけます。また,バリコンのトリマCT3をいじって,上限を95MHzにします。
予想どおり,局発のバリコンにパラに15pFをはんだづけするだけで,ほぼ,日本のFMバンドをカバーできました。
ついでに,同じ局発のバリコンについているトリマーを調整し,上限を95MHzくらいとしてワイドFMにも対応させました。
ただ,残念ながら,コイルは一応,縮めてみて下限を77MHzくらいまで調整することができましたが,76MHzギリギリは無理でした。どうも下限はいつもダメで,やはり本来はコイルを作り直すことが必要な感じです。
☆ ☆ ☆
さて,無事にFMバンドも変更できたので,日本のFM局が聴けるようになりました。ワイドFMもOKで,AM局も聞こえます。
SRF-A300同様,デコーダはCXA1758とCXA1657Mです。
AMステレオは完璧で,ニッポン放送やラジオ大阪がきれいにステレオで受信できます。それに,感度も高く,サイズは非常に小さいのに,SRF-A300より感度はよいようです。
さよならAMラジオ~その7:昔々の貴重なQSLカード(ベリカード)~ [ラジオ]
2023年11月1日の日記
今日は,昔のQSLカードを紹介します。いつも大変お世話になっている,河童さんが,お若い頃に集められたもので,それこそ日本の民間放送が開始された,1951年からの素晴らしいコレクションです。
河童さんは三重県在住で,自作の真空管ラジオで受信されたのだと思います。草創期の民間放送のQSLカードは非常に貴重です。あまりにすごいので,ブログでご紹介します。
ちなみに,QSLカードはもとはアマチュア無線家同士が交信の証拠として,相手に送ったカードのことで,QSLという略語は,”Do you confirm receipt of my transmission?” 「お前の送信を受信したから確認してくれ」ということを意味しています。Qはquestionを意味する略号です。
当時は電信だったので,キーを打つ手間を省くため,いろんな略語が用いられましたが,QSLもその類いです。
極めつきは 73 ですね。
通信の最後につけて,Best regardsの意味だ,とされていますが,どういう理由で73なのか,わかりません。
最後の挨拶としては,CU と言うのもあり,これは See you! なんでわかりますけどね。
女性には 88 とつけるんだ,と言う話がありますが,Love & Kiss の意もあるらしくむやみやたらと使うべきではありません。
ずっと疑問に思っていたのですけど,こちらに書いていました。要は19世紀,米国で電信を支配していた,Western Unionで決めていたコードのようです。なぁ~んだ。
アマチュア無線家はお互いを大変尊敬しているため,交信の証しとして,自分でデザインした美しいカードを贈る習慣があります。
これが放送にも広まり,英語では受信の証拠となるカードは普通,QSL cardと言います。
日本ではベリカードと言うことが多いですね。
verification card(確認証)の訳だ,と言われることが多いのですけど,実際に,英語では通じないのではないでしょうか。普通,海外ではQSL cardと言います。
と言う次第ですが,河童さんのすごいコレクションを北から順に紹介します。
☆北海道放送・札幌放送局,旭川放送局,函館放送局
1952年3月10日に道内初の民放として開局しています。1230kHz,出力3kWだったそうです。最初の送信所は丘珠にあり,アンテナは鉄柱が間に合わず,80mの木柱だったそうです。1971年に江別市の現送信所に移転しています。
今昔マップ on the webより(以下,同じです)
それにしても周囲は鉄塔だらけ
北に1996年3月まで使用された,日本短波放送札幌送信所があります。ここはもとは1936年完成の札幌無線電信局烈々布(れつれっぷ)送信所です。鉄塔が何本も建ち並び,一度,見てみたかった,と思います。南に警察無線の送信所もあります。
本局以外に放送局がある場合,各支局ごとにQSLカードが違う,と言う場合があり,北海道放送もとても凝ったデザインのカードを出していたようです。アイヌ民族の伝統衣装をデザインしたカードがとても印象的ですね。函館は早くから開港し,外国人も多かったので,修道女も多かったでしょう。どちらも本当に美しい素敵なデザインです。
旭川送信所は今のかむい中央公園の北側にありました。その後,現在の東旭川駅南に移転しています。STVの送信所も並んでいます。
このときにはすでに東旭川に移転してしまっているようです。河童さんのQSLカードに書いてあった,緯度,経度から世界測地系に換算して推定しました。日本測地系でgoogleマップに入力すると,美瑛川のど真ん中に鉄塔が建っていたことになりました......
それにしても,近文から線路が延びていますね~。
もとは旭川第7師団への輸送用の線路で,戦後も1978年10月まで使用されていました。線路跡は遊歩道になっているそうなので,今度行ってみたいです。
函館送信所は湯の川温泉近くにありました。今は北斗市に移転しています。
QSLカードはまだカラー印刷技術は未熟で,レコードのジャケットもそうですけど,1950年代はカラーで印刷してあるものもこれくらいのレベルですね。
どこのQSLカードにも書かれている,TNX FR UR QSLはThank you for your QSLの略です。電信のため,略号だらけですね。受信報告ありがとう,と言う意味です。最後がRPTとなっている場合も多いですが,それはreportの略ですね。
旭川のローマ字がAsahigawaとなっているのが気になります。駅はJRになっても長い間,あさひがわでしたけど,それ以外でこの表記を見たのは初めてです。
なお,北海道放送は2028年以降もAM放送を継続することを表明しています。大変ありがとうございます。
☆青森放送
時期は少し後になりますけど,印刷技術も大きく進歩し,すごく細かい,美しい絵柄になりました。レコードジャケットもそうですけど,1950年代はせいぜい3色刷くらいで,精細度も低かったですが,さすがに70年代以降は現代と遜色ない印刷になります。
青森の名物,祭りや風景を描いた,これも非常に印象深いカードです。
開局は1953年10月12日です。社名はラジオ青森株式会社ですが,1961年に青森放送株式会社に改めています。
送信所は,現在の本社と同じ青森市松森にありましたが,1962年12月に,現在の女蛇山(めじゃやま)に移転しています。
ずっと南にNHKの妙見放送所があります。
☆岩手放送
はっきりした年が分かりませんが,1950年代前半であることは間違いないと思います。
QSLカードには消印を押してあって日付がわかるのですが,このカードの表側は料金別納郵便となっていて,消印がありませんでした。
もっとも,岩手放送は1953年12月25日に波数は940kHz,出力1kWで開局していますし,1956年11月,580kHzに変更していますので,このカードはそれまでのものです。当時は送信所は盛岡市厨川にありました。1971年12月に現在の矢巾町煙山に移転しました。周波数は720kHzに変わった後,現在は684kHzです。
最初,絵は岩手だし,座敷わらしかって思っちゃいました.....
そんな訳ありませんね......宮沢賢治の何かの童話のようです。 "風の又三郎" かな,とも思ったのですが,違うようです。結構,こういうイミフなカードというのは意外にあります。謎解きするのも楽しいです
なんともかわいい絵柄に感激です。iruchanの一番のお気に入りのQSLカードです。
ここの送信所は苦労しました。どこを探しても送信所の鉄塔の記号がありません.......
河童さんのQSLカードに鉄塔の緯度,経度が書かれているので,それで探しても鉄塔の記号がありません。矢巾の現在の送信所の位置には鉄塔の記号がないので,まだこの地図に載っているはずなのですが.....。
もちろん,1/25000地図の緯度,経度は日本測地系で,googleマップなどは世界測地系のため,一度換算してから入力したのですが.....。
どうもこの地図には岩手放送の鉄塔の記号がないようです。QSLカードの緯度,経度から推定すると,たぶん,→ の位置に鉄塔が建っていたはずです。
現在,googleマップで見てみると,跡地は岩手医科大学のグラウンドになっているようです。送信所は広い空き地なので,グラウンドにするのはよい考えですね。
ちなみに岩手大学の北にある鉄塔はNHK盛岡放送局です。
☆ラジオ東北(現秋田放送)
これも年代がわからないのですが,1953年11月1日にラジオ東北,周波数720kHz,出力1kWで開局し,1956年10月に940kHzに変わっていますので,それまでの間ですね。今は周波数936kHzです。また,1961年5月に秋田放送株式会社に改称しています。
こけしのデザインが美しいです。
この頃,まだ,QSLカードというのは外国の習慣,というイメージが抜けきれず,伝統的な絵柄でも,文字は全部英語,と言うカードばかりです。まさか占領の影響,と言うわけでもない,と思うのですけど.....。なにか,GHQの指示でもあったのでしょうか......。
なお,秋田放送は2028年以降もAM放送を継続することを表明しています。大変ありがとうございます。
THX FR UR QSLとなっていますが,ご愛敬です。この時代,占領下で英語がはびこっていましたけど,会社名やブランド,商品名などで使われた英語にはかなり間違いがあります。
送信所は現在と同じ,茨島にありますが,鉄塔は2本あり,妙に高い鉄塔がもう1本あって,こちらは非給電方式の鉄塔およびSTL用として使い,指向性を持たせているようです。
☆仙台放送(現在の仙台放送とは無関係)
仙台放送のQSLカードです。開局は1952年5月1日です。コールサインはJOIR,周波数1250kHz,出力3kWでした。ラジオ仙台と名乗っていますが,会社名は最初から仙台放送株式会社です。
ややこしいのですけれど,同社は1953年1月1日に東北放送株式会社に改称していて,現在の仙台放送とは無関係です。
ということで,このQSLカードは1953年までのもの,ということは確かです。絵柄は松島ですね~。鉄塔の高さまで書いてあるのに驚きます。
送信所は現在と異なり,向山中央公園の近くでした。今は太平洋岸の若林区荒井にあります。
南に仙台放送(新)と宮城テレビの送信塔が見えます。
河童さんから,新しいカードの写真をいただきましたので,載せておきます。ロゴも何度も変わっているのですね。
☆ラジオ山形(現山形放送)
1953年10月15日に開局しました。周波数は1956年12月に920kHzに変更され,今は918kHzとなっています。1960年から,鶴岡中継局と同一周波数で中継する実験をしていたようですが,これは実は難しく,周波数を厳密に合わせないとビートを生じるので,かなり難しい技術です。
大阪の在阪民放3局が先日まで,京都中継局から同一周波数で中継していましたが,この技術の先駆けですね。
開局当初は送信所→は馬見ヶ崎川の東岸にありましたが,今はずっと西の沼木公園近くに移転しています。
放送局も当初,七日町にあったようですが,現在は隣りの旅篭町に移転しています。
☆ラジオ福島(現福島放送)
1953年12月1日に開局しています。ごらんのように,本局より支局の方が出力が大きい,という珍しい放送局で,今も変わらないようです。今はそれぞれ1kWと5kWのようですが,郡山局が5kWになったのは1955年のようです。
表の差出人の住所は福島となっているので河童さんは本局を受信したようです。
漢字で放送局名が書いてあることに気がつきますが,占領も終わって,日本独自のカードデザインとなった最初の頃のものではないでしょうか。
送信所は福島も郡山も当時と同じです。
☆栃木放送
QSLカードは足利学校ですね。開局は1963年4月1日で,最初の社名は株式会社ラジオ栃木です。1969年に栃木放送に改称しています。
CRTってブラウン管(Cathode Ray Tube)かよ,と思いましたが,旧社名のCompany Radio Tochigiの略だそうです。
ちなみにブラウン管のことをそう呼ぶのは日本だけのようです。ドイツ語ではBraunsche Röhreですけど,ドイツでも,ブラウン管のことはKathodenstrahlröhreと言うようです。でも,これもCRTと言う意味ですよね。それにしても長~~っ!
ただ,TVのことを俗英語で,boob tubeと言いますが,boobはバカや間抜け,tubeはやはりブラウン管から来ていると思います。You Tubeがtubeを使っているのも同じか,と思います。
送信所は鹿沼市にあります。開設当初からの送信所と思います。
☆茨城放送
茨城放送は1963年4月1日開局で,実はAMラジオ最後発です。この局を最後に,AM局は設立されていません。
送信所は水戸市北部にあります。開設当初からの瓦葺きの局舎が非常に美しいです。
ちなみにラジオ福島(福島)と茨城放送の土浦送信所は同じ周波数です。お陰でiruchanのところでは交互に2つの局が聞こえる,と言う状況です。おまけに中国放送まで聞こえるんですけど,どうして隣の県なのに同じ周波数を割り当てるんでしょうか.........
☆ラジオ新潟・上越放送局(現新潟放送)
JODRラジオ新潟のカードです。本局は1952年12月5日に開局しています。
JODO上越放送局は1953年12月1日に,開局しています。wikiを見ると,直江津放送局と書いているのですが,▲のカードには上越放送局とあるので,間違いのようです。
コールサインも違うし,本局とはQSLカードのデザインも違うでしょう。
また,今は上越ラジオ中継局となり,周波数も1530kHzですので,開局当時とは異なるようですが,場所は今も同じ,上越市新光町です。
隣の高田市と合併して上越市になったのは1970年のことです。
☆NHK金沢放送局
開局は1930年4月15日,社団法人日本放送協會金澤放送局でした。第2放送の開局は戦後の1947年8月21日です。
NHKの東に北陸放送の野々市送信所もあります。NHKは,戦前,金澤放送所があったところです。
☆ラジオ北陸(現北陸放送)
開局は1952年5月10日で,北陸地域の民放第1号です。このカードは開局直後のもので,貴重ですね。
設立当初の会社は北陸文化放送株式会社でしたが,11月に北陸放送株式会社と改称しています。
周波数が今は1179kHzですから,開局当初は随分低い周波数だったんですね。出力も500Wと微力でした。1953年8月に760kHzに変更,1962年10月に1110kHz,1978年,9kHz化に伴い,現在の周波数になっています。
野々市市にある送信所はTV,FMと兼用の鉄塔のため,ダウンリード式の自立鉄塔のようです。
この前まで,鉄塔が2本ありましたが,1本に変わっています。県道193号が伸びてきて,敷地が支障し,狭くなり,TV用の鉄塔と兼用するため,ダウンリード式に変更したようです。NHKはそのまんまですね......。
カードの絵柄は北陸にたくさんいる,しらさぎですね。落ち着いた雰囲気のしゃれたカードです。
☆北日本放送
富山市に本社がある,北日本放送のQSLカードです。開局は1952年7月1日で,北陸では北陸放送に次いで2番目です。周波数は620kHz,出力500Wでしたが,翌年8月1日に740kHzに変わっています。1978年,9kHz化に伴い,738kHzとなっています。
緑を背景にした,シックなデザインのカードです。最初,なにをデザインしたカードなのかわかりませんでしたが,富山の薬売りですね。
☆福井放送
1952年7月20日,740kHz,出力はたった50Wで福井放送株式会社,愛称はラジオ福井として開局しました。翌年,5月に500Wに増力します。8月1日に860kHzへ変更し,現在は864kHzとなり,出力も5kWです。今,気がつきましたが,▲の北日本放送と周波数を変わっているのですね。近くだし,どういう理由があったのか知りませんが,リスナーは驚いたことでしょう。
当初のスタジオは牧ノ島町にありました。今の西福井駅のあたりのようです。送信所→は古いQSLカードに記載された緯度,経度から推定して,灯明寺町にあったようです。その後,1961年10月に送信所→は▲の大和田町へ,スタジオは大手3丁目の福井市役所そばに移りました。
1998年12月に送信所→は坂井郡丸岡町(現坂井市)に再移転し,本社はその送信所跡に移転しています。APITAの横ですね。
驚いたのは敦賀の送信所で,丸岡は従来の支線式鉄塔ですが,敦賀は1992年に建設された自立鉄塔です。一度,見に行きたいと思います。どちらも非常に新しいです。
☆信越放送
全国8番目,大都市圏以外では最初の放送局です。
どちらもおそらく,同じ画家の作品でしょう。作風は印象派風で,とても美しいカードです。こんなカードをいただいたら机に飾っておきたいですよね。
どちらもよく似ていますが,題材は異なり,長野は妙高高原? でしょうか。岡谷局は諏訪湖ですね。
長野局の開局は1952年3月25日で,直後に信濃放送株式会社から信越放送株式会社に社名変更しています。周波数は当時は1480kHzで,翌年6月に1260kHzに変更し,さらに1956年5月に1100kHzに変更したようです。今は1098kHzです。
送信所は開局以来,長野電鉄桐原駅近くの吉田町にありましたが,近年,屋島に移転しているようです。
西側にNHKの送信所があります。
岡谷は翌年,7月25日に開局しました。今は諏訪中継局と改称し,周波数は1197kHzです。
☆山梨放送
実は,iruchanが今,一番気になっているAM局です。なんと,甲府と大月の送信所はAM局では珍しい自立鉄塔で,ダウンリード式の送信塔のようです。一度見てみたい,と思っています。
1954年7月1日に開局しています。周波数は▲にあるとおり,1490kHzですが,1956年10月1日には740kHzに変更しているので,このカードはわずか2年間だけ,という貴重なものです。消印がないので,正確な日付はわかりません。現在は,周波数は765kHzです。
☆ラジオ東京(現TBS)
いよいよ東京地区です。
時期は不明ですが,開局(1951年12月25日)直後のものと思います。送信所は埼玉県戸田市にあります。詳しい経緯はこちらに書きましたので,ご覧ください。当初の社名は株式会社ラジオ東京で,コールサインJOKR,周波数1130kHzで,出力50kWでした。最初,10kWの予定だったらしいのですが,NHKに対抗して直前に50kWに申請し直したそうで,そのため,RCAの送信機用の真空管が届かず,開局予定が遅れたか,ギリギリになったようです。
その後,1953年8月に周波数を950kHzに変更,1960年11月に株式会社東京放送に改称しています。よほどコールサインに愛着があったのか,TVもずっとKRテレビと名乗っていました。
QSLカードは普通,はがきになっていて,両面がデザインされているのは珍しいです。
開局から16年経っていますが,当初と同じ配置だと思います。鉄塔の南側に小さな局舎がありますね。
送信所は開局当初から,埼玉県戸田市にあります(当時は埼玉県北足立郡戸田町)。ただ,鉄塔や局舎の位置は1ブロック南に移動しています。
☆文化放送
ここは当初はキリスト教系で,1951年に設立された,財団法人日本文化放送協会が起源です。会社組織ではない,唯一の財団法人による放送局の設立でしたが,1956年2月に東急,旺文社などが出資して,株式会社文化放送となっています。
iruchanは今も旺文社系,と思っていたのですが,株式を手放して,今は小学館が持っているようです。
開局は1952年3月31日です。周波数1310kHz,出力10kWでした。
年代が不明なのですが,おそらく開局当初のものと思います。1953年にニッポン放送に周波数を譲って1130kHzに変わっていますので,それまでのカードです。
四谷にあったカセドラル風の放送会館は名建築として有名ですよね。2006年まで存在していたらしいので,写真を撮りに行けばよかった,と後悔しています。
送信所は旧日本放送協会の新郷放送所をいわば "居抜き" で利用しています。今の鉄塔は建て直してありますが,開局当初は,高さ63mの鉄塔を3本,建てたようです。
日本放送協會時代ですが,鉄塔は2つあり,てっぺんをリード線でつないで,中央から給電していたようです。
新鉄塔完成前は3本の鉄塔を用いて,指向性出力だったようです。また,局舎は421世紀に入る頃まで,残っていたようです。
文化放送払い下げ後,鉄塔は建て替えられていますが,さらに50kW増力化前に現在の鉄塔に建て替えられています。局舎の場所はもとの日本放送協会時代と同じです。
歴史については,こちらの記事をご覧ください。
☆ニッポン放送
日付は米国式に日,月,年のはずですから,1955年1月11日の消印のはずです。
1954年7月15日,東京で3番目の民放として開局しました。当初の社名は株式会社日本放送でしたが,すぐに株式会社ニッポン放送に改称しています。何か,問題があったようです。
周波数1310kHz,出力50kWで,送信所は足立区六月町にあり,1971年6月に木更津に移転し,100kWに増力した後も,今も予備送信所として活用されていますが,鉄塔は小型のものに建て替えられています。
☆ラジオ関東(現ラジオ日本)
このカードは新しく,開局当時のものではありません。
1958年12月24日に神奈川県をエリアとして開局しました。社名は株式会社ラジオ関東で,ずっとラジオ関東と名乗っていましたが,1981年10月に株式会社アール・エフ・ラジオ日本と改称し,いまはラジオ日本と名乗っていますが,iruchan的には今でもラジオ関東です。
送信所は川崎市幸区にあり,本社スタジオとして活用されていましたが,今はほとんどの番組は麻布台にある東京支社から行われているようです。
☆静岡放送
静岡放送は2枚お持ちでした。
1954年8月 1981年5月
静岡放送は1952年11月1日,ラジオ静岡として放送を開始します。周波数は1450kHzなので,今も9kHz化で1404kHzに変わっただけです。
1枚目のQSLカードは最初の静岡市石田にあった最初の送信所と演奏所の写真でしょう。今は静岡新聞放送会館となっています。1967年4月に安倍川の西側,下川原に送信所が移転しました。
右下にNHKの宮竹ラジオ放送所があります。
2枚目は富士宮にある標準放送局(1557kHz,100W)の鉄塔ですね。ダウンリード式の自立鉄塔です。AM局の場合,このような自立鉄塔の送信所は珍しく,ここは1980年7月建設で日本初だそうですので,一度,見に行きたい,と思っています。
☆中部日本放送
名古屋だもんで,QSLカードは金のしゃちほこだぎゃ~。
日本の民放第1号で,1951年9月1日,午前6:30に第一声を上げています。1960年4月に周波数を1070kHzに変更しています。さらに1962年2月に1050kHz,1978年,9kHz化に伴い,1053kHzに変更しています。
送信所は愛知郡鳴海町にあり,とても広く,地図で送信所を探すのに一苦労しました。鉄塔が今の緑区鳴海町伝治山にあったのを見つけました。鳴海製陶の工場のすぐ近くなのは,同社が土地を譲ったから,のようです。南に見える建物は局舎でしょう。今だと桜通線の野並駅の方が近いです。
送信機は日本電気製。出力用送信管の8T92RのGFタッチに悩まされたそうです。
名古屋市に編入され,緑区となったのは,1963年4月のことです。1978年に長島送信所へ移っています。
☆岐阜放送(現在の岐阜放送とは無関係)
ここからはとびきり貴重なカードが続きます。
JOOF岐阜放送(GHK)は,東海ラジオの七宝送信所の記事に書きましたとおり,東海ラジオの母体となった放送局です。
1955年3月10日に周波数1460kHz,出力500Wで開業しました。このカードは開局直後のものですね。
その後,1956年10月にラジオ東海と改称し,さらに,ラジオ三重の後身の近畿東海放送と合併し,1958年2月1日に東海テレビ放送株式会社(現東海テレビ株式会社)を設立,ラジオも名古屋に設立することを申請し,1960年4月1日にJOSF東海ラジオとして放送開始します。
ただ,このとき,岐阜と三重の2局を廃止することが条件だったので,このQSLカードは非常に貴重です。
ちなみにTV局の方は1958年12月25日に開局しています。
で,そのTVのチャンネルが 1ch. なのが名古屋の謎のひとつですね~。普通はNHKの定位置なんですけど.....。
そもそも,関西が偶数ch.で,名古屋が奇数なのは,混信を避けるためなんですけど,なんで民放が1ch.なのか....。
もう,アナログTVなんて終了しちゃったので,どうでもいい話ですけど......。
また,TVの7ch.は8ch.と帯域が重なっているため,普通は使用しません。関西では,関西TVが8ch.だったので,名古屋で7ch.が使えない理由です。だから中京TVは,嫌いな巨人TV系列なので,VHFじゃなく,UHFに飛ばされていて,ザマ~と思っていました。
岐阜放送の放送局です。この放送局は,東海ラジオ岐阜支局となりましたが,1960年4月に廃局になり,跡地にボウリング場ができました。現在は粕森公園となっています。
山頂にある鉄塔はTV用で,1967年完成の上加納山タワーです。
名鉄岐阜市内線(長良線)や美濃町線がありますね。それぞれ,1988年,2005年に廃止になりました。これらの路線の廃止は本当に残念です。特に,今,LRTによって路面電車が見直されていますしね。
放送局のすぐ近くにある鋼索線は1971年建設の水道山ロマンスリフトで,山頂にあった遊園地やプラネタリウムの観客輸送用でした。
送信所は岐阜市南正木にありました。
すでに廃局になった後ですが,鉄塔はまだ残っていたようです。残念ながら,1/25000の地図は見つけられませんでした。
☆岐阜放送(現在)
現在の岐阜放送のQSLカードです。上記の岐阜放送とは別の会社です。
旧? 岐阜放送が名古屋に進出し,地元の岐阜に地方局がなくなったことから,岐阜日日新聞(現岐阜新聞)が株式会社ラジオ岐阜として設立し,1962年12月24日に開局しています。1968年8月12日に全国初のUHF民放としてTV局を開局しますが,そのとき,株式会社岐阜放送と改称しています。
☆ラジオ三重
こちらもとびきり貴重品,そのラジオ三重のQSLカードです。とても貴重なカードで,絵柄は海女さんですね。
開局は1953年12月10日で,三重県津市に開局しています。コールサインはJOXRで,周波数860kHz,出力500Wでした。その後,1956年12月10日に近畿東海放送となり,▲にあるとおり,1960年4月に東海ラジオとして再出発しますが,岐阜放送同様,津の放送局は廃局となりました。
放送局→は津市中央にある,現在の東海テレビ三重支局ですけど,送信所がわからず,かなり調べました。さすがに消えてしまった放送局の情報は乏しいですね。
ようやく,安濃川と志登茂川の河口近くに送信所→があるのを見つけました。今は島崎町公園となっているところの少し西です。
それにしても近畿日本鉄道伊勢線が載っていますね
旧伊勢鉄道の路線です。後進の関西急行電鉄が名古屋~大神宮前まで開通したのが1938年6月26日です。参急の路線が津が終点だったのを江戸橋まで延伸してつながったのがその6日前で,これで乗り換えが必要でしたが,参急と接続しました。半年後,江戸橋~中川までなんと狭軌に改軌し,中川以北は名古屋線となりました。
戦中の1942年,松阪駅の南西にあった新松阪以遠が不要不急として廃止になり,1959年12月に伊勢湾台風復旧時に名古屋線改軌が実現すると,残りの区間も廃止となり,1961年1月に全39.4kmが廃止となりました。
伊勢線の方が津市中心部を通っているし,伊勢神宮も大神宮前の方が近いので,ちょっと残念です。今,廃線跡は近鉄道路と呼ばれているようですね。
☆東海ラジオ
こうして誕生した東海ラジオのQSLカードです。時期としては新しく,1981年のものです。
送信所は発足が1960年と遅いので,最初から海部郡七宝町(現あま市)にあります。
やっぱ名古屋はしゃちほこなんだわ。こんな大事なもんを焼いてまったルーズヴェルトはとんでもにゃあ たーけ だわ。
☆京都放送
ここも民放のパイオニアのひとつです。1951年12月24日に,5番目の民放として開局しました。コールサインはJOBR,周波数は1140kHz,出力500Wでした。
スタジオは今の地下鉄丸太町駅近くの京都新聞社のはす向かいくらいにあったようです。
送信所はwikiを見ると衣笠山としか,書いていなくて,QSLカードにも緯度,経度の表示がありません。また,1950年代の1/25000の地図がなく,苦労しました。衣笠山と言っても,AMの送信所なので,山の上に作るはずはないし.....と思っていろいろ調べたのですが,なかなかわかりませんでした。
ようやく,1952年に米軍が撮影した写真に写っていました。衣笠山の南麓,今の等持院の南に送信所があったようです。
送信所は1958年,久御山町に移転し,10kWに増力しています。増力するには鉄塔の高さも高くする必要があり,移転したのでしょう。跡地は住宅地になっています。
久御山町の鉄塔は自立型で,夜は美しくライトアップされているようなので,ぜひ訪れてみたい送信所です。
☆新日本放送(現毎日放送)
どういうわけか,いろんな文献で日本の民放第1号とされることが多いですが,名古屋のCBCのほうが5時間ほど早く開局しています。
1958年6月1日に今の株式会社毎日放送に改称しています。送信所は大阪市住吉区にあり,苅田送信所と言いましたが,1961年6月1日に大阪府高石市に送信所を移転し,出力も50kWに増力しています。送信所の跡は高校になっているようです。
1957年8月発行の1/25000大阪東南部の地図です。竜華~杉本町間の阪和貨物線が載っています。EF15やEF58!が貨物を牽いていました。和歌山へ行く貨物はそれほど重量級じゃないので,旅客列車の間合いでEF58が牽いていました。杉本町にはよく撮影に行きました......
鉄塔高さ110m,終段出力管 8T92Rと書いてありますね。もちろん,真空管です。朝日放送とラジオ九州にも同じ出力管の記載があります。10kW級の強制空冷送信管で,原型は米RCAの892Rです。もう,送信管を使っているところはどこにもないでしょうね。こちらにも書いてありますが,東芝や日立が国産化に成功していますから,送信機も国産ではないでしょうか。
☆朝日放送
朝日新聞は東京,大阪で免許を申請し,東京は読売新聞と合同し,TBSを設立します。大阪は当初,新日本放送と合同で申請する予定でしたが,別々に申請することになり,1951年11月11日に日本で3番目の民放として開局しました。
だから,東京に朝日放送がないんですね。
今のテレ朝は当初,東映,日経,日本短波放送などが出資した会社,株式会社日本教育テレビで,略称はNETでした。その後,朝日新聞が東映の株式を譲り受けて朝日新聞傘下となった会社です。
もう,テレ朝じゃなくて,NETなんて覚えている人は少ないでしょう。
おまけに,関西では毎日放送=NET,朝日放送=TBSというネットワーク系列で,今とは逆でした。1975年3月末に今のネットワークになりますけど,iruchanはずっと "日曜洋画劇場" は4チャンネルという感覚です〔古っ!!)。
エンディングの "So in love" がとても哀しい曲で,今もよく覚えていますけど,父とこの番組を見たあと,もう寝なきゃ,と思いました。
周波数1010kHz,出力10kWで,送信所は堺市築港南町の埋め立て地にありました。今は日本製鉄の関西製鉄所になっているようです。鉄塔高さ130m,グランド直径200mに驚きます。これほど広大な土地が必要なんですね。
1954年3月発行の1/25000堺です。堺市に送信所があったくらいしかわからず,どこにあったのか,不明でしたが,QSLカードに築港南町とあって探したら見つけました。
かろうじて送信鉄塔が見えますが,ここはまだ完全に埋め立てられていないような......。前の年だとほとんどが水面下です。
1960年11月に内陸の高石市に移っています。MBSの高石送信所とは500mしか離れてません。一度,見に行きたいです。
☆ラジオ大阪
開局は1958年7月1日で大阪で3番目の民放です。当時の周波数は1380kHz,出力3kWでした。送信所は今も同じ,堺市石原町にあります。1971年に1310kHzに変更し,1978年11月,9kHz化に伴い,1314kHzとなっています。今もAMステレオ放送を継続していただいているので,とても感謝しています。
石原送信所です。残念ながら,1/25000の地図の60年代のものがなく,また70年代のものには鉄塔の記号がありませんでした。
周囲にはたくさんのため池と古墳があります。散策するのに,とてもよいところです。
☆ラジオ神戸(現ラジオ関西)
1952年11月 1955年2月
1952年4月1日に開局しました。略称はラジオ神戸ですが,会社名は株式会社神戸放送です。1960年1月に株式会社ラジオ関西に改称しています。
コールサインはJOCRで,周波数1490kHz,出力1kWでした。翌年8月には560kHzに変更するとともに,3kWに増力します。河童さんは両方の周波数のQSLカードをお持ちです。どちらも神戸らしい,しゃれた美しいデザインのカードだと思います。
1490kHz時代のQSLカードは1年ほどの間だけなので,本当に貴重だと思います。
また,表を見ると,送信機は地元・神戸工業製だったことがわかります。TENですね~。iruchanはこの会社の真空管はとても好きです。
当時のラジオはここまで高い周波数で受信するのは難しかったようです。
まあ,ちゃんと6W-C5を使った5球スーパーだと楽勝なんですけど,とにかく5球スーパーは高感度で,適当に鳴っちゃいますから,ラジオ屋さんが面倒なのであまりきちんとトラッキング調整をしていなかったか,一般の人はまだほとんどが並四か高一くらいの再生式で,スーパー持っている人もコンバータにUt-6A7を使っているか,ヘタすると6C6なんかの5極管コンバータ使っていたりしてたり,アマチュアは並四改造スーパーとかというような状況では難しかったのか,という気がしますが.....。
それに,この後,トランジスタラジオが普及しますが,1960年代に入る頃まで,高周波で感度が低かったり,最悪,局発が止まったりして性能が悪いですよね。さらに,トランジスタラジオは小型化のため,容量直線型に近いバリコンを使っていて,高周波ほど詰まっている,という状況なので受信しにくい,と言う問題がありますね。
まあ,トランジスタラジオはとても高価だったので,持っている人は少なかったでしょうけど。
エリア的にも周波数が低いほど,広いので,大幅な周波数変更ですけど,実際,iruchanが住んでいる北陸でもこの局はよく入ります。中坊の時,なんでこの局はこんなに周波数低いんだ,と思っていましたけど.....
1960年1月1日に株式会社ラジオ関西に名称変更します。iruchanは今もこの局はラジオ関西なんですよね~。
開局当初は,磯馴町にスタジオと送信所がありました。残念ながら,1950年代の地図がなく,▲の地図は行幸町に移ってからのものです。鉄塔の記号がありますが,すでに淡路島に送信所が移ったあとなので,送信用ではなく,STL用の鉄塔でしょう。
おそらくここが開局当初のスタジオと送信所だと思います。鉄塔が見えます。当時は多くの民放がスタジオと送信所が併設されていて,鉄塔も同じ場所,と言うことが多いです。南東に神戸市営の球場が見えます。今は須磨海浜公園球技場となっていますし,海岸には須磨ヨットハーバーができています。まだ自然の海岸が残っていた頃,ですね~。
1968年に隣りの行幸町に新社屋が完成し,そちらに移ります。
1994年にAM神戸と名乗ります。わざと,FMじゃない,と主張しているところがとても好きでしたが,今はラジオ関西に戻っています。反対にどこかのFM局がハマラジなんて名前を変え,AM局のようにトーク主体の番組編成にして失敗したところもありましたね。やはりトーク主体の番組というのはすごく難しいし,また,パーソナリティとリスナーを強く結びつけるのはAM局ならではだと思います。
ここは開局当初は須磨海岸に送信所がありましたが,1960年に淡路島北端の淡路町松帆の浦に移転し,1971年に20kWに増力します。
でも,なんで鉄塔が3本もあるのだろう......。
北側の鉄塔に整合器があるようですので,こちらが主塔で,南側は副塔と思います。鉄塔高さ120mで,容量環のついた支線式の鉄塔が2本,立っていたようです。
その後,明石海峡大橋の工事に支障したため,1994年11月に,ずっと南の東浦町に移動しています。
2ヶ月後,阪神・淡路大震災が襲うのですが,送信所は無事で,すぐに放送を再開したことは有名です。このとき,▲の局舎ビルはのちに全壊と認定され,現在は中央区の神戸ハーバーランドに移転しています。
ここはものすごくかっこいい自立鉄塔のアンテナが2基,並んで立っています。一度,見に行きたいと思っています。
☆和歌山放送
1959年4月1日に周波数1560kHzで開局しています。12月には1500kHzに変わり,1962年10月に1430kHzになり,現在は1431kHzです。
現在もAMステレオ放送を継続していただいているのですが,出力が5kWと小さいし,何より和歌山県は地形の関係か,非常に受信しにくいです。
放送局は和歌山城近くの今はこども科学館となっているところで,その後,1979年9月に現在の市立博物館横に移っていますが,送信所は今と同じ,狐島送信所のようです。
☆ラジオ山陰(現山陰放送)
ちょっと年代は不明ですが,1956年10月に周波数が900kHzに変わっていますので,その前のはずですね。さらに,580kHzの時代に出力を500Wから1kWに増力したようですから,もっと時代が絞り込めるか,思いますが,増力した年がわかりません。
開局は1954年3月1日です。1961年3月に山陰放送株式会社に改称しています。
☆山陽放送
ラジオ山陽として,1953年10月1日に周波数1280kHz,出力日中1kW,夜間500Wでした。
1961年3月に山陽放送と改称しています。
送信所は旭川河口近くの浜野にありましたが,1970年3月に旭川大橋の建設に伴い,都窪郡吉備町撫川(現岡山市北区撫川)に支障移転し,吉備送信所となっています。
浜野送信所は早くも1954年9月に,完全無人化されています。
周りは田んぼだらけですが,送信所は今は国道2号の下になっています。
ここは2011年3月まで,AMステレオ放送を実施していたので,一度,聴いてみたかったです。
☆ラジオ中国(現中国放送)
開局は1952年10月1日ですので,河童さんは開局直後に受信報告されたようです。
周波数1260kHz,出力1kWで放送開始しています。会社は1967年4月に中国放送株式会社と改称しています。
送信所は太田川河口の南観音町にありました。出力管の記載があり,5T-31のようです。米国では450THです。プレート損失450W! の大型ガラス管です。実を言うと,iruchan,東芝製のを持っています......
鉄塔の記号がありませんけど,QSLカードの緯度,経度から調べると,送信所は→です。このときは空き地になっていますが,のちに広島空港となり,今は広島ヘリポートとなっています。1961年8月に現在の廿日市市の送信所に移っています。広島空港の開港が同じ年の9月なので,やはり空港建設のため,移設されたようです。
iruchanは旧広島空港を利用したことがなく,ここにあったのを初めて知りました。こんな街中の海のそばにあったのですね。実を言うと,香港の啓徳空港を思い出しちゃいました......。
蛇足ですけど,今の広島空港は遠いですよね~。
高速バスでも市内まで1時間程度かかるのは異常です。成田ほどではないですけど,地方空港じゃ,熊本空港同様,一番中心部から遠い空港じゃないでしょうか.....。これなら旧空港を拡張した方がよかったんじゃないかと思います。アクセスも江波から天満川をくぐって広電を延長すれば,安くできたのでは,という気がします。
ラジオ中国の演奏所は河童さんのQSLカードの表側を見ると上流川町にありました。
NHKの広島放送局→は,原爆投下後も中区幟町にあった上流川演奏所です。ラジオ中国と同じ町内にあったのですね。
1945年8月6日,原爆投下直後に「広島放送局は放送できなくなりました。大阪放送局お願いします.....」と女性が放送したのはよく知られていますね。まぼろしの声として有名です。
その後,1960年に大手町に移転して,現在は広島放送センターとなっています。跡地はショッピングセンターとなり,銘板が取りつけられているそうです。一度,お参りしたいと思います。
☆山口放送
株式会社ラジオ山口として,1956年4月1日に開局しました。周波数560kHz,出力5kWでした。その後,940kHzに変わった後,1979年の9kHz化に伴い,現在の765Hzに変わっています。
1961年6月に山口放送株式会社と改称しています。
演奏所および送信所ともに徳山市久米にあった,と書かれることが多いのですが,久米地域は広く,詳しくは徳山市久米市のようです。
その後,1967年に,山陽新幹線の建設に支障することから,演奏所は現在の周南市公園区に,送信所は大津島に移転します。
その旧送信所の位置がどうしてもわからず,苦労しました。
一応,当時のQSLカードに鉄塔の緯度,経度が書かれていることがあり,ラジオ山口も書かれているのですが,日本測地系は当然,世界測地系に直してgoogleさんにプロットさせても,変なところを指示し,当時の1/25000地図にも空撮写真にも鉄塔がありません。
日本測地系でも世界測地系でもなく,変だな......。
どうも緯度が違うようで,当時のQSLカードにはE 131°50’21" N 34°01'05" と記載されているのですが,真北に,距離的に1.5kmほどずれているようなので,緯度がちょうど1分間違っているようです
googleマップには,送信所のあった位置の東にため池が見えますが,すでに埋め立てられて住宅地になっているようです。
演奏所は現在の徳山動物園近くの位置で,送信所は久米市にあります。今は山陽新幹線の真下になっちゃっています
それにしても普通,送信所は人里離れたところに作るので,道路や新幹線で支障移転する,というのはおかしいと思いますが......。
鉄塔が見当たらないのですが,1/25000地図から判断するとこの場所に送信所があったようです。
南西に櫛ヶ浜駅があります。
北西にクレーターみたいな穴がいくつも見えますが,驚いたことに,高射砲陣地のようです。徳山には第3海軍燃料廠がありましたので,その防護のためと思います。現在は周南緑地公園となっている場所です。
現在は大津島の最北端に送信所があります。一度,行ってみたいです。
残念ながら,ここも緯度,経度から調べるとおかしく,E 130°56’34” N 33°57'51" とQSLカードに記載されているのですが,世界測地系に換算して表示させると,真東に300mほどずれた位置になります。ちょうど,10秒くらい,経度がずれている感じです。
なお,この放送局は茨城放送同様,FM移行に熱心なようで,AM廃止一番乗りのような感じです。
☆西日本放送
1953年10月1日開局です。開局当初は1060kHz,出力100Wで,名称はラジオ四国でしたが,すぐに社名をラジオ香川に変更し,1956年10月から,西日本放送と改称し,周波数は一挙に1500kHzに変更しています。現在は9kHz化に伴い,1449kHzになっています。
どういうわけか,四国は大幅に周波数を変更した局が多いです。
送信所は今も高松市木太町にあります。
☆四国放送
徳島の四国放送です。1952年7月1日に開局しました。今は周波数1269kHzに変わっています。開局当初は610kHzで,モスクワ放送の混信が問題になり,720kHzに変わっています。1956年10月には,940kHzに変更され,さらに,3年後,1280kHzとなり,1978年,9kHz化に伴って現在の周波数に落ち着いています。これほど周波数がコロコロ変わった放送局は珍しいでしょう。
ここも送信所は県道徳島環状線に支障し,移転させられたようです。googleマップに緯度,経度を入力したら,道路のど真ん中でした......
1976年3月に,現在の徳島市川内町に移転しています。
現在は北側に阿波しらさぎ大橋がかかっています。
☆南海放送
今度は松山の南海放送です。開局は1953年10月1日です。周波数1120kHz,出力1kWで,送信所は城山にありましたが,現在は井門町の南海サンパーク内に移転しているようです。
お城の中に送信所がありました。北にNHKがあります。
☆ラジオ高知(現高知放送)
開局は1953年9月1日です。1962年に株式会社高知放送に改称しています。周波数940kHz,出力1kWでした。その後,1956年10月,920kHz,1959年10月に900kHzに変わっています。なにか四国は周波数の問題が多かったようです。
送信所は開局時は今の高知放送本社のある,高知城下の本町3丁目にあったようですが,今は高知市大津に移転しています。
また,カードの絵柄がなんなのか,わからなかったのですが,河童さんによると,土佐に住んでいるという,河童に似た "しばてん" という妖怪だそうです。人を見ると相撲を挑んでくるらしいです。そういえば,この絵はそうですね。
iruchanはしばてんは知りませんでした。
こういうその土地の文化や伝承までわかって,QSLカードは本当にいいですね
☆ラジオ九州(現RKB毎日放送)
いよいよ九州に渡ります。
ラジオ九州のQSLカードです。ちょっと年代が不明ですが,開局は1951年12月1日で,全国4番目の開局でした。
開局当初は出力5kWだったらしいので,このカードは10kW増力後の1952年6月以降,また,周波数が1956年10月に1270kHzに変わっているので,その間のもの,と思います。1954年まで,送信塔は木柱でなんとか間に合わせたようですから,写真を見てみたいです。社史を探すと載っているかもしれません。
糟屋町原町にあった送信所
勝田線が写っていますね。1985年4月に廃止になっていますが,人口が急増していることもあり,電化して博多へ直通運転していたら,今は儲かっているんじゃないか,と思います。
1972年7月に,福岡市東区和白にある鉄塔はレトロなトラス構造なので,おそらくこのとき建て替えたもの,と思います。ぜひ,訪れて見てみたいです。▼の九州朝日放送の送信所の近くです。
☆九州朝日放送
1954年1月1日,久留米市に開局しました。周波数1420kHz,出力1kWです。最初,会社名は株式会社西日本放送(現在の西日本放送とは無関係)でしたが,開局までに九州朝日放送株式会社に変更しています。
送信所は▲の座標をgoogleマップに入力すると,鳥栖市にある肥前旭駅のすぐ西にあったようです。1956年12月には現在の和白に移転し,出力も10kWに増力していますので,このカードはそれまでの初期のものです。
残念ながら,和白に移転後の地図で,鉄塔の記号はありません。
1959年10月に周波数を1410kHzに変更し,現在は1413kHz,出力50kWです。
☆ラジオ大分(現大分放送)
なんともかわいらしい,素敵な味のあるクレヨンによる絵のカードですね
地元の小学生の入選画のようです。こういうあたり,地方のラジオ局のよさが出ていて,とても好きです。
開局は1953年10月1日です。周波数600kHz,1kWでした。1956年5月に580kHzに,また,1959年10月に1000kHzに変わっています。現在は1098kHzです。これは例の9kHz化に伴うものですが,あのとき,もとの周波数とそれほどずれない範囲で調整されたはずですが,結構大きく移動していますね。
1961年4月に株式会社大分放送に改称しています。
送信所は現在は杵築市に移転しています。鉄塔はトラス構造で古そうです。
☆ラジオ熊本(現熊本放送)
なんともかわいらしい絵柄が本当に素晴らしいですね
周波数1100kHz,1kWで,1953年10月1日に開局しています。1961年6月に株式会社熊本放送に改称しています。
その後,1954年5月に1100kHz,1962年10月に1200kHzに変更しています。
送信所は当初,池田町送信所でしたが,今は熊本市の北,合志市に移転しています。AFNの和光送信所やニッポン放送の木更津送信所同様,鉄塔を2基設置して指向性を持たせているようです。
☆ラジオ長崎(現長崎放送)
ちょっとここも年代不明ですが,1953年3月,周波数1320kHz,500Wで開局しますが,6月には1260kHzに変更しています。何かあったようですが理由は不明です。
1956年10月に1220kHz,1962年2月に1230kHzに変更されています。送信所は1959年12月に長崎市田上町に移転していて,鉄塔はトラス構造のレトロなものなので,当時のものでしょう。
駅前にで~~んとあるのがNHKで,ラジオ長崎→は桜町1番地にありました。その後,1962年9月に上町に移り,現在は線路をはさんですぐ西のNHKの対面に移転しています。最初の局舎は河童さんのQSLカードの住所を見ると,桜町1番地にあり,今の長崎市役所じゃないか,と思いますが,ちょっとわかりません。送信所→は田上町の唐八景公園北にあります。
1954年10月にラジオ佐世保と合併して,長崎放送株式会社に改称しています。
ラジオ佐世保は今は佐世保中継局となっていますが,googleのストリートビューを見ると当時の局舎が残っているようです。とても素敵なデザインの建物で,一度見てみたいです。
☆ラジオ南日本(現南日本放送)
絵は桜島ですね。開局は1953年10月10日です。1961年10月に株式会社南日本放送に改称しています。周波数760kHz,出力3kWでしたが,1962年10月に1110kHzに変更しています。
現在の送信所は隼人にありますが,熊本放送同様,鉄塔が2基あって,指向性を持たせているようです。
北陸放送と周波数が同じだったため,混信を避けるため,指向性となっているようで,鉄塔は2本あります。1986年10月に霧島市隼人町の埋め立て地に移転しています。
南側に鉄塔がたくさん並んでいますし,無線送信所とありますね。
鹿児島無線電信局です。▲の札幌の烈々布送信所と同じ頃の建設だと思います。
おまけに無線という地名がありますね。今もバス停は無線前と名乗っているようです。無線下公園というのもあるようです。
なんて素敵な地名なんでしょ~~
新丹那トンネルの上に,新幹線という地名がありますけど,どちらも本当に素晴らしい。技術に敬意を払った地名で,とてもいいですね~。
残念ながら,吉野町の方は住居表示変更のため,町名としては消えてしまったようですが,吉野送信所の跡地は空き地になっているようですし,一度,行ってみたい~。
☆日本短波放送(現ラジオ日経)
残念ながら,今もってなじみが薄く,iruchanはほとんど聴いたことがありません。競馬と株のラジオ,という印象です。おまけにradikoではミュージック専門という感じで,今でもなおさら縁遠いです。
やはり短波だとついているラジオが少ないし,中坊の頃,BCLラジオブームで,iruchanも盛んに海外の短波放送を聴いていたのですけど,簡単には受信できないし,何よりBCLラジオは非常に高価だったので,買ってもらえず,あまり短波は聞いたことがありません。
ソニーのICF-5500なんか,ほしかったのですけどね.....。今調べてみると当時(1972年)の価格は16,800円でした。最高級機? ICF-5900(1975年)だと27,800円もしました。はがきの値段が10円の時代です
開局は1954年8月27日ですが,このカードは4月14日に設立された実験局JJ2KZのものです。周波数は6.095MHzです。
送信所はTBSと同じ埼玉県戸田市にありましたが,1969年2月をもって廃止され,跡地は中学校になっています。今は千葉県長柄町にありますね。
☆ ☆ ☆
1950年,放送法が改正され,民間放送の設立が可能となりました。
戦前,戦時中は日本放送協会のみで,政府による情報統制と国民の思想統一のための道具でした。
一方,戦後も占領下でGHQによる検閲と情報管理のもと,民間放送の設立は日本の民主化のため,必要とはされたものの,冷戦下で日本の左傾化を恐れ,設立を遅らせた,という状況でした。
そんな状況のなか,民間放送局の設立に奔走した人々の努力は大変なものだったでしょう。
1951年から,続々と民間放送局が開局し,自由なメディアが登場して国民が大歓迎しました。
iruchanは開局10年後に発刊された,中部日本放送の社史を持っているのですが,「NHK島に無血上陸し,ただいまから総攻撃を開始.....」という感じの文章があります。
あの頃,どの民放関係者もこんな高揚した気分だったのではないでしょうか。
時代から言っても,そもそも,みんな戦争経験者ですし,実際に戦場に赴いた人も多かったはずです。
民放関係者のみならず,国民全員がこれからは自由で新しい日本を自分達の力で作っていこう,という気持ちだったのではないでしょうか。
あの終戦直後の日本の状況はみんな貧しい状況だったし,戦争で亡くなった人もものすごく多かったけれど,新しい国を作るため,また,自由な言論とエンターテインメントを求めて,とても希望と活気に満ちあふれた時期だったのではないか,と想像します。
実際,CBCの開局直後,大分県から並四で受信したと報告があり,技術者一同,感激した,と社史に書いてありました。あの時代,リスナーも熱かったのでしょう。
河童さんの本当に貴重な,民間放送開始直後のQSLカードを見て,つくづくこんなことを思いました。
日本のラジオデイズはこれから10年ばかりの間でした。1960年頃にはTV局が開局し,▲のブログにもたくさん出てきますけど,ラジオ○○という会社はどんどん○○放送という風に名称を変更していきます。
そもそもTVって,基本的に単方向のメディアで,双方向のメディアではありません。ジョージ・オーウェルの "1984" に出てくるテレスクリーンって,TVそのもの,じゃないでしょうか。権力者が利用すると危険なメディアのような気がします。
もちろん,ラジオも双方向ではないのですが,でも,ラジオにはTVにはない,双方向性と一体感を感じます。かつてははがき,今はSNSなどでパーソナリティと会話ができるメディアはラジオだけです。
もうまもなく,AMラジオの時代は終わりますが,radikoに変わっても,ラジオが持つ力と,パーソナルなメディアは決してなくならない,と思います。どうもありがとう。
さよならAMラジオ~送信所めぐり~その6:京都ラジオ中継局 [ラジオ]
2023年10月30日の日記
残念ながら,今日は訪問記ではありません。なにしろ,立ち入り禁止の区域にあるので.....
とうとう,今朝,京都ラジオ中継局からの電波が停波しました。
ここは,ABC,MBS,OBCの在阪AMラジオ局が共同で建設した中継局で,京都市内や滋賀県南部の難聴地域を解消する目的で,1997年4月1日に設置されました。
確かに,iruchanが住んでいる北陸や,近畿北部では,ABCなどの局は入りづらく,iruchanももっぱらKBS京都や名古屋のCBCや東海ラジオを聴いていました。
名古屋の方がずっと遠いんですけどね.....。どういうわけか,昔から大阪の民放はほとんど日中はノイズだらけで聴けませんでした。
阪神タイガースの中継を聴くのももっぱらCBCや東海ラジオでした。ということはドラゴンズ戦しか中継しないわけですけど.....
それだけでなく,どうも京都市内で聞きにくい状況だったようで,それじゃ,大阪の民放としてはまずいわけですよね。
そこを運良く,新幹線が列車無線のシステムを変更し,従来の基地局方式から,漏洩同軸ケーブル(LCX)に切り替えたため,基地局が不要となり,その不要となった基地局を3局が借りて放送を中継した,と言うわけです。
今,新幹線に乗ると,窓際に太くて黒いケーブルがずっと見えて邪魔ですが,LCXケーブルはそれです。従来の基地局方式だとどうしてもうまく通信できない個所がでてしまいますし,何よりトンネル内では通信できないので,LCXに切り替わりました。
と言うわけですが,この基地局を借りて中継した,と言う話は聞いていました。
確かに.....劇的にこれら3局の受信状況は改善し,昼間でもきれいに受信することができるようになってびっくりした記憶がありますが,ワイドFMでFM補完局が完成し,今ではradikoもあるので,不要,と言う判断になったようです。
ところが,iruchanは,ずっと,JRの中継設備やパラボラアンテナの鉄塔を利用して,送信機だけ設置したのだ,と思っていました。
まあ,列車無線はVHFですし,ラジオは中波なので,アンテナの構造が違いますから,なにか工夫は必要で,おそらくはダウンリード式と言って,鉄塔のてっぺんから何本もリード線を降ろす形のアンテナを設置しているのだろう,と思っていました。実際,TVやFMの送信塔と共用している送信所もありますよね。
ところが.....。
どうもほかの方のWEBを見ると,きちんと支線式の鉄塔を建て,局舎も新たに建設したようです。
それで,廃局になってしまうのなら,一度,見に行きたい,と思ったのですけれど......。
敷地はやはり,某帝国領の中にあり,厳重に警備されて立ち入り禁止になっているようです。
googleのストリートビューを見ても,取付道路の入り口にフェンスがあります。
iruchanは今まで,送信所を訪問していますが,もちろん,公道や周辺の公園から撮影しているので,私有地には立ち入っていません。残念ながら,ここは周辺は私有地だし,東山の山中なので,撮影も難しいようです。列車無線はVHFなので,できるだけ高いところにアンテナを設けるのがよいので,こうなっちゃいますね.....。
このずっと奥に中継局があります。
googleマップを見ると横に広い空き地? らしき土地があるので,ここから写真が撮れないか,と思ったら,空撮写真を見てびっくり。なんと,ゴルフ場なんですね。
と言う次第で,ここは訪問はあきらめて,各局の開始放送をupしておきます。ちゃんと,京都中継局,出力300Wとアナウンスしていますね。これも今日でおしまいです。
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
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なんか,ABCもMBSも,時代がかったファンファーレみたいな曲が面白いです。東京のTBSとかニッポン放送だとラップやポップス調の現代風の曲なんですけどね。この辺,関東と関西の文化の違いでしょうか。
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
ラジオ大阪は東海ラジオなんかと同じく,放送局のテーマソングですね。ちゃんとソニーのSRF-M100で受信しましたので,ステレオで録音しています。おまけに高音がきれいで,他の2局とは音質がまったく違います。やはりAMステレオは音質がいいですね~。
OBCは今月の "放送技術" に技術者の方が京都中継局の建設や調整時の苦労話を書いておられて面白かったです。そもそも,同じ周波数で中継するのって,厳密に周波数合わせないとビートを生じるし,難しいと思うんですけど,やっぱり,どういうわけか京都市内は逆相,大津市内は同相になり,一部の地域は打ち消して難聴地域になる,と書いておられてびっくりです。そんなことあるんですね.....。
今日をもって四半世紀にわたる中継が終了しました。どうもありがとうございました。
☆ ☆ ☆
iruchanはたぶん京都中継局を聴いていたのだと思いますが,受信報告書を書いて,各放送局からQSLカードをいただきました。本当にありがとうございます。ものすごくうれしいです
2023年11月13日追記
今朝,各局の試験放送&開始放送を聴いてみました。
やはり,どこも京都中継局のアナウンスはありません。
別途,ABCとMBSはアナウンサーが録音し直した感じですが,OBCは単に編集でカットした,という感じです。
でも,OBCはいつも試験放送中にZARDを流していて,ステレオで聴けるし,ゴキゲンです。
ちなみに,やはり夜はそれほど影響はないですが,日中は明らかに感度が下がりました。
さよならAMラジオ~送信所めぐり~その5:文化放送・川口送信所,ニッポン放送・足立予備送信所,ラジオ日本・川崎幸放送局,小田原放送局~ [ラジオ]
2023年10月28日の日記
今日はTBS戸田送信所,AFN和光送信所に続いて,文化放送の川口送信所とニッポン放送の足立予備送信所を訪ねました。
元気があれば,レンタル自転車で1日で回れますが,1日の走行距離はgoogleさんによると38kmになります.....
iruchanはもう歳なので,あきらめて,2回に分けて訪問しました。
☆旧岩淵水門
今日のスタートは北赤羽です。文化放送の川口送信所だと,最寄り駅は日暮里舎人ライナーの見沼代親水公園か,埼玉高速鉄道の鳩ヶ谷ですが,ちょっと,行きたいところがあったので.......。
よくTVでも出ますが,荒川と隅田川を分流する水門です。1916年着工,1924年完成の水門です。
大昔は利根川,荒川が合流し,隅田川となって東京湾に注いでいましたが,徳川家康が利根川を銚子を河口とする工事を行い,家康の命で伊那氏が荒川を現在の川口市経由に変えました。
ところが,まだ隅田川との共用区間? が存在して氾濫するため,大正に入って,新たに荒川と中川の放水路を作ったのですが,その荒川と隅田川の分岐点に設けられました。今,われわれが荒川とか,荒川鉄橋と言っているのは正確には荒川放水路とその鉄橋なんですね。
木曽川河口の工事も非常に複雑なのですが,都心の川の変遷も大変です。
この水門は荒川が増水したときに隅田川へ流れ込むのを防ぐための防水扉? ですね。
iruchanは古い産業遺産に興味があるので,見てきました。
1982年に,下流側300mの地点に新水門ができてお役御免となりました。こちらは青いので,青水門と呼ばれますね。
☆文化放送・川口送信所
ここから,6.5kmほど走ると,川口送信所に着きます。
ここは実は非常に歴史が長く,もとは1928年,日本放送協会の愛宕山の愛宕放送所から移転して建設された,新郷(しんごう)放送所です。このとき,出力は5kWから10kWに増力され,周波数も800kHzから870kHzに変わっています。
1931年に第2放送が開設され,その後,1937年には第1放送は川口放送所へ,第2放送は鳩ヶ谷放送所へ移転しますが,大出力の新局の方は日中戦争が始まったことがあり,どうも防圧放送(いわゆるジャミング)に使われたらしく,開戦の放送や玉音放送はここから行われた,とされています。
と言う次第で,実はここの地下には戦時中の放送設備があるらしく,調査もされています。一度,見てみたいですが,AM放送終了後,宅地になっちゃうんじゃないでしょうか。せめて公園として残してほしい,と思います。
1952年3月31日に,日本文化放送が本放送を開始しますが,その送信設備として,戦後,本来のNHK川口放送所が再稼働し,こちらの設備が不要となったので,施設を譲り受けたようです。ただ,鉄塔や建屋は建て替えられていますし,旧鉄塔の跡や建屋が残っているようですけど,施設全体は 国営放送 の名残で,放送所は山の上にありますし,周囲は森のようになってやはり隠蔽するように局舎が建っているので,非常に撮影は難しいです。
そもそもAMの送信所はアースが重要なので,山の上に建ててはまずいだろ,と思うんですけどね.....。だから,3kmほどの西と北西の平地に川口放送所や鳩ヶ谷放送所が移ったようです。
戦前,山の上に建設されたのは,おそらくは隠蔽と,また,なんでも高いところから国民を教育しよう,という上から目線の意図があったのか,という気がします。
残念ながら,局舎は少し見えるだけで,きれいに写真は撮れません。桜の季節に門が開いて市民に開放されるようなので,行ってみたいです。
奥に車が見えますけど,iruchanが訪問したときも,中から車が出てきました。
どうみても古そうな縁石。おそらく,戦前のものでしょう。
ちょっと,これも古めかしい看板。高さは136.69mです。JO Rとなっているのは随分前からのようです。
鉄塔は国営放送時代のものではなく,新たに建てられたものです。送信周波数が違いますから,高さも変わってきますので。ちなみに,文化放送の周波数は,今は1134kHzですが,当時は1310kHz,出力は10kWでした。鉄塔はAFNや東海ラジオ同様,容量環がないタイプでした。国営放送時代の鉄塔はトラス構造だろう,と思います。
かろうじて基部が撮影できました。航空障害灯用のオースチントランスが見えます。望遠レンズで撮影したので,手前の枯れ葉が写っちゃってます
東側の道路をはさんで中学校があるんですけど,そこから塀越しに撮影しました。施設の中に入らないと,局舎の正門は撮影できないようです。
放送局から中継するためのパラボラと八木アンテナが取りつけられています。
来年,春の桜のシーズンになったら,一度,敷地の中を見せていただきたい,と思っています。
なんか,本当にほんわかしてしまう,優しいデザインで癒やされます。どうも大変ありがとうございました。
☆ニッポン放送・足立予備送信所
ここからさらに東へ,7kmほど走るとニッポン放送の予備送信所があります。平坦な道のりで,サイクリングは快適でした。出力100kWの本局は千葉の木更津にありますよね。
ここはニッポン放送が1954年7月15日に開局したときの放送設備で,1971年に木更津に移転するまで,基幹局として使われていました。
現在の鉄塔は,さすがに予備,ということもあり,出力は1kWで,東日本唯一のAMステレオ放送はここからは送出されません。せいぜい,1年に1回,試験放送をするくらいなので,土地の有効活用なのか,北半分はレンタル農地になっていたり,ゴミ箱が置いてあったり,あまりきちんと整理されていない感じです。また,かつてはポニーキャニオン系の会社があり,VTRを作る工場があったようですが,解体されて空き地が広がっていました。また,隣接して野球場があったらしく,周辺の土地や道路も湾曲しています。
STLの回線はパラボラアンテナは見えないので,60MHz帯のVHFのみのようです。
あの~,悪いのですが,左の門扉の奥に銘板を取りつけた小さな門柱があるのですけど,その前にゴミ箱を置くのはやめてほしい
銘板には,”ニッポン放送送信所” とあるらしいです
こちらはもとの工場の門扉です。
珍しいのは,送信塔は文化放送など,一般的なAM局が使っているような支線式ではなく,ダウンリード式で,鉄塔も非常に低いです。
ダウンリード式は,基部接地型アンテナの1種で,鉄塔から周囲に何本かリード線を吊り下げ,そこに電圧をかけて送信する方式です。通常の支線式と異なり,鉄塔自体は地面に直付けされていて接地されています。リード線は上下で絶縁されていて,頂部で折り返していて,フォールデッドアンテナとして動作しているようです。そこで,長さは1/4λとなりますから,この鉄塔は60mほどの高さのはずです。
なおかつ,ここはそのうちの2本のリード線を水平に張って,電波の発射方向に指向性を持たせているようです。
この場合,リード線と90゜の方角に指向性が出ますので,確かに関東平野を北西から南東の方向に電波が伝わるようになっていると思います。頂部にも整合箱があるようです。また,ダウンリード式の場合,頂部で接地して,接地式アンテナとして動作させることが多いのですが,ここはフォールデッド式にして,頂部も絶縁してあるようです。
リード線の終端部。
内部に碍子のついた整合箱がありました。周囲のリード線の接地部は細長い白い碍子を介して接地されていました。
年に一度,5月の最初の日曜の夜(月曜の早朝)に試験放送があるようなので,来年,聴いてみたいと覆います。
☆ ☆ ☆
帰りは,つくばエクスプレスの六町駅が近いのですが,もう少し足を伸ばして,北綾瀬へ......。
地元の方には非常に悪いのですが,北綾瀬駅って,鉄ちゃんじゃなければ行かないところかと.....。
iruchanは昔から,一度,行ってみたい,と思っていました。
行ってみてびっくり,駅は高架でものすごく立派な建物だし,周囲は高級そうなマンションも建ち並んでスーパーもありますね。
iruchanは,ここは 美濃赤坂 か 和田岬 みたいなものでしょ,って思ってました
まあ,日中,1時間に6本,電車がありますし,うち3本は代々木上原まで行くようなので,かつてにくらべればものすごく便利なところになっています。それに全部始発電車なのですから,宅地としては非常に魅力的なところなんでしょう。
あのよ~,ホームまで似とるでかんわ~。
☆アール・エフ・ラジオ日本・川崎幸放送局
別の日に川崎に出張があって,その帰りに訪れました。
新幹線の海側の車窓に赤い鉄塔が見えるので,いつか行ってみたい,と思っていました。
ここは,iruchan的にはラジオ関東なんですけどね......。
多摩川を渡って,対岸の川崎市の幸区にあります。
それにしても,昔は川崎駅前って,東芝の大きな工場がド~~ンとあって......というイメージでしたが,すっかり変わってしまいましたね。今,ラゾーナ川崎となっているところが東芝・柳町工場の跡地で,同工場は真空管の製造拠点だったので,iruchanにはとても関心のある場所です。
ほかには北側に少し離れたところにある小向工場はTVの拠点だったようです。東芝科学館もあるので,見に行けばよかったですが,予約制なので,ちょっと敷居が高いです。
それにしても,電機の名門・東芝は例のノートPCの不正会計事件に始まって米Westinghouseの買収失敗も重なり,ファンドの餌食となって,どんどん資産を切り売りし,手許に残っている事業は鉄道などのインフラ事業とデバイス事業だけ,という状況です。もはや家電はブランドこそ残っていますけど,東芝ではなく,中国の美的集団のものです。ファンドは会社を転売して儲けるビジネスなので,不採算の部門をどんどん切り捨ててしまい,最後には会社がなくなってしまいますので,先月,東芝の非上場化が決まりましたけど,しかたないでしょう。アメリカのZenithとか,Altecとか,こういう羽目に陥り,今はどちらもブランドが残っているだけです。
さて,このラゾーナのバス乗り場から,川73系統上平間行きまたは川32系統小杉駅東口行きのバスに乗って,小向バス停で降りると近いです。googleさんは御幸公園を指示してくるのですが,国道1号線を渡らないといけないので,小向で降りる方がいい,と思います。スーパーもあって,iruchanは帰りに冷たいお茶を買ってバスに乗りました。
また,多摩川の堤防や高層マンションが邪魔をして,かなり近くまで行かないと鉄塔が見えないので迷っちゃいますから,気をつけてください。御幸公園からだとほとんど見えません。
多摩川の堤防から,鉄塔がよく見えます。
それに,ほかの方のブログを見ると,なんと,この送信所,鉄塔の根元まで行って見ることができるようです。普通は高圧がかかっていて危険なので,柵があるのが普通ですけど,ここはもともと多摩川の河川敷,と言うこともあり,鉄塔基部がかなり高いコンクリの台座の上に乗っていて,近づいても安全だから,のようです。
とはいえ,残念ながら,iruchanが行ったときは周囲は草ボーボー
再び,googleさんの親切な地図からストリートビューを見ると,最新の映像は2月撮影らしく,これなら草も生えていなくて,基部まで行けそうです。
と言う次第で,ここを観察するなら冬の方がよさそうです。
しかたないので,望遠レンズで観察しました。
基部はこのようにかさ上げされ,上に整合箱などが置かれているようです。オースチントランスも見えますね。ちょっとペンキが剥げているのが気になります.....。
ここの送信所の特徴は指向性アンテナであることで,普通,こういう場合,前回のAFNのように,2基,鉄塔を設置するのですが,ここはダウンリード式と言って,ステーを利用して指向性を持たせているので,鉄塔は1基のみです。
どうも,1981年10月に50kWに増力するときに郵政省から指向性を持たせるよう,指導があったようです。そのため,都内であまりきれいに入らない,という状況になっているようです。確かに,iruchanが上京したときに滞在する多摩地区ではちょっとノイズが多いです。
AFN同様,容量環はつけられていません。
おそらく,一番上のステーが給電され,指向性を持たせているもの,と思います。ここだけ,アンカーに整合箱がついていました。
北側は川崎競馬の馬練習場になっていて,堤防の外側(右)に厩舎があります。残念ながら,この日はおウマさんは見られませんでした。
2024年1月17日追記
☆アール・エフ・ラジオ日本・小田原放送局
新幹線を小田原駅で降りて,ラジオ日本の小田原送信所を見てきました。正式には小田原放送局と言うようで,昔はローカル番組をやっていたようです。
周波数1485kHz,出力100Wの小さな送信所です。
手前の建物は漁協の建物で,局舎ではありません。
手前に発電機が置かれた小屋があります。わざわざ,"発電設備" と書かれているのは珍しいと思います。
小田急線・富水駅から,東に歩いて,酒匂川の橋を渡ると堤防沿いに道があるので,そこを1.8kmほど歩くとたどり着きます。
小規模局によくある,ダウンリード式の鉄塔で,鉄塔自体は接地されていて,リード線給電側のみ碍子で浮かせて給電する形式で,通常の基部絶縁式の送信所と異なり,接地式アンテナとして動作します。
てっぺんに小さな箱がありますが,整合箱でしょうか。よく見ると支線に給電されているので,指向性をもたせているようです。
リード線はターンバックルを介して鉄塔に取りつけられていますが,ジャンパー線を使って高周波電流はターンバックルを通らないようになっています。電食防止のためでしょうね。
鉄塔は円管柱ではなく,トラス式ですが,よく見てみると斜材は鋼棒を折り曲げ,溶接した構造で,普通のトラス式のように,鋼板をリベット留めした構造ではありませんでした。
鉄塔は高さ50mだそうです。とすると,航空法の規定により,赤白の昼間障害標識は不要なはずですが,まあ,どっちにしろ,錆防止のため,塗装はしないといけないので,赤白で塗った,と言うことでしょうか。
基部に給電装置があります。大きな碍子がいかめしいですね。リード線は碍子で絶縁されています。
鉄塔基部には, "アール・エフ・ラジオ日本 小田原標準放送局 基部接地型中波塔アンテナ 製作年月 昭和56年6月 電気興業株式会社" とありました。
こういう,小さな送信所は地域の良好な受信に貢献していますし,なによりかわいらしくて,とても好きです。
さよならAMラジオ~送信所めぐり~その4:CBC長島送信所,東海ラジオ七宝送信所 [ラジオ]
2023年10月21日の日記
前回,名古屋港南部のNHK鍋田ラジオ放送所を訪ねました。
今日は木曽川の対岸にある,CBCの長島送信所と,ちょっと北にある東海ラジオの送信所を訪ねました。
どれもそう遠くはない立地なので,がんばれば1日で回れますが,港や河口近くの人口が希薄なところのため,公共交通はとても不便で,レンタカーでも借りないと1日では見て回れそうにありません。
☆CBC長島送信所
稲刈りが終わって,まるで荒野に建つ送信所......アメリカみたい。
iruchanは特急しらさぎで名古屋へ出て,そのまま 省線 で長島駅へ。関急 でもいいのですが,ちょっと関急名古屋駅は地下なので,省線があればそっちの方が便利です。
ただ,それにしても関西線って,いまだに木曽川鉄橋前後の区間を除けばほとんど単線で,これじゃ,近鉄と勝負になりませんね.....。それに,路線もほとんど並行していて,JR長島駅と近鉄長島駅は目と鼻の先です。
CBCの長島送信所へは,桑名駅から三重交通バス53系統長島温泉行きがほぼ1時間に2本,出ていますし,名古屋の名鉄BCからは名鉄や三重交通の高速バス・長島温泉行きが出ていて,割に便利です。バス停は松中が近いです。
が,iruchanは長島駅から,桑名市のコミュニティバスK-バスに乗りました。料金はたった100円です。
とはいえ,1日2本しかありません
おまけに,かつてはバスは3本あったらしいのですが,朝の1本はデマンドタクシーに変わっていて,1時間前に電話で予約しないといけないらしい。
ちょっと驚きました。
バスは,お客さんはiruchanただ1人。
このあたり,やはりコミュニティバスの問題点ですね.....。せっかく,公共交通の過疎地帯をカバーしようと,自治体が努力しても,1日の本数がたった3本程度では,正直,利用したくても利用できないのではないでしょうか。近所のお医者さんに行って,帰ろうとしたら3時間後とか,下手すりゃ,今日は終わり,というダイヤでは利用のしようがありません。こういった過疎地帯の公共交通は無人の自動運転バスまで待たないといけないか,という気がします。
バス停は野亨寺前が近いです。ここから少し東に歩くと,北側に鉄塔が見えます。
ここは開局以来使用していた鳴海送信所から,1978年11月23日に移転したものです。周波数1053kHzは最初からで,この日に日本を含むアジア地域の置局間隔が従来の10kHzから9kHz間隔に変わりました。このおかげで,海外で買ったラジオが日本で使えない理由になっているんですけどね.....。PLLシンセサイザ式のラジオの場合,アメリカで買ったりすると日本では使えません。
TBS戸田送信所同様,真鍮で作られているのでしょうね。緑青が吹いていました。
CBC(中部日本放送)は日本の民放のパイオニアで,1951年9月1日,旧鳴海放送所から,日本の民放の第一声を上げています。
ところが,どういうわけか,一般には大阪の新日本放送(現毎日放送)が1番目,とされていて,CBCは同着みたいな感じに言われています。
時間的にはCBCの方が早く,6:30に第一声を上げていて,新日本放送は正午です。CBCの方が早いのに,第1号は新日本放送,と言われることが多いのは不思議です。
鉄塔は日本のAM局に多い,支線式で鉄塔もごく一般的な円管柱です。
ただ,頂冠部は容量環らしいものがあるにはあるのですが,どうにも小さい。普通はNHK彦根中継放送所のように,8m以上あって,意外に大きいものですし,鍋田送信所のもやはり足場があって,その周りに容量環がついている,と言う構造です。
ここは,NHKの送信所みたいに大きなものではないようです。機能的に容量環としても機能しているのかもしれませんが,頂冠部の避雷針を点検する足場のような感じです。
人が1人,通れるだけの穴が開いているところを見ると,容量環にしては小さすぎ,容量環と言うより,点検用の足場のような感じです。
局舎はTBSの戸田送信所みたいに,臨時のスタジオなんかも設けられているようで,かなり大きな局舎です。
県道側(東)にサインがあります。夜はネオンが光って,きれいでしょう。非常用発電機の煙突も見えますね。八木アンテナはVHF帯のSTLアンテナでしょうか。
1Fに配電盤が見えますね.....県道側の写真から分かるとおり,鉄塔はかさ上げされていますが,配電盤は地上と同じレベル。これでは津波の時,どっかの発電所みたいに,浸水して停電して炉心溶融 しちゃうのでは?
局舎の入り口はこちら側で,先ほどの銘板もこちら側にありました。
帰りは近くの松中バス停から八風バスで桑名駅に出ました。
ちょうど昼なので,駅前のエンシュウヤさんでおいしいランチをいただいて再び省線電車に乗りました。エンシュウヤさんは昔ながらの洋食屋さん。とても安くてボリュームもあり,食後にコーヒー頼んだら,ロールケーキと梨がついていてびっくりでした。
みそ汁は赤だしです。おまけにたった750円でしたやっぱ名古屋はで~れ~ええがね....ここは桑名だけど....。
桑名から,弥富へ移動し,そこで名鉄尾西線・普通須ヶ口行きに乗り換えました。この電車に乗るのは久しぶりです。
素敵な木造駅舎。末永く残ってほしいものです。なんと,1894年建築だそうです。
☆東海ラジオ七宝送信所
1332kHz,出力50kWの送信所です。♪1332~~東海ラジオ っと。
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
それにしても,AM廃止したら,このジングルはどうなるんでしょう。▲は自作のAMステレオチューナーで録音しました。ちゃんとステレオです やっぱステレオはええでよ~~。
津島から名古屋・栄行きのバスに乗り,下田バス停で降りればすぐ北です。iruchanは木田駅まで行って,そこから健康のため? 南に3kmほど歩きました。
ただ,この送信所,NHKの鍋田送信所と同じで,非常に写真が撮りにくいです。三方は私有地で囲まれ,周囲は民家が建て込んでいて,また,西側の蟹江川の堤防道路はどうもずいぶん前から除草しなくなり,通れなくなっているので,アクセス&写真撮影は結構大変でした。
と言う次第で,鉄塔基部の写真はかろうじて撮れる程度でした。近くの公園から望遠レンズで撮影しました。
日本では大体,容量環がついていますが,AFN同様,容量環がないタイプでした。ステーはすぐに取付部で絶縁されています。
入り口から撮影しました。塀の中の道路はきちんと舗装されていますが,取付道路は未舗装でした
残念ながら,鉄塔基部はうまく写真が撮れません。近所の公園から望遠レンズで撮影しました。航空障害灯のオースチントランスが見えますね。
一般市民が行くところではないし,納入業者向けなんでしょうけど,立派な看板です。普通は送信所って,軍事施設なので,場所を秘匿しておくべき,と思いますけど.....。
2014年に▲の局舎が建て替えられているので,その目印だったんじゃ,ないでしょうか。
この堤防上の道路が冬は草が枯れて歩けるようです。送信所へ行くのは冬なんですね......。
ここは,1960年4月,新設の東海ラジオ放送の送信所として開業しました。東海ラジオの設立の経緯は複雑で,いつもお世話になっている,河童さんに教えていただきました。河童さんは真空管ラジオをずっとつくっておられ,また,民放ラジオ草創期のQSLカードをお持ちで本当にすごいです。
中日新聞が親会社のCBCと違い,東海ラジオはもとは三重のKTB近畿東海放送(JOXF,860kc)と,岐阜のRTCラジオ東海(JOOF,1460kc)が合併してできた会社です。近畿東海放送の前身はRMCラジオ三重で,また,ラジオ東海は前身はGHK岐阜放送(現在の岐阜放送とは無関係)です。送信所はそれぞれ津と岐阜にありましたが,統合後,廃局になっています。この2社が合併して名古屋に進出し,七宝町に送信所を設けました。周波数は1490kHzでしたが,周波数が高いほど,エリアが狭くなる傾向があるため,1962年に1330kHzに変更が認められました。CBC同様,9kHz化に伴い,現在の1332kHzに変わっています。このとき,50kWに増力しています。
初期の民放ラジオ局はCBCみたいに送信所を途中で移転していることが多いので,ここは貴重です。
☆ ☆ ☆
これで名古屋近郊の送信所はすべて訪れることができました。iruchanは都会のラジオ,と言うと名古屋の放送局を聴くことが多いので,一度,行ってみたい,と思っていました。残念ながら,うちでは大阪の民放はほとんど入りません。
帰りはまた名古屋駅からしらさぎで帰りました。お土産に大須ういろを買いました
2024年2月20日追記
両局からカードをいただきました
名古屋からだとサービスエリア内なので,ちょっと申し訳ないので,上京した折に聴取して報告させていただきました。
残念ながら,両局とも,日中は東京では聴けません。夕方から,朝,7時頃まで聴くことができます。久しぶりに名古屋の放送が聴けてよかったです。
いずれも20年ほど前に一度,カードをいただいていますが,全く違うデザインで,本当にありがとうございます。
おぅ~~,ここ行ったぞ,って感じですね......
右は瀬戸市の三国山FM放送所ですね。ワイドFMはここから送信しているみたいです。
東海ラジオさんからは,ドラゴンズのクリアファイルと番組表をいただきました。