今日は雨なので.....
2024年4月21日の日記
今年,近所の公園をのぞいてみると,桜の根元にシロバナタンポポが咲いていました。
全部で10株くらいあり,花としては20輪くらいでしょうか。
とても珍しいです。
日本の在来種で,西日本,特に九州や四国に多いとされているのですが,iruchanは鉄なので,その周辺を散々,荒らし回った? のですけど,一度も九州や四国で見たことがありません。
その昔,九州の高校生が大学に合格し,上京すると,東京のタンポポが黄色いので驚く,なんて話を聞きましたけど,もう大昔の話のようで,九州でも白いタンポポを見かけることは少ないようです。
実際,iruchanも毎年,散々探しているのですが,なかなか見つかりません。
ところが,今年は珍しく,2カ所で咲いているのを見かけました。
少ないのは,外来種のセイヨウタンポポに押しやられて育つところがなくなった,というのもあるでしょうし,タンポポは雑草なので,抜かれてしまう,というのもひとつの原因か,と思います。実際,今回見つけたのは公園の隅のゴミ捨て場のようなところでした。
綿毛になったときに1輪,タネをいただいてきたので,今日,蒔いてみました。
実は,以前,やってみたのですが......。
全然ダメでした.....
どうも,ネットで調べてみると,シロバナタンポポは発芽がむずかしいようで,なかなか発芽しないそうです。
と言う次第で,今回は,ネットで調べてちょっと試してみたいと思います。
タンポポは弱酸性の土地を好むらしく,特にシロバナタンポポは弱酸性の土地の方がより育つようで,シロバナタンポポとセイヨウタンポポの生育状況と土壌のpHを比較した論文がネットにありますね。
そのため,今回は弱酸性の赤玉土を使って,試してみます。また,水道水は中性~弱アルカリ性のためダメらしく,今日は雨だし,雨水でやってみます。酸性雨なんて以前から言われていますが,雨水は亜硫酸ガスなどの影響を受けて酸性ですので....。
ついでに,今年,ゴーヤときゅうり,かぼちゃを植える予定です。
今日は雨なので,このまま,外に置いておきます。
来年,シロバナタンポポが咲くといいな,と思います。
イギリス旅行記~その4:Bletchley Park & Tha National Museum of Computing [紀行]
2024年3月10日の日記
さて,翌日はちょっと電車に乗って,ブレッチリー・パークへ。
こんなところまで来る,日本人なんていない,と思いますけど.....。実際,日本人はもちろん,最近はどこに行ってもいる,隣りの赤い国の人もまったく見かけませんでした......。
ストーンヘンジにはたくさんいらっしゃったのですけど.....要は,隣りの赤い国の人たちは自国で予約できる旅行社のツアーに入っているところなら行けるけど,自分で予約しないといけないところには行けない,ということなんでしょうね....。まあ,日本人も昔はそうでしたけど......。
ここは戦時中,ナチス・ドイツや日本など,敵国の暗号通信を解読していた施設です。iruchanは一度,行ってみたい,と思っていました。
有名な,エニグマ(Enigma)ですね~。解読不能とまで言われた暗号です。
ここに,チューリング(Alan Turing:1912.6.23~1954.6.7)らがいて,ドイツの暗号を解読しました。
もっとも,エニグマ自体は1915年,オランダのSpenglerと,van Hengelが開発した歯車を用いた暗号機で,特許も取得していますし,商品になって発売されていたりしましたから,原理は早くからわかっていた,と思います。
1922年にはドイツのScherbius und Ritter社に特許を供与し,ドイツとの関係が生まれます。翌年,同社が製品化しますが,それに伴って購入することもできました。
ただ,これをドイツ軍が独自に改良(改悪?)し,電話交換機のようなプラグボードを追加して電気結線を複雑にした上,歯車も最初は3個でしたが,最大8個まで使用できるようにして,暗号の解読を難しくしてしまいます。
ちなみに復号する場合は,同じセッティングの装置を用意すれば簡単に復号できる仕組みになっています。
中でもLorenz社が作ったSZ42は最強と言われ,特にドイツの高官用の暗号として使われ,その解読はチューリングらの目標でした。
エニグマは単字置換式の暗号で,入力された文字を1字ずつ,別の文字に置換しますが,2回目に同じ字を入力しても同じ字にはならないようになっています。その組み合わせは当初の3歯車式のものでも,3つの歯車と結線の変更により,1.6×1020 通りの組み合わせとなってしまいます。
これらのセッティングは毎日,午前0時に変更され,翌日は別の歯車と結線の組み合わせになってしまいます。
とはいえ,1941年5月9日,ドイツ海軍のUボート,U110がアイルランド沖で拿捕され,沈没直前に暗号機やコードブックを入手し,解読の手がかりを得ています。プリムローズ作戦ですね。iruchanはこれは知っていました。
一方,日本の暗号はセッティング変更をほとんどしなかったので,簡単に破られちゃった訳ですけど.....
そもそも暗号の解読なんて,武士のすることではない,と考える偉いさんが多かった国ですから,他国の暗号を解読しよう,という努力はほとんどなかったでしょうし,実際にはできなかった訳ですしね。
そもそも近代の戦争とはなんなのか,まったく理解していなかった,と思います。
もっとも,この解読不能とまで言われたエニグマですが,入力されるもとの平文の文字は決して,その文字には変換されない,という欠点があり,そこをチューリングらは突破口として解読するわけです。
つまり,単純には,ありとあらゆる文字の組み合わせを考え,それをもとの暗号文と比較して,同じ文字が現れてこない組み合わせを探す.....ということになります。また,e や i だとたくさん出現しますが,q や j は出現頻度が低いので,これらの文字を含め,解読するアルゴリズムは複雑だと思います。
ブレッチリー・パークではエニグマ暗号を総称してFishのコードネームで呼び,さらに,陸軍の暗号はTunny(マグロ),空軍はSturgeon(チョウザメ)のコードネームで呼ばれていました。
なんで魚ばかりなのか....というと,ドイツ軍が自らの暗号システムをSägefisch(sawfish ノコギリザメ)と呼んでいたためのようです。
LorenzのSZ42が生成する暗号文の解読のため,世界初のデジタルコンピュータ,コロッサス(Colossus;”巨像" の意があります)が1943年末に完成します。
これ自体はチューリングは製作にかかわらず,開発したのは中央郵便局のFlowersですが,1944年2月から稼働します。改良されて,マークⅡとなったものもの含め,全部で10台製作されました。
前身はFlowersが作ったHeath Robinsonと呼ばれた暗号解読機で,これも▼のコンピュータ博物館で展示されています。
これ,人名なのでそのHeath Robinsonという人が作ったように思っちゃいますが,当時有名なイラストレータで,奇妙で複雑な装置のイラストを描いていたりしたので,女子職員がニックネームをつけ,それが定着してしまったようです。
Colossusはテープリーダで暗号と暗号解読用の鍵の両方を読み込んで解読する仕組みのHeath Robinsonを改良し,メモリに蓄積した暗号鍵で解読する仕組みでした。
ただ,世界初のコンピュータ,というと1946年に米ペンシルヴェニア大学のMauchlyらが作ったENIACが有名ですが,これはプログラムはなく,ハードウェア(結線)で構成するもので,計算も弾道表の計算が目的でしたから,computerではなく,calculatorというべきものです。数字も十進数を扱っていて,2進数ではありません。
Colossusの方は,戦後,エニグマがテロリストに流用されることを恐れて,というのが公式の理由とされていますが,実際はソ連や共産圏に渡って再利用されたときに,Colossusで解読しよう,と言う意図があったと思いますが,戦後,1990年代くらいまで英政府はその存在を秘匿しました。
それに,チャーチルがコヴェントリー空襲(1940.11.14)を事前に察知していたのに,暗号解読をしていることがドイツにばれるとまずいので警告しなかった,という話が流布していますが,おそらく,同様に,戦後,国民から賠償請求されるのを恐れたのではないか,と思います。
ところで,真空管式コンピュータって,戦後,日本以外では実際にUNIVACやIBMから装置として売られるくらい,意外に多数製造されているんですが,現在も稼働可能なのはこれだけではないか,と思います。真空管を2,500本も使用した,真空管式コンピュータを見てみたい,とずっと思っていました。
なお,ここにはブレッチリー・パークの暗号解読施設を博物館にしたところですが,博物館は2つありパーク全体を博物館とした,Bletchley Parkと,コンピュータの歴史を保存する,The National Museum of Computingがあります。後者はブレッチリー・パークのH棟なのですが,どうも組織が別のため,入場料金も別なのは困りもの。Bletchley Parkは£25.50,Museum of computingは£10です。結構高いですね.....
と言う次第ですけど,せっかくここまで,はるばる日本から来たので,見に行きたい,と思います。今回の英国旅行の目的のひとつです。
Bletchleyはロンドンからバーミンガムへ行く西海岸本線のルートにあり,ロンドン・ユーストン駅から通勤電車が出ていますし,iruchanはホテルに近い,Shepherd's Bushの駅から,West Midlandsのサービスで西海岸本線との接続点,Watford Junctionまで行って乗り換えました。
ホテルから近くのShepherd's Bushの駅から出発です。地下鉄central線と,旧国鉄の路線の交差点で,ターミナルになっています。
ロンドンの出発はここからです。地上のもと国鉄のOvergound路線の駅です。地下鉄駅は手前にあります。
ロンドンでは車両の規格が大きく異なるので,相互乗り入れはほとんどしていないため,乗り換えが必要になりますが,実際にこうやって乗り換えてみても,すぐ隣りに地下鉄の駅があったり,そもそも駅構内に地下鉄の入口があって,特に不便とは思いません。
むしろ,どこかの路線が止まったら,他社も含めて乗り入れている鉄道が全部止まってしまう日本より便利だし,効率がよいのではないか,と思います......
ただ,このShepherd's Bush駅など,Undergroundの駅とOvergroundの駅は隣接していますが,建物は別ということも多いので,注意が必要です。切符はどちらでも買えますけどね。ただ,どういうわけか,自動改札は使えません。駅員さんにひと言言うと,ホームへ入らせてくれます。
ここから,SouthernのサービスでWarfort Junctionまで行って,西海岸本線の列車に乗り換えます。
SRは第3軌条ですが,途中で架線に移行するので,この電車にはパンタグラフがついています。次のWembly Cenral駅までの間にパンタを上げて架線に移行するはずで,それもDC600VからAC25kVに切り替わるはずなんですが,結局,どこで切り替わっているのか,さっぱりわかりませんでした......。
この駅を出て,北に少し歩くとブレッチリー・パークに着きます。
ただ,西海岸本線はバーミンガムの前後でいくつかのルートがあり,Bletchleyを通らない列車もあるので,注意が必要です。バーミンガム周辺にいくつも大きな都市があるので,本線が何本にも分岐していて,それらの都市を経由してまんべんなくサービスが行き届くようにしているところはさすがだと思います。
とはいえ,英国鉄の民営化は日本よりも徹底していて,路線のみならず,列車ごとに分社化してしまったので,近年,非常に料金が高くなってしまっています。英国は鉄道は安かったのですけどね.....
London Shpherd's Bush~Bletchely間は幸い,この日,往復でも£20でしたけど,70kmほどの距離で3,800円ほどになりますから,やはり高いです
ここはもとは1883年,自由党の政治家Herbert Leonが建てたヴィクトリアゴシック様式の邸宅です。
ここに,戦時中,ドイツや日本の暗号解読のための研究所が設置されていました。チューリングがいて,亡命ポーランド人が開発した機械式の解読器BOMBEを改良し,エニグマを解読しました。その後,ドイツが暗号が解読されていることに気づいたのか,エニグマの設定を変え,歯車が1枚増えると解読できなくなり,Flowersが世界初のデジタルコンピュータ,Colossusを作ったことは知っていました。
ベネディクト・カンバーバッチがチューリングをやった,"イミテーション・ゲーム" (2014)をご覧になった方も多いと思います。また,この映画に隠れてしまいましたけど, "エニグマ" (2003)と言うそのものズバリ,と言うイギリス映画もあります。こちらは"タイタニック" のケイト・ウィンスレットが出ていますね。ちょっと地味で真面目な彼女もとても美しいです。
残念ながら,どちらも映画ではBOMBEが主体で,あまりColossusのことは出てこないのですが,実は,このColossusは2007年に復元され,実際に稼働する状況だということを聞いていたので,ぜひ,一度,見てみたい,と思っていました。
iruchanは,ずっと,BOMBと思っていました。発音は同じですが,BOMBEはいわゆるボンベのことです。
とはいえ,動いているときにカチカチと時計のような音がして,解読終了間近になると歯車が1個ずつ停止していくので,時限爆弾のように聞こえたから,と言う話もあり,それだったらBOMBじゃないのか,って思いますけどね.....。
Bletchley Parkのビジターセンターの横を歩いて,駐車場の奥になります。もし,時間がない,という人はこちらだけでもいいと思います。
本部とでも言うべき建物です。ここで出退勤管理や事務処理をしていました。
もとのHut 4の建物を利用しています。いかにも軍用施設,という感じがいいですね~。
iruchanも大好きなFish & Chipsを頼みました。やっぱ,ここではドイツ野郎のFishを食べないとね~~
でも,日本人だともう,これでお腹いっぱい,なんですけど.....。
英国や米国のレストラン行くと,注文したあとに必ず,"Anything else?" って聞かれますけど,ここで,"Yes" なんて答えると後悔します。食べきれませんってば。
でも,実際,周囲にいるイギリス人のオヤジを見ると,たいてい,ハンバーガーなんかも頼んでいたりしてビックリ。そりゃ,太るわなぁ~~
といって,前の日にもFish & Chipsを食べたのですが,魚は失敗。
前日はCodfishを食べたので,今日は別の魚にしよう,と思って,Haddockにしたら,どう見ても同じ。
何のことはない,Codはタラで,Haddockはコダラでした......
やっぱ,英語は勉強しないといけませんね......。
ほかにも,Plaice(オヒョウ)やSkate(ガンギエイ)やRay(エイ)なんて魚も使うようです。エイなんて食べるの~って感じですけどね。今度,こいつらを注文してみよう,と思います。
ここは中はなにも展示はなく,建物そのものの様子を見学するところのようです。
ここにチューリングらの科学者達が集まって,ビリヤードや宴会,芝居などが開催されたようです。要は福利厚生施設ですね....。
戦争中に科学者達の慰労を考えるような国と戦争をするべきではありません。
今度はBletchley Parkを出て,駐車場の奥にある,コンピュータ博物館を見学します。
ブレッチリー・パークはBOMBEまでですが,Colossusはこちらに展示されています。
簡単に言えば,Bletchley Parkは施設や人,歴史を見るためのソフトの博物館で,実際に解読した機械などのハードを見るにはこちら,という感じでした。
こちらはコンピュータ博物館で保存されているSZ42です。
解説にも,ホームページにも何にも書いていませんけど,右のテレプリンターはCNNに出ていますが,2016年にeBayに出て,この博物館がたった£9.50で入手したそうです。左の本体はノルウェーのオスロで保存されているものを長期借用しているようです。世界中に数台しかないようなので,写真を撮っておいてよかったです。
Lorenzの暗号を使った通信ネットワークが欧州に張り巡らされていました。ブレッチリー・パークでは,▲のような受信機で傍受し,モールス信号を18mmの紙テープにさん孔してHeath RobinsonやColossusに読み込ませます。
▲の無線システムの横に展示してありました。テープ読み込み部はColossusとそっくりです。
とはいえ,送信手によって,●と━の長さが異なるし,同じ送信手でも毎回,微妙に異なるはずですから,これらを0と1に対応して読み込ませるのは今でも結構,面倒な問題と思ったら,独軍はすでにテレプリンターに移行していて,5ビットで文字を送信する仕組みになっていたそうです。
真空管2,500本,消費電力9.5kWというのに驚きます。
ドイツ軍の暗号文を5bitの紙テープとして読み込みました。5bitなら,ドイツ語のアルファベットがカバーできるわけですね。
紙テープには横に5個,穴が開くようになっていて,かなりの高速で回っていました。符号は光電管で読み込みます。
それにしてもよくも当時,これだけの真空管を並べて配線したな,と思うと同時に,1990年代にこれだけ集めたな,と思います。まだ,EF50なんかは入手可能ですけどね.....。とは言え,これだけの数を集めるとなると,もう無理なんじゃぁ,ないでしょうか。
右から,CV105, EF50,6V6,42?, 807と思いますが,左の3本は英国球で型番不明です。
EF50のほか,EF37も使われていて,こういう5極管は論理素子としても乗算回路が構成できるのでわかるのですが,なんで6V6や807なんてパワー管が必要なのか.....。
☆EDSAC
ケンブリッジ大学が戦後,開発した初期のプログラム内蔵型コンピュータのひとつです。1949年に完成しました。
主記憶は水銀遅延線です。また,ウィンドウの中にあるCRTはVCR97と言うやつで,戦時中のレーダー用ですが,メモリの状況をモニターするためのものです。同様に,日本初のコンピュータFUJICは水銀遅延線を使用して成功しています。
CRTをメモリとして使うと,ランダムアクセスができて,実際のメモリの状況が画面に表示されるので,面白いですけど,制御が難しいので,使われていないようです....
使用されている真空管はGT管が多く,戦後の銀色シールドを被ったMG管タイプのEF50が多いようですが,欧州球ばかりのようです。
真空管で論理回路を構成するのは信頼性の面でもコストの面でも無理があると考えられたので,リレーやデカトロンなどの別の論理素子を使うことが考えられました。日本でもリレー式コンピュータはありましたし,パラメトロンなんてのも真剣に検討されましたね。
☆Harwell Dekatron Computer
デカトロンがコンピュータに使われた,というのは聞いていましたが,実物を見るのは初めてです。
デカトロンは放電管の1種で,パルスを1個,入力するごとに別の電極が光るようになっています。エレベータの階数を指示するのを見たことがありますが,電極の電圧を見るとパルスのカウントができます。
これは英Harwell社が1950年に開発したデカトロンコンピュータです。リレーとデカトロンを使っています。
残念ながら,真空管と半導体以外のスイッチング素子を使ったコンピュータは演算速度が遅く,すぐに取って代わられることになります。また,意外に真空管が信頼性が高いことがわかって,IBMなどからもビジネス用として真空管式コンピュータが販売されていますよね。本機も1956年には引退しているようです。
引退後,Wolverhampton大学が譲り受け,Wolverhampton Instrument for Teaching and Computation from HarwellということでWITCH(魔女)と命名されます。なんか,こじつけ.....
☆Gazza Record
さて,今日は一日,ロンドンを離れていましたけど,ホテルに帰る前に,一軒,寄っておきたいお店があります。
Bletchleyの隣りのLeighton Buzzardという街に中古レコード屋さんがあり,iruchanが探していた,Coleman Hawkinsのレコードがありました。
Discogsで見つけたので,注文し,引き取りは現地でお願いしていました。
Bletchleyからひと駅,Euston駅行きの電車に乗り,下車しました。Leighton Buzzardは人口3万5000人の小さな街ですが,中心部にマーケットがあり,とても賑わっています。
なぜか駅は無人駅。その割にたくさんの人が待合室で待っていますし,売店も開いています。時間や曜日によっては駅員さんがいるのかもしれませんけどね。電車は多く,頻繁にロンドンやバーミンガムなどへ行く電車が停まり,なかなか便利そうです。
駅からちょっと歩いて,人1人しか歩けないような細い道を歩いたりして,Gazza Recordに着きました。
レンガ作りの元は倉庫? らしき建物です。周囲に溶け込んで美しいですが,溶け込みすぎて,最初,通り過ぎちゃいました....。
最近,やはりレコードが若い人にも人気があり,英国でも同じようで,訪ねてみたら,若い女性が頼んだレコードを引き取りに来ていました。
とても小さなお店でしたけど,パンクやレゲエのレコードが一杯。
店主のGaryさんは本当に音楽が大好き,という陽気なおじさんでした。
店主と顔なじみの常連さんが大歓迎してくれました。その常連さんはマドンナのファンらしく,彼女のレコードを買って帰りました。iruchanも高校生の頃,マドンナよく聴いていたな~。
美味しいエスプレッソをいただいて,Coleman Hawkinsと,ついでにPeggy Leeのベスト盤を買って帰りました。
米盤が1961年に出ていますけど,その5年後に出た英盤の方が断然音がよかったです。
帰ってきて,自宅のシステムで聴いてみました。Garrard 301で聴くとサイコ~
再び,Leighton Buzzardの駅からEuston駅行きの電車に乗り,ホテルに戻りました。
例によって,欧州の列車は最高速度100マイル/時なので,160km/h! 通勤電車でもものすごく速いです。
某JRの新快速も真っ青のスピードで,断然,英国の各停は速いです。某JRの中央線の鈍足じゃなかった,快速なんか,氏ね! ですね~
今日は久しぶりに夕日がきれい。ずっと滞在中,曇りでしたし,夜は必ず雨が降るし,日中も時折,ザーッと雨が降る,という冬のロンドンの陰鬱な天気でしたけど,明日はようやく晴れるみたいです。
なんか,最終日だけ晴れる,という皮肉な天気でしたが,行きたいところには全部行けたし,大満足です。
さよならAMラジオ~送信所めぐり~その18:NHK 川口放送所跡~ [ラジオ]
2024年4月6日の日記
先週,文化放送の川口送信所が川口桜まつりで施設内が公開されたので,見学してきました。
その後,3kmほど離れたNHKの鳩ヶ谷放送所跡地を訪ねてきましたが,そこから1kmほど離れた川口放送所の跡地と,そこにできたNHKアーカイブスを訪ねてきました。
鳩ヶ谷放送所は日本放送協會が1937年に建設した東京第2放送用の送信所で,戦後も,1983年3月に埼玉県南埼玉郡菖蒲町(現久喜市)に建設した,菖蒲久喜ラジオ放送所に移転するまで,送信されました。
一方,第1放送の方は,経緯が複雑で,1937年にここに移転する予定だったのですが,折から日中戦争が勃発し,戦時中は対中防圧放送を行っていました。いわゆるジャミングですね。
戦後も,今度は米軍が接収してFENとして利用されたりして,ようやく東京第1放送が開始されたのは正確な年は不明ですが,和光市にFENの送信所ができて接収解除されたのだと思います。
残念ながら,ここも1982年3月に菖蒲久喜ラジオ放送所に移転し,新たに予備の鉄塔を建設して,その後,しばらく予備放送所として活用されていましたが,2014年3月に停波し,鉄塔も解体されています。
川口市周辺は,NHKを初めとして,先ほどの文化放送の送信所や,TBSの戸田送信所や日本短波放送の戸田送信所(長柄送信所に移転)など,送信所が数多くあり,立地的にどこも川が近くて湿地が多いのと,都内からの自動車による交通が便利,という観点から選ばれたようです。緊急時には自動車で駆けつける,ということが選定理由ですが,先日,ロンドンに行ったときに調べましたけど,北部のアレクサンドラパレスが最初のTV送信所となった理由が自動車交通でした。
さて,ここはすでに送信所の話は昔々の話となり,川口市立科学館が立地するなど,同市の文化交流拠点として活用されています。
ここは東京タワー完成まで,日本一の高さを誇った鉄塔が存在しているなど,一度,行ってみたい,と思っています。また,鳩ヶ谷放送所はすでになんの遺構も残っていませんが,ここはまだ,鉄塔基部やアンカーのコンクリート構造物が残っていますので,見てみたい,と思います。
ただ,いずれもすでに工事が始まっていて,消滅するのは時間の問題,と思います。
NHKアーカイブスへは,川口駅,西川口駅,鳩ヶ谷駅からバスに乗り,川口市立高校で降りればすぐ,なんですけど,iruchanは蕨駅から新井宿駅行きのバスに乗り,上青木5丁目で降りました。ここで降りるともとの送信所の北端で,ここにアンカーが残っています。
もとは北足立郡青木村だったので青木の地名が残っていますが,1933年に川口町などと合併し,川口市となっています。早くから発展したところだったのですね。
川口放送所は南北に2基,高さ312.78mという,巨大なトラス式の鉄塔がそびえていました。
2基ある,というのはこれらの間にワイヤーを連結し,中点から給電する,というT型アンテナだったためで,この場合,鉄塔自体は新郷放送所同様,接地する必要はないのですが,ここは大地とは絶縁されていたようで,文化庁の文化遺産オンラインのwebを見ると,小型の碍子をたくさん使用して,地面から浮かせてあったようです。
その中に,中央の給電部付近の写真も出ています。横に整合器室がありますね。細長い絶縁碍子で給電用のリード線が浮かせてあることがわかります。
驚いたことに,南塔の頂部には気象観測機器も設置されていたそうで,そのためエレベータが設置されていたそうです。
最北端にある,旧北塔のアンカー部
周囲は民家に囲まれ,非常に狭い敷地がNHK所有になっています。菜の花が咲き誇っていました。
ここに300mを超す鉄塔がそびえ立っていました。▲の文化遺産オンラインの写真と同じ場所です。
周囲のフェンスには看板が掛かっていて,SKIPシティC1街区施設の建設工事の計画が記されていましたが,せめて歴史的遺産として,モニュメント的にでも残していただきたい,と思います。
鉄塔の代わり? に生えている木はクスノキだと思います。誰かが植えたわけじゃなく,鳥が運んできた種から自生したのでしょう。放っておくとこのように大木になるので,庭に生えたりしたら要注意です
もう,高圧はかかっていないんですけどね......。
南半分は立派な施設が建設されていますが,北側はまだ広い空き地が広がっています。
一番南にあるNHKのアーカイブス。ここにNHK設立以来のビデオ,フィルム,レコードなどの音源が収蔵されています。
2Fにライブラリーがあり,それらの資料映像を見ることができます。過去のNHKの番組が無料で見られてとても楽しい場所です
☆川口放送所の変遷
おそらく早朝に米軍が撮影した写真だと思います。長い影が2つ鉄塔→から伸びていますね。
たぶん,アメリカはここに放送設備があることくらい,百も承知だったでしょう。戦後に利用することを考えて,爆撃をしなかったのではないでしょうか。占領後,宣撫工作が必要ですしね.....
中央に給電点があり,整合器を納めた小屋が見えます。なお,その付近に斜めの線が見えますが,鉄塔の影ではなく,川か用水路か,と思うのですが,単なる道かもしれません。
→が送信所の局舎です。最近まで残っていたようですが,現在はB-SAT川口衛星管制センターが置かれ,巨大なパラボラアンテナが設置されています。
局舎の北に,小さな四角が見えますが,職員用の社宅ですね。
全然関係ないですけど,iruchanが生まれた街に古い工場があり,子供の頃,その社宅がありましたが,社宅と言っても今の団地形式ではなく一戸建てでした。このNHKの社宅も同様の戸建ての社宅でしょう。
大きくは変わっていません。占領解除後なのですが,なぜかまだ米軍が撮影したものです。
地面をめくり返していると思いますが,アース工事かと思います。
やはり巨大な鉄塔に驚きます。一度,見てみたかった,と思います。
老朽化のため,先に北塔が解体されました。
この頃,代替措置として,南塔からワイヤーを斜めに伸ばし,北塔の基部に接続して送信していたようです。
驚いたことに鉄塔が2つとも消えています。この後,真ん中に予備の高さ110mの鉄塔が建設されるのですが,一時的に鉄塔がないという状況があったようです。
この間,予備の設備はどうしていたのでしょうか。西浦和の新開放送所が建設されるのは2002年のことですしね。
中央に建設された,110mの予備の鉄塔がよく見えますね。NHK川口予備放送所と名乗っていました。
まだもとの送信所の局舎は残っています。戦前様式の立派な建物だったようで,ドラマの撮影などに活用されたらしいです。
国土地理院のサイトで公開されている最新の写真です。
SKIPシティが建設され,NHKアーカイブスも建設されました。
今残っている遺構は北塔の基部とアンカーが1基のみです。
今日,調べてみたらすでに工事も始まっていて,基部が消えるのも時間の問題,と思いましたが,どうなるかは不明です。
今昔マップ on the webから。同じ範囲の1967年の地図です。南北に鉄塔が2基,記載されています。
☆ ☆ ☆
iruchanは嫁はん連れてNHKアーカイブスへ行きました。
1992年放送のNHKスペシャル "キューバ危機~戦慄の記録・十月の悪夢~" が見たかったのですが,残念ながら公開されていませんでした。聞いてみると,どうも権利の関係で公開できない映像がある,とのことでした。
まあ,それは当然のことでしょうし,使用している一部の映像の権利者が公開を承認していないのでしょう。
この番組,見たとき非常に驚き,また,とても印象深いので,もう一度,見たい,と思っているのですが,以後,一度もBSなんかで再放送されたことがありません。
核戦争を描いたSF映画というのはたくさんあるのですけど,これは実話ですからね......。一歩間違えば,われわれは今,生きていませんね。
ということで,今度はその前年に放送された,"電子立国日本の自叙伝" をもう1回,見ました。
これ,いい番組でしたよね~。
iruchanはこれを見てエンジニアになろう,とは思いませんでしたが,というより,それより前に決めていましたけど,結局,チェンジニアになっただけ......でした
嫁はんは大昔の紅白歌合戦や大河ドラマを見ていました.....
さて,それにしても,"電子立国" の頃は日本も半導体で世界を席巻していたのですけれど,あれから30年,台湾企業に,うちに来てください.....って訳で多額の補助金を出して来てもらう,なんて状況です。
驚いたことに,補助金は総額1兆2000億円だそうです.......。
なんかな~~,って思うのはiruchanだけでしょうか。
そもそもtsmcが日本で作るのは最先端の半導体じゃなく,一世代も二世代も前の古い半導体ですし,また,すでに大量の地下水を取水するため,農業への多大な影響が懸念されていますけど,それだけじゃなく,洗浄に使われるPFASなどのフロン系洗浄剤も心配です。なにより,この会社,ガードが堅くて,従業員に箝口令を敷き,過剰に秘密を守り,社内の情報が適切にディスクローズされるわけでもなく,ある意味,ブラック企業ではないでしょうか。
補助金は税金が財源なわけですから,日本企業に出資して,最先端の半導体を作らせる方が税金の使い道としては適切,と考えます。
とはいえ,一方,日本の半導体産業の凋落ぶりはひどく,世界シェアはかつては80%を越える状況でしたが,いまじゃ,10%そこそこです。tsmcのような最先端の半導体を作る技術はもうありません。まあ,SiCなどのパワー半導体やソニーのC-MOS映像センサなど,日本企業が強い分野はまだ残っていますが,韓国企業も力を入れているし,インドも力をつけてきているので,将来,低コスト,高性能で攻めてこられるとやばいんじゃ,ないでしょうか。
半導体メーカがと経産省がきちんと将来を見据えて適切に投資,経営していればこんなことはなかったんじゃないでしょうか.....
そう考えながら,帰りの電車に乗りました.....
さよならAMラジオ~送信所めぐり~その17:文化放送・川口送信所,NHK 鳩ヶ谷放送所跡~ [ラジオ]
2023年3月30日の日記
昨年10月に,埼玉県川口市にある,文化放送川口送信所を訪問しました。
今日は,川口桜まつりで送信所の門が開いて,一般市民に開放される日なので,行ってきました。
毎年,2日間だけ,送信所が開放され,桜を見ることができます。今年,5年ぶりに開催されたそうです。
まるでアレンデール城だな.........
初日の昨日は大雨でしたが,今日は晴れて賑わっていました。主催者の皆様,どうもありがとうございました。
残念ながら,桜は全然で,この木だけ,咲いていた,という感じで,ほとんどの木はまだつぼみのままでした。
また,ここは前回も書きましたとおり,1928年に埼玉県北足立郡新郷村に日本放送協會が建設した,新郷(しんごう)放送所で,第1放送が870kHzでここから送信されていました。また,1931年には第2放送が開設されています。これらの遺構を探してみたい,と思います。
NHKは今も,送信所は放送所と名乗っています。
さらに,戦時中,爆撃を避けるため,隠蔽放送局と言って,地下に送信設備が設けられているらしく,また,現存するようで,過去,調査されたこともあるようです。
詳しくはいつもお世話になっている内尾悟さんのラジオ工房の記事をご覧ください。
本当言うと,1937年には,第1放送は新設の川口放送所および第2放送は鳩ヶ谷放送所へ移転する予定だったのですが,7月に日中戦争が始まったこともあり,第1放送は引き続いて新郷送信所から発信されることになりました。第2放送は予定通り鳩ヶ谷に移転しますが,これは,新郷放送所からの第2放送は予備の送信機を使ったもので,鉄塔も共用していたため,と思います。
で,その川口放送所は何をしていたのか,というと.....,
対中防圧放送を実施していました。いわゆるジャミングですね。
ジャミングって,iruchanは冷戦時代を経験しているのでよく知っていますが,短波のBCLラジオなんか,よくあって,他国の放送を自国民に聞かせないため,雑音を流していたもので,ソ連や中国のジャミングが聞こえました....。
ただ,この川口放送所の場合は,中国の放送を妨害して中国内で聞きにくくするためのものです。
ちょっと確認できていませんが,米国のVOAなどの放送を日本政府が妨害していたか.....というと,そういう話は聞きませんね。国民には聞かないように,と徹底させ,短波受信機は禁止されていたので,こういう方法で聞かせないようにしていたと思います。
もっとも,こっそり短波受信機を作って聞いていた人はいたようですけどね。見つかると憲兵に連れて行かれます.....
ただ,一橋大の先生が書いた論文がネットに出ていて,それを読むと,日本で自国民向けのジャミングをしていなかったのは,そもそも太平洋地域では中波の電波が届かないので,必要なかった,というのと,電波の発信地点が文字通り,B29に対して電波標識になりかねない,ということだったようです。
もっとも,さすがにサイパン陥落後,中波でもVOAが聞こえるようになると,不都合な真実を国民が知ってしまわないようにするため,各地の放送局がジャミングを始めたようです。う~~~ん。
戦後,NHKは本来の計画通り,第1放送を川口放送所へ移転させ,空いた新郷放送所を文化放送が譲り受けた,というわけです。
ちなみに川口放送所も鳩ヶ谷放送所もいまは埼玉北部の菖蒲久喜ラジオ放送所に移転していて,どちらも廃止されています。
さて,京浜東北線川口駅東口から,サンテピア行きのバスに乗り,観音橋のバス停で降りると近いです。前回はレンタサイクルで行きましたけど。
現地は天気がよく,結構賑わっています。出店も出ていたり,カラオケ,歌謡ショーもありました。
残念ながら,今年は2月はすごく暖かかったのに,3月は寒気が入って非常に寒く,もう30日というのに桜は咲いていません。ごくわずかに数輪だけ咲いている,という感じでつぼみはまだ堅そうでした......
文化放送の送信所については,知っている人も多いようで,皆さん,送信所の写真も撮っていました。
いつもは閉鎖されている鉄の白い扉の奥にまっすぐ道が延びていますが,その終わりで左側に白い壁があり,そこに文化放送送信所と銘板がありました。
これが,旧新郷放送所の正門で,この奥に局舎がありました。正面には車寄せもある,大きな2階建ての建物だったようです。この局舎は文化放送も1980年代まで使っていたようです。もとの局舎はその後も倉庫として使われていたらしいのですが,最近,取り壊されました。
それで,この正門は今の正門とは異なる位置にあるわけ,ですね......。
旧局舎の跡地はきれいに整地され,今日の桜まつりでは臨時の駐車場として使われていました。
アンテナは文化庁の文化遺産オンラインWEBにあるように,東西に2基ある鉄塔のてっぺんに舟型のウィングが出ていて,そこからワイヤーを張って中点から給電するT型アンテナだったようです。
短波だとラジオNikkeiの送信アンテナのように,この形式が多いのですが,中波の送信所では珍しく,NHK京都放送局くらいしか知りません。それも2015年2月に大阪の美原放送所と統合されて廃止になっています。
日本では中波の送信所は基部絶縁支線式の鉄塔が多いのですが,戦前は基部に設置する磁器製の絶縁碍子の技術がなく,NHKも最初の愛宕山の送信所のアンテナも同じT型アンテナです。
戦後,民放が設立されると,日本文化放送が設備を譲り受け,ここから送信を開始します。開局は1952年3月31日で,周波数1310kHz,出力10kWでした。
なお,1953年8月15日に1130kHzに移動し,現在は1134kHzになっています。ちなみに1130kHzはもとのラジオ東京(現TBS)の周波数で,TBSも玉突きで950kHzに移動しています。
このときの鉄塔の位置がよくわかりません。波長が違うので,旧新郷放送所のT型アンテナを利用したわけではなく,別途,鉄塔を建設したはずです。
現在の鉄塔は1950年代に建設されたもののようです。1954年3月31日に50kWに増力しているのですが,そのときではないか,と考えたのですが▼の銘板を見るとその後のようです。また,1971年11月1日には100kWに増力していますが,国土地理院の空撮写真を見ると1968年には現在の位置に鉄塔が確認できますので,100kW増力時は50kW化前に更新された鉄塔のまま,増力したようです。
現在の鉄塔の情報については,入口に看板があり,前回,撮影しました。今回は一番上の写真のように,桜まつりの看板で見えませんでした。高さ136.69m,鋼管柱三方8段支線式と書いてありました。ほぼ,1310kHzの1/2λとなっていますね。
また,主塔の下部にステンレス? 製の銘板がありますね~。
うっかり,撮影時に気がつきませんでした
JOQR株式会社文化放送,高さ1?6.??m,昭和?2年と書いてあるように読めます。おそらく,昭和32年ではないかと......。とすると1957年ですから,50kW増力後のようです。
さて,iruchanは数少ない桜を見ながら,いろいろ周囲を散策させていただきました。
まずはいつもは閉まっている白い扉の奥,送信所まで行く間の道の脇にアンカーが見られます。支線式鉄塔の支線を固定するためのコンクリートブロックです。普通,3方向にブロックを設置するのですが,ほかにもありましたので,どこかに鉄塔の基部があるはずです。
と思ったら,やはり円筒形の基部と思われるコンクリートの柱がありました。
iruchanはこれが日本文化放送開局時の鉄塔基部ではないか,と考えています。
日本文化放送が最初に建設した鉄塔のうちの1基ではないでしょうか。
文化放送の社史に63mの鉄塔3基を建てた,と記述があり,出力が小さいことから指向性を持たせ,都内の電界強度を確保したのか,と思いましたが,軸線とは直角方向に指向性が出ると思いますので,関東平野の東西方向にエリアを広げようとしたようです。ちなみに,送信機はRCA BTA-10型ですが,1954年3月50kW増力時は東芝製に代わりました。
▼の空撮写真でかろうじて3基,鉄塔が見えますが,おそらく一番南の鉄塔基部と思います。
大きい方は現在の鉄塔用のアンカーで,小さい方が文化放送の開設当初の鉄塔用と考えています。小さい方は位置は現在の鉄塔用とほとんど同じですが,角度が異なり,現在の鉄塔の南側を向いています。
いくつか,コンクリートの土台が残っていました。ここは本局舎ではなく,なにか別の建物の基礎のようです。
どこかに隠蔽放送所の入口があるはずですが,2001年8月に調査された後,埋め戻されたようです。
☆新郷放送所&文化放送川口送信所の変遷
過去の今昔マップ on the webや1/25000地図や国土地理院の空撮写真で確認することができます。
開設直後の地図です。鉄塔が2基,東西に確認できます。この鉄塔を使ってワイヤーを張り,中央の局舎へ降ろして給電したようです。出力は10kWで,関東一円に鉱石ラジオで聴取できることを目指しました。
なんで鉱石ラジオか,というと,真空管式は高かったので,庶民でもなんとか買える鉱石ラジオでラジオが聴けることを目指したようです.....。
戦後の1947年の地図もありますが,道路が少し変わったくらいでなにも変わりません。
文化放送に移行後の地図です。局舎はもとの新郷放送所のままです。鉄塔の位置は現在と同じ位置です。
新しく,現在の局舎が建設されましたが,旧局舎が倉庫として利用されていた時代,と思います。
驚いたことに,1936年に帝国陸軍? が撮影したらしい空撮写真がありました。
解像度が低く,鉄塔は確認できません。
戦争末期になりますが,終戦の玉音放送もここから送信されたようですので,設備は無事だったようです。
戦後は占領中に米軍が日本各地を撮影しまくったようで,各地の空撮写真が大量に残っています。
どうも,新郷放送所の2基の鉄塔は地図では局舎の背後(北側)にあるのですが,空撮写真に写っている影→は対角の位置にあるように見えます。
もう占領下ではないのですが,国土地理院のサイトでは米軍撮影となっています。
ともあれ,なんとか鉄塔3基が見えます。容量環をもった,基部絶縁型の鉄塔のようで,北北東~南南西方向に並んでいるようです。一番南の鉄塔基部と,アンカーが現存するようです。中央の鉄塔基部は,新しい鉄塔の基部とほぼ同じで,鉄塔更新時に撤去されただろう,と思います。北の鉄塔基部は現在の局舎の裏に現存するようですが,未確認です。
おそらく,旧新郷放送所の鉄塔は邪魔なので撤去されたはずで,実際,写っていないのですが,文化放送のサイトには旧鉄塔をバックに記念撮影した写真も出ていますので,結構,最後まで残っていたようです。
1954年3月の50kW増力後も,この3本の鉄塔から送信されました。
現在の鉄塔が見えます。局舎はまだ新郷放送所のもののようです。
となりに中学校(川口市立東中学校)ができました。ただ,同校のwikiをみると,開校は1978年のようですから,まだ建設中の様子かも知れません。
今の局舎の位置がきれいに整地され,建設が始まるようです。桜の木が植えられたようですけど,まだ低いですね。今,咲いている桜はこの頃,植えられたようです。
新局舎が完成しましたが,旧新郷放送所の局舎も残っています。桜の木がずいぶん成長しました。
旧新郷放送所の局舎が取り壊されたようです。
ほぼ現在の状況と思います。
☆鳩ヶ谷放送所跡
さて,新郷放送所から,北東に3kmほど離れた旧鳩ヶ谷市里に鳩ヶ谷ラジオ第2放送所がありました。ここから,NHK東京第2が1983年3月まで送信されていましたが,翌年には撤去されたようです。
現在,跡地は北側は鳩ヶ谷高校,南側は里土地区画整理事務所があり,テニスコートがありますが,実質的に空き地で,将来,なにか開発されるもの,と思います。
残念ながら,周辺の道路が旧送信所の形状になっているくらいで,鉄塔の基礎など,これと言った遺構はなにもなくなっています。
西に第1放送の川口放送所があります。こちらは今は川口アーカイブスとなっています。周囲の道路の形も非常によく似ていますね。
どちらの放送所も当時の写真を見ると,通常の基部絶縁支線式鉄塔のように見えますが,そうではなく,▲の新郷放送所同様,T型ワイヤーアンテナで,2基の鉄塔は単なるワイヤーの支柱となっていて,中間から給電するタイプのようです。ということは2基の鉄塔は大地とは絶縁されず,接地されていたもの,と思います。鉄塔は高さ206.34mですが,川口放送所の方は312.78mもあり,東京タワーができるまで,日本最高の高さを誇っていたそうです。また,高さ110mの予備の鉄塔が中央に設けられ,川口予備放送所として運営されますが,これも2002年に浦和に新開放送所ができると,お役御免となり,解体されました。
☆鳩ヶ谷放送所の変遷
こちらも戦前からの送信所で,歴史的価値も高いので,振り返っておきたい,と思います。
戦時中に米軍が撮影した空撮写真があります。通信施設は最重要軍事拠点のひとつですから,偵察していたのでしょう。南北に2本の鉄塔が見えます。南端に局舎があります。
戦後,米軍は占領を開始しますが,おそらく,将来の日本の反攻を恐れたのか,共産化することを恐れたのか,その間,どうも日本中を撮影しまくったようで,何ら施設も民家もない山の中なんかの空撮写真がありますが,やはり関東地区は重要拠点なのか,大量に写真があります。
戦争に負けるとこうなる,ということですね.....
目立つのは中央のおおきな円形の部分ですが,グランドサークルですね。アースを取るため,電線を地中に埋め込むための敷地ですが,なにか工事中のようです。
中心にあるのは送信機や整合器を納めた小屋で,ここでアンテナの他端を接地するのですが,影を見ると,どうもかなり背の高い建物のようです。
2本の鉄塔および中央の整合器箱が見えます。
鉄塔は中央の1本のみになりました。
グランドサークルに草が生えている状況がわかりますね。芝川も拡幅されたようです。
送信所も廃止となり,鉄塔や局舎も撤去されています。北側に鳩ヶ谷高校が設立されました。同校の開校は1年前ですが,まだグラウンドが整備されていないようです。
しかし,それにしても周囲の変わりようにはびっくりします。最初,全然違う場所か,と思ったくらいです。
北西角のイオンモールは建設中ですね。
南側は現在とほぼ同じ状況で,テニスコートがありますが,またなにか,建設されるでしょう。
電柱番号はNHKと標識がついていました。
残念ながら,ここから芝川を渡って,南西に1.7kmほど歩くとNHKの川口放送所跡に着くのですが,疲れたので今日は埼玉高速鉄道の鳩ヶ谷駅から帰途につきました。
直線距離だとたった500mほどなんですけど......途中に芝川があるため,歩くと結構な距離です
ここはNHKアーカイブスが置かれ,見学できますので,また一度,ゆっくり訪問したい,と思います。
さよならニッポン放送・AMステレオ放送 [ラジオ]
2024年4月1日の日記
いつの日か来る,と思っていましたが,とうとう,今日の午前1時にニッポン放送のAMステレオ放送が終了しました。
1991年4月に米モトローラ社の開発した,C-QUAM方式により,日本のAM放送がステレオ化され,在京3社のほか,北海道から九州まで,全国で導入されましたが,2007年の九州朝日放送が最初に撤退し,東京では2012年に文化放送が撤退して,その後はニッポン放送のみ,と言う状況になっていました。
理由はやはりAMステレオ対応の受信機が高価なため,あまり売れなかったことでしょう。そもそもNHKが実験には参加したものの,導入を見送ったことも受信機が売れなかった理由,と思います。それに,先日,英国へ行ったときに感じましたけど,政策でFMのデジタル化(DAB)をしたノルウェーをのぞき,欧州ではDABが普及せず,撤退した国もあるくらいで,アナログFMが今後も継続する見込みです。これも,やはり受信機が高価で売れなかったことが原因のようですけど,基本的に,やっぱりラジオって新技術は難しいのだな,と痛感しています。また,AMステレオの場合は,そもそもAMなのでノイズの問題は回避できず,「ノイズまでステレオで聞こえる」なんて悪口を書く人もいました。
それにしても,大部分の民放が撤退した後も,ずっと昨日まで,AMステレオ放送を継続していただいた,ニッポン放送にはとても感謝しています。
このニュースをiruchanが知ったのは先週のことで,ニッポン放送はホームページでも公開していますが,それも3月24日の日付になっていますし,ラジオではほとんど告知していませんでしたね。iruchanが聞いたのは最終日に2回と,それまでに2回だけ,でした。
名古屋の東海ラジオがAMステレオを終了したのが,2012年5月13日で,つづいてCBCがAMステレオを終了したのが,2021年1月10日のことでした。東海ラジオはかなり前から告知していましたが,CBCは,どうもAMステレオ関係の機器が故障したらしく,事前の告知もほとんどなく,突然に近い形で終了したのですですが,ニッポン放送もそのような状況だったのかもしれません。
肝心のモトローラ自体,分社化されてすでになくなっていますし,AMステレオ関係の機器はとうの昔に製造中止で,メーカもモトローラのほか,消えてしまったところも多く,いざ故障しても修理できない,と言う状況ではやむを得ないと思います。
と言う次第ですけど,AM各局がradikoやワイドFMでステレオ放送できるのも,AMステレオ導入時にスタジオの機器をステレオ対応にしたおかげ,という気もするので,決してAMステレオは無駄ではなかった,と思います。NHKがらじる★らじるでモノラルなのは残念ですけど,この辺も影響しているのかもしれません。
☆ ☆ ☆
先週,ずっとiruchanはニッポン放送を聴いて,せっせと録音していました。半年ほど前から,オールナイトニッポンmusic 10を録音していましたしね。この番組,1970年代のフォーク,ロックを主体として,ジャズや懐かしいアイドルソングなどもフルに流していて,とてもよい番組ですね。
もうAMステレオを聴くことはほぼ無理,と言う状況なので,できるだけ,AMステレオの音を残しておこう,と思いました。おかげでiruchanの大好きな曲をAMステレオで録音することができました。残念ながら,松たか子さんの "Let it go~ありのままで~" は録音できませんでしたけど.....music 10では,昨年,7月31日にやっていた,らしいのですけどね.....
さて,昨晩は遅くまで起きて,AMステレオ終了の瞬間を聴きました。
残念ながら,午前1時の放送終了時には東海ラジオと違って,なにもアナウンスはなく,また,いつも4時半過ぎにENYAの曲を流して試験放送がありますけど,それも通常通り(ただしモノラル)で,なにも新しいアナウンスはありませんでした。ただ,なぜか,先週につづいて3時ごろにスーザのマーチなんかを流していたのがちょっと不思議でした。iruchanはこのとき,「なにかある」と予想したのですが,まさか,AMステレオの終了とは思いませんでした。
先週もモノラルでしたから,AMステレオのエキサイターに切替スイッチを設けて瞬時に切り離すとか,何かテストをしていたのでは,と思います。
と言う次第ですけど,3月31日までに流していた,AMステレオ放送終了の告知CMをupしておきます。iruchanが聴いたのは4回だけです
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ソニーSRF-M100 & Moo0で録音
"AMステレオやめます....." ってアナウンスなのに,思いっきりステレオなのがちょっと皮肉ですね......
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2024年4月1日午前1時
昨晩の終了放送です。最後までステレオで放送されていました。時報がL→R→L→RとつづいてL,R同時に放送するのがニッポン放送でした。これも今日からモノラルですね......。
数分後,停波してステレオインジケータも消えました.....
ついでに,朝の開始放送をupしておきます。いつも,ENYAの美しいメロディーに癒やされていました。
今朝も同じプログラムでしたが,モノラルでしたので,せっかくなのでステレオの時のをupしておきます。
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2024年3月11日録音
あの~,この放送,いつも思うんですけど,ど~~聴いても,女性アナは自局のコールサインをJOLSとコールしている気がしますけど......。正しくはJOLFです。
さて,最後になりましたので,元気よくお別れしたい,と思います。大好きな渡辺真知子さんの "かもめが翔んだ日" にしましょう。彼女の圧倒的な歌唱力とボディにはいまもびっくりさせられます。
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イルカのミュージックハーモニー(2024年3月31日)
ほかに大好きな久保田早紀さんの "異邦人" やユーミンの曲も録音できましたけど,ちょっと音源のラジオがソニーのSRF42でバーアンテナが短く,ノイジーだったのでこちらにします。この曲は,お別れの曲だし,最終日の放送でしたしね.....。
余談ですけど,それにしても,自分で詞を作ったり,曲を作って歌うシンガーソングライターがずいぶん減って,今は集団で歌って踊って,という曲ばかりなのは気になります。やっぱ,昔の方がよかった,なんて言うとジジイなんでしょうか....
ニッポン放送の皆様,本当に長い間,今まで,楽しませていただいて,どうもありがとうございました。