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さよならAMラジオ~送信所めぐり~その18:NHK 川口放送所跡~ [ラジオ]

2024年4月6日の日記

先週,文化放送の川口送信所が川口桜まつりで施設内が公開されたので,見学してきました。

その後,3kmほど離れたNHKの鳩ヶ谷放送所跡地を訪ねてきましたが,そこから1kmほど離れた川口放送所の跡地と,そこにできたNHKアーカイブスを訪ねてきました。

鳩ヶ谷放送所は日本放送協會が1937年に建設した東京第2放送用の送信所で,戦後も,1983年3月に埼玉県南埼玉郡菖蒲町(現久喜市)に建設した,菖蒲久喜ラジオ放送所に移転するまで,送信されました。

一方,第1放送の方は,経緯が複雑で,1937年にここに移転する予定だったのですが,折から日中戦争が勃発し,戦時中は対中防圧放送を行っていました。いわゆるジャミングですね。

戦後も,今度は米軍が接収してFENとして利用されたりして,ようやく東京第1放送が開始されたのは正確な年は不明ですが,和光市にFENの送信所ができて接収解除されたのだと思います。

残念ながら,ここも1982年3月に菖蒲久喜ラジオ放送所に移転し,新たに予備の鉄塔を建設して,その後,しばらく予備放送所として活用されていましたが,2014年3月に停波し,鉄塔も解体されています。

川口市周辺は,NHKを初めとして,先ほどの文化放送の送信所や,TBSの戸田送信所や日本短波放送の戸田送信所(長柄送信所に移転)など,送信所が数多くあり,立地的にどこも川が近くて湿地が多いのと,都内からの自動車による交通が便利,という観点から選ばれたようです。緊急時には自動車で駆けつける,ということが選定理由ですが,先日,ロンドンに行ったときに調べましたけど,北部のアレクサンドラパレスが最初のTV送信所となった理由が自動車交通でした。

さて,ここはすでに送信所の話は昔々の話となり,川口市立科学館が立地するなど,同市の文化交流拠点として活用されています。

ここは東京タワー完成まで,日本一の高さを誇った鉄塔が存在しているなど,一度,行ってみたい,と思っています。また,鳩ヶ谷放送所はすでになんの遺構も残っていませんが,ここはまだ,鉄塔基部やアンカーのコンクリート構造物が残っていますので,見てみたい,と思います。

ただ,いずれもすでに工事が始まっていて,消滅するのは時間の問題,と思います。

NHKアーカイブスへは,川口駅,西川口駅,鳩ヶ谷駅からバスに乗り,川口市立高校で降りればすぐ,なんですけど,iruchanは蕨駅から新井宿駅行きのバスに乗り,上青木5丁目で降りました。ここで降りるともとの送信所の北端で,ここにアンカーが残っています。

もとは北足立郡青木村だったので青木の地名が残っていますが,1933年に川口町などと合併し,川口市となっています。早くから発展したところだったのですね。

川口放送所は南北に2基,高さ312.78mという,巨大なトラス式の鉄塔がそびえていました。

2基ある,というのはこれらの間にワイヤーを連結し,中点から給電する,というT型アンテナだったためで,この場合,鉄塔自体は新郷放送所同様,接地する必要はないのですが,ここは大地とは絶縁されていたようで,文化庁の文化遺産オンラインのwebを見ると,小型の碍子をたくさん使用して,地面から浮かせてあったようです。

その中に,中央の給電部付近の写真も出ています。横に整合器室がありますね。細長い絶縁碍子で給電用のリード線が浮かせてあることがわかります。

驚いたことに,南塔の頂部には気象観測機器も設置されていたそうで,そのためエレベータが設置されていたそうです。

北塔アンカー部.jpg 最北端にある,旧北塔のアンカー部

周囲は民家に囲まれ,非常に狭い敷地がNHK所有になっています。菜の花が咲き誇っていました。

北塔基部.jpg 北塔基部。

ここに300mを超す鉄塔がそびえ立っていました。▲の文化遺産オンラインの写真と同じ場所です。

周囲のフェンスには看板が掛かっていて,SKIPシティC1街区施設の建設工事の計画が記されていましたが,せめて歴史的遺産として,モニュメント的にでも残していただきたい,と思います。

鉄塔の代わり? に生えている木はクスノキだと思います。誰かが植えたわけじゃなく,鳥が運んできた種から自生したのでしょう。放っておくとこのように大木になるので,庭に生えたりしたら要注意です[曇り]

警告看板.jpg

   もう,高圧はかかっていないんですけどね......。

北塔敷地Skip C1地区.jpg Skipシティの建設

南半分は立派な施設が建設されていますが,北側はまだ広い空き地が広がっています。

NHK川口アーカイブス.jpg NHK川口アーカイブス

一番南にあるNHKのアーカイブス。ここにNHK設立以来のビデオ,フィルム,レコードなどの音源が収蔵されています。

公開ライブラリー.jpg 公開ライブラリー

2Fにライブラリーがあり,それらの資料映像を見ることができます。過去のNHKの番組が無料で見られてとても楽しい場所です[晴れ]

☆川口放送所の変遷

川口放送所 '44.9.27 893-C2-210s'.jpg 1944年9月撮影

おそらく早朝に米軍が撮影した写真だと思います。長い影が2つ鉄塔から伸びていますね。

たぶん,アメリカはここに放送設備があることくらい,百も承知だったでしょう。戦後に利用することを考えて,爆撃をしなかったのではないでしょうか。占領後,宣撫工作が必要ですしね.....[曇り]

中央に給電点があり,整合器を納めた小屋が見えます。なお,その付近に斜めの線が見えますが,鉄塔の影ではなく,川か用水路か,と思うのですが,単なる道かもしれません。

が送信所の局舎です。最近まで残っていたようですが,現在はB-SAT川口衛星管制センターが置かれ,巨大なパラボラアンテナが設置されています。

局舎の北に,小さな四角が見えますが,職員用の社宅ですね。

全然関係ないですけど,iruchanが生まれた街に古い工場があり,子供の頃,その社宅がありましたが,社宅と言っても今の団地形式ではなく一戸建てでした。このNHKの社宅も同様の戸建ての社宅でしょう。

川口放送所 '56.3.8 USA-M316-30s.jpg 1956年3月

大きくは変わっていません。占領解除後なのですが,なぜかまだ米軍が撮影したものです。

地面をめくり返していると思いますが,アース工事かと思います。

川口放送所 '71.4.23 MKT712X-C1-6s.jpg 1971年4月

やはり巨大な鉄塔に驚きます。一度,見てみたかった,と思います。

川口放送所 '79.11.14 CKT794-C1A-27s.jpg 1979年11月

老朽化のため,先に北塔が解体されました。

この頃,代替措置として,南塔からワイヤーを斜めに伸ばし,北塔の基部に接続して送信していたようです。

川口放送所 '84.9.27 CKT843-C1-25s.jpg 1984年9月

驚いたことに鉄塔が2つとも消えています。この後,真ん中に予備の高さ110mの鉄塔が建設されるのですが,一時的に鉄塔がないという状況があったようです。

この間,予備の設備はどうしていたのでしょうか。西浦和の新開放送所が建設されるのは2002年のことですしね。

川口放送所 '92.10.26 CKT922X-C1-22s.jpg 1992年10月

中央に建設された,110mの予備の鉄塔がよく見えますね。NHK川口予備放送所と名乗っていました。

まだもとの送信所の局舎は残っています。戦前様式の立派な建物だったようで,ドラマの撮影などに活用されたらしいです。

川口放送所 '19.9.10 CKT20192-C13-74s.jpg 2019年9月

国土地理院のサイトで公開されている最新の写真です。

SKIPシティが建設され,NHKアーカイブスも建設されました。

今残っている遺構は北塔の基部とアンカーが1基のみです。

今日,調べてみたらすでに工事も始まっていて,基部が消えるのも時間の問題,と思いましたが,どうなるかは不明です。

川口放送所(赤羽'67.10.10)s.png 赤羽 1967.10.10発行

今昔マップ on the webから。同じ範囲の1967年の地図です。南北に鉄塔が2基,記載されています。

        ☆          ☆          ☆

iruchanは嫁はん連れてNHKアーカイブスへ行きました。

1992年放送のNHKスペシャル "キューバ危機~戦慄の記録・十月の悪夢~" が見たかったのですが,残念ながら公開されていませんでした。聞いてみると,どうも権利の関係で公開できない映像がある,とのことでした。

まあ,それは当然のことでしょうし,使用している一部の映像の権利者が公開を承認していないのでしょう。

この番組,見たとき非常に驚き,また,とても印象深いので,もう一度,見たい,と思っているのですが,以後,一度もBSなんかで再放送されたことがありません。

核戦争を描いたSF映画というのはたくさんあるのですけど,これは実話ですからね......。一歩間違えば,われわれは今,生きていませんね。

ということで,今度はその前年に放送された,"電子立国日本の自叙伝" をもう1回,見ました。

これ,いい番組でしたよね~。

iruchanはこれを見てエンジニアになろう,とは思いませんでしたが,というより,それより前に決めていましたけど,結局,チェンジニアになっただけ......でした[雨]

嫁はんは大昔の紅白歌合戦や大河ドラマを見ていました.....[晴れ]

さて,それにしても,"電子立国" の頃は日本も半導体で世界を席巻していたのですけれど,あれから30年,台湾企業に,うちに来てください.....って訳で多額の補助金を出して来てもらう,なんて状況です。

驚いたことに,補助金は総額1兆2000億円だそうです.......[台風]

なんかな~~,って思うのはiruchanだけでしょうか。

そもそもtsmcが日本で作るのは最先端の半導体じゃなく,一世代も二世代も前の古い半導体ですし,また,すでに大量の地下水を取水するため,農業への多大な影響が懸念されていますけど,それだけじゃなく,洗浄に使われるPFASなどのフロン系洗浄剤も心配です。なにより,この会社,ガードが堅くて,従業員に箝口令を敷き,過剰に秘密を守り,社内の情報が適切にディスクローズされるわけでもなく,ある意味,ブラック企業ではないでしょうか。

補助金は税金が財源なわけですから,日本企業に出資して,最先端の半導体を作らせる方が税金の使い道としては適切,と考えます。

とはいえ,一方,日本の半導体産業の凋落ぶりはひどく,世界シェアはかつては80%を越える状況でしたが,いまじゃ,10%そこそこです。tsmcのような最先端の半導体を作る技術はもうありません。まあ,SiCなどのパワー半導体やソニーのC-MOS映像センサなど,日本企業が強い分野はまだ残っていますが,韓国企業も力を入れているし,インドも力をつけてきているので,将来,低コスト,高性能で攻めてこられるとやばいんじゃ,ないでしょうか。

半導体メーカがと経産省がきちんと将来を見据えて適切に投資,経営していればこんなことはなかったんじゃないでしょうか.....[台風]

そう考えながら,帰りの電車に乗りました.....[曇り]


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