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さよならAMラジオ~送信所めぐり~その17:文化放送・川口送信所,NHK 鳩ヶ谷放送所跡~ [ラジオ]

2023年3月30日の日記

文化放送送信所1.jpg 文化放送川口送信所

昨年10月に,埼玉県川口市にある,文化放送川口送信所を訪問しました。

今日は,川口桜まつりで送信所の門が開いて,一般市民に開放される日なので,行ってきました。

毎年,2日間だけ,送信所が開放され,桜を見ることができます。今年,5年ぶりに開催されたそうです。

まるでアレンデール城だな.........[雪]

川口桜まつり.jpg 川口桜まつり

初日の昨日は大雨でしたが,今日は晴れて賑わっていました。主催者の皆様,どうもありがとうございました。

桜.jpg 桜がほんのわずか咲いていました。

残念ながら,桜は全然で,この木だけ,咲いていた,という感じで,ほとんどの木はまだつぼみのままでした。

また,ここは前回も書きましたとおり,1928年に埼玉県北足立郡新郷村に日本放送協會が建設した,新郷(しんごう)放送所で,第1放送が870kHzでここから送信されていました。また,1931年には第2放送が開設されています。これらの遺構を探してみたい,と思います。

NHKは今も,送信所は放送所と名乗っています。

さらに,戦時中,爆撃を避けるため,隠蔽放送局と言って,地下に送信設備が設けられているらしく,また,現存するようで,過去,調査されたこともあるようです。

詳しくはいつもお世話になっている内尾悟さんのラジオ工房の記事をご覧ください。

本当言うと,1937年には,第1放送は新設の川口放送所および第2放送は鳩ヶ谷放送所へ移転する予定だったのですが,7月に日中戦争が始まったこともあり,第1放送は引き続いて新郷送信所から発信されることになりました。第2放送は予定通り鳩ヶ谷に移転しますが,これは,新郷放送所からの第2放送は予備の送信機を使ったもので,鉄塔も共用していたため,と思います。

で,その川口放送所は何をしていたのか,というと.....,

対中防圧放送を実施していました。いわゆるジャミングですね。

ジャミングって,iruchanは冷戦時代を経験しているのでよく知っていますが,短波のBCLラジオなんか,よくあって,他国の放送を自国民に聞かせないため,雑音を流していたもので,ソ連や中国のジャミングが聞こえました....。

ただ,この川口放送所の場合は,中国の放送を妨害して中国内で聞きにくくするためのものです。

ちょっと確認できていませんが,米国のVOAなどの放送を日本政府が妨害していたか.....というと,そういう話は聞きませんね。国民には聞かないように,と徹底させ,短波受信機は禁止されていたので,こういう方法で聞かせないようにしていたと思います。

もっとも,こっそり短波受信機を作って聞いていた人はいたようですけどね。見つかると憲兵に連れて行かれます.....[雨]

ただ,一橋大の先生が書いた論文がネットに出ていて,それを読むと,日本で自国民向けのジャミングをしていなかったのは,そもそも太平洋地域では中波の電波が届かないので,必要なかった,というのと,電波の発信地点が文字通り,B29に対して電波標識になりかねない,ということだったようです。

もっとも,さすがにサイパン陥落後,中波でもVOAが聞こえるようになると,不都合な真実を国民が知ってしまわないようにするため,各地の放送局がジャミングを始めたようです。う~~~ん[曇り]

戦後,NHKは本来の計画通り,第1放送を川口放送所へ移転させ,空いた新郷放送所を文化放送が譲り受けた,というわけです。

ちなみに川口放送所も鳩ヶ谷放送所もいまは埼玉北部の菖蒲久喜ラジオ放送所に移転していて,どちらも廃止されています。

さて,京浜東北線川口駅東口から,サンテピア行きのバスに乗り,観音橋のバス停で降りると近いです。前回はレンタサイクルで行きましたけど。

現地は天気がよく,結構賑わっています。出店も出ていたり,カラオケ,歌謡ショーもありました。

残念ながら,今年は2月はすごく暖かかったのに,3月は寒気が入って非常に寒く,もう30日というのに桜は咲いていません。ごくわずかに数輪だけ咲いている,という感じでつぼみはまだ堅そうでした......[雨]

文化放送の送信所については,知っている人も多いようで,皆さん,送信所の写真も撮っていました。

いつもは閉鎖されている鉄の白い扉の奥にまっすぐ道が延びていますが,その終わりで左側に白い壁があり,そこに文化放送送信所と銘板がありました。

文化放送送信所2.jpg 正門

文化放送送信所.jpg 古めかしい正門と銘板。

これが,旧新郷放送所の正門で,この奥に局舎がありました。正面には車寄せもある,大きな2階建ての建物だったようです。この局舎は文化放送も1980年代まで使っていたようです。もとの局舎はその後も倉庫として使われていたらしいのですが,最近,取り壊されました。

それで,この正門は今の正門とは異なる位置にあるわけ,ですね......。
旧局舎の跡地はきれいに整地され,今日の桜まつりでは臨時の駐車場として使われていました。

アンテナは文化庁の文化遺産オンラインWEBにあるように,東西に2基ある鉄塔のてっぺんに舟型のウィングが出ていて,そこからワイヤーを張って中点から給電するT型アンテナだったようです。

短波だとラジオNikkeiの送信アンテナのように,この形式が多いのですが,中波の送信所では珍しく,NHK京都放送局くらいしか知りません。それも2015年2月に大阪の美原放送所と統合されて廃止になっています。

日本では中波の送信所は基部絶縁支線式の鉄塔が多いのですが,戦前は基部に設置する磁器製の絶縁碍子の技術がなく,NHKも最初の愛宕山の送信所のアンテナも同じT型アンテナです。

戦後,民放が設立されると,日本文化放送が設備を譲り受け,ここから送信を開始します。開局は1952年3月31日で,周波数1310kHz,出力10kWでした。

なお,1953年8月15日に1130kHzに移動し,現在は1134kHzになっています。ちなみに1130kHzはもとのラジオ東京(現TBS)の周波数で,TBSも玉突きで950kHzに移動しています。

このときの鉄塔の位置がよくわかりません。波長が違うので,旧新郷放送所のT型アンテナを利用したわけではなく,別途,鉄塔を建設したはずです。

現在の鉄塔は1950年代に建設されたもののようです。1954年3月31日に50kWに増力しているのですが,そのときではないか,と考えたのですが▼の銘板を見るとその後のようです。また,1971年11月1日には100kWに増力していますが,国土地理院の空撮写真を見ると1968年には現在の位置に鉄塔が確認できますので,100kW増力時は50kW化前に更新された鉄塔のまま,増力したようです。

文化放送送信所7.jpg 頂部

容量環(キャパシティハット)はありません。ニッポン放送朝日放送など,100kW級の大出力局は容量環がない場合が多いようです。TBSは容量環がついていますけど。

文化放送送信所6.jpg 送信鉄塔基部

現在の鉄塔の情報については,入口に看板があり,前回,撮影しました。今回は一番上の写真のように,桜まつりの看板で見えませんでした。高さ136.69m,鋼管柱三方8段支線式と書いてありました。ほぼ,1310kHzの1/2λとなっていますね。

また,主塔の下部にステンレス? 製の銘板がありますね~。

うっかり,撮影時に気がつきませんでした[曇り]

JOQR株式会社文化放送,高さ1?6.??m,昭和2年と書いてあるように読めます。おそらく,昭和32年ではないかと......。とすると1957年ですから,50kW増力後のようです。

さて,iruchanは数少ない桜を見ながら,いろいろ周囲を散策させていただきました。

まずはいつもは閉まっている白い扉の奥,送信所まで行く間の道の脇にアンカーが見られます。支線式鉄塔の支線を固定するためのコンクリートブロックです。普通,3方向にブロックを設置するのですが,ほかにもありましたので,どこかに鉄塔の基部があるはずです。

と思ったら,やはり円筒形の基部と思われるコンクリートの柱がありました。

文化放送アンカー.jpg 支線のアンカー(南側)

文化放送鉄塔基部?.jpg 開設当初の鉄塔基部?

iruchanはこれが日本文化放送開局時の鉄塔基部ではないか,と考えています。

日本文化放送が最初に建設した鉄塔のうちの1基ではないでしょうか。

文化放送の社史に63mの鉄塔3基を建てた,と記述があり,出力が小さいことから指向性を持たせ,都内の電界強度を確保したのか,と思いましたが,軸線とは直角方向に指向性が出ると思いますので,関東平野の東西方向にエリアを広げようとしたようです。ちなみに,送信機はRCA BTA-10型ですが,1954年3月50kW増力時は東芝製に代わりました。

▼の空撮写真でかろうじて3基,鉄塔が見えますが,おそらく一番南の鉄塔基部と思います。

文化放送アンカー1.jpg 北側のアンカー

大きい方は現在の鉄塔用のアンカーで,小さい方が文化放送の開設当初の鉄塔用と考えています。小さい方は位置は現在の鉄塔用とほとんど同じですが,角度が異なり,現在の鉄塔の南側を向いています。

文化放送送信所5.jpg 旧局舎の基礎跡。

いくつか,コンクリートの土台が残っていました。ここは本局舎ではなく,なにか別の建物の基礎のようです。

どこかに隠蔽放送所の入口があるはずですが,2001年8月に調査された後,埋め戻されたようです。

☆新郷放送所&文化放送川口送信所の変遷

過去の今昔マップ on the webや1/25000地図や国土地理院の空撮写真で確認することができます。

新郷放送所(赤羽'31.12.28)s.png 1931年12月

開設直後の地図です。鉄塔が2基,東西に確認できます。この鉄塔を使ってワイヤーを張り,中央の局舎へ降ろして給電したようです。出力は10kWで,関東一円に鉱石ラジオで聴取できることを目指しました。

なんで鉱石ラジオか,というと,真空管式は高かったので,庶民でもなんとか買える鉱石ラジオでラジオが聴けることを目指したようです.....。

戦後の1947年の地図もありますが,道路が少し変わったくらいでなにも変わりません。

川口送信所(赤羽'67.10.10)s.png 1967年10月

文化放送に移行後の地図です。局舎はもとの新郷放送所のままです。鉄塔の位置は現在と同じ位置です。

川口送信所(赤羽'99.10.1)s.png 1999年10月

新しく,現在の局舎が建設されましたが,旧局舎が倉庫として利用されていた時代,と思います。

驚いたことに,1936年に帝国陸軍? が撮影したらしい空撮写真がありました。

新郷放送所 '36.9.25 B28-C4-92s.jpg 1936年9月

解像度が低く,鉄塔は確認できません。

新郷放送所 '44.9.24 892-C1A-29s.jpg 1944年9月

戦争末期になりますが,終戦の玉音放送もここから送信されたようですので,設備は無事だったようです。

新郷送信所 '48.3.3 USA-M819-44s.jpg 1948年3月

戦後は占領中に米軍が日本各地を撮影しまくったようで,各地の空撮写真が大量に残っています。

どうも,新郷放送所の2基の鉄塔は地図では局舎の背後(北側)にあるのですが,空撮写真に写っている影は対角の位置にあるように見えます。

川口送信所 '56.3.10 USA-M324-430s'.jpg 1956年3月

もう占領下ではないのですが,国土地理院のサイトでは米軍撮影となっています。

ともあれ,なんとか鉄塔3基が見えます。容量環をもった,基部絶縁型の鉄塔のようで,北北東~南南西方向に並んでいるようです。一番南の鉄塔基部と,アンカーが現存するようです。中央の鉄塔基部は,新しい鉄塔の基部とほぼ同じで,鉄塔更新時に撤去されただろう,と思います。北の鉄塔基部は現在の局舎の裏に現存するようですが,未確認です。

おそらく,旧新郷放送所の鉄塔は邪魔なので撤去されたはずで,実際,写っていないのですが,文化放送のサイトには旧鉄塔をバックに記念撮影した写真も出ていますので,結構,最後まで残っていたようです。

1954年3月の50kW増力後も,この3本の鉄塔から送信されました。

川口送信所 '61.6.2 MKT613-C20-27s.jpg 1961年6月

現在の鉄塔が見えます。局舎はまだ新郷放送所のもののようです。

川口送信所 '75.1.11 CKT7415-C16B-6s.jpg 1975年1月

となりに中学校(川口市立東中学校)ができました。ただ,同校のwikiをみると,開校は1978年のようですから,まだ建設中の様子かも知れません。

今の局舎の位置がきれいに整地され,建設が始まるようです。桜の木が植えられたようですけど,まだ低いですね。今,咲いている桜はこの頃,植えられたようです。

川口送信所 '84.9.27 CKT843-C1-29s.jpg 1984年9月

新局舎が完成しましたが,旧新郷放送所の局舎も残っています。桜の木がずいぶん成長しました。

川口送信所 '10.12.9 CKT20109-C1-85s'.jpg 2010年12月

 旧新郷放送所の局舎が取り壊されたようです。

川口送信所 '19.9.10 CKT20192-C11-45s.jpg 2019年9月

  ほぼ現在の状況と思います。

☆鳩ヶ谷放送所跡

さて,新郷放送所から,北東に3kmほど離れた旧鳩ヶ谷市里に鳩ヶ谷ラジオ第2放送所がありました。ここから,NHK東京第2が1983年3月まで送信されていましたが,翌年には撤去されたようです。

現在,跡地は北側は鳩ヶ谷高校,南側は里土地区画整理事務所があり,テニスコートがありますが,実質的に空き地で,将来,なにか開発されるもの,と思います。

残念ながら,周辺の道路が旧送信所の形状になっているくらいで,鉄塔の基礎など,これと言った遺構はなにもなくなっています。

川口送信所,鳩ヶ谷送信所.png 川口周辺の放送所&送信所

西に第1放送の川口放送所があります。こちらは今は川口アーカイブスとなっています。周囲の道路の形も非常によく似ていますね。

どちらの放送所も当時の写真を見ると,通常の基部絶縁支線式鉄塔のように見えますが,そうではなく,▲の新郷放送所同様,T型ワイヤーアンテナで,2基の鉄塔は単なるワイヤーの支柱となっていて,中間から給電するタイプのようです。ということは2基の鉄塔は大地とは絶縁されず,接地されていたもの,と思います。鉄塔は高さ206.34mですが,川口放送所の方は312.78mもあり,東京タワーができるまで,日本最高の高さを誇っていたそうです。また,高さ110mの予備の鉄塔が中央に設けられ,川口予備放送所として運営されますが,これも2002年に浦和に新開放送所ができると,お役御免となり,解体されました。

☆鳩ヶ谷放送所の変遷

こちらも戦前からの送信所で,歴史的価値も高いので,振り返っておきたい,と思います。

鳩ヶ谷送信所 '44.9.28 891-C1-50s.jpg 1944年9月

戦時中に米軍が撮影した空撮写真があります。通信施設は最重要軍事拠点のひとつですから,偵察していたのでしょう。南北に2本の鉄塔が見えます。南端に局舎があります。

鳩ヶ谷放送所 '47.12.29 USA-R741-11s.jpg 1947年12月

戦後,米軍は占領を開始しますが,おそらく,将来の日本の反攻を恐れたのか,共産化することを恐れたのか,その間,どうも日本中を撮影しまくったようで,何ら施設も民家もない山の中なんかの空撮写真がありますが,やはり関東地区は重要拠点なのか,大量に写真があります。

戦争に負けるとこうなる,ということですね.....[雨]

目立つのは中央のおおきな円形の部分ですが,グランドサークルですね。アースを取るため,電線を地中に埋め込むための敷地ですが,なにか工事中のようです。

中心にあるのは送信機や整合器を納めた小屋で,ここでアンテナの他端を接地するのですが,影を見ると,どうもかなり背の高い建物のようです。

鳩ヶ谷放送所 '56.3.8 USA-M316-25s.jpg 1956年3月

2本の鉄塔および中央の整合器箱が見えます。

鳩ヶ谷放送所 '66.10.22 MKT666X-C1-14s.jpg 1966年10月

鉄塔は中央の1本のみになりました。

鳩ヶ谷放送所 '79.10.11 CKT792-C12A-26s.jpg 1979年10月

グランドサークルに草が生えている状況がわかりますね。芝川も拡幅されたようです。

鳩ヶ谷放送所 '89.11.3 CKT892-C7-27s.jpg 1989年11月

送信所も廃止となり,鉄塔や局舎も撤去されています。北側に鳩ヶ谷高校が設立されました。同校の開校は1年前ですが,まだグラウンドが整備されていないようです。

鳩ヶ谷送信所跡 '19.9.10 CKT20192-C12-43s.jpg 2019年9月

しかし,それにしても周囲の変わりようにはびっくりします。最初,全然違う場所か,と思ったくらいです。

北西角のイオンモールは建設中ですね。

南側は現在とほぼ同じ状況で,テニスコートがありますが,またなにか,建設されるでしょう。

NHK.jpg  唯一の物的証拠?

電柱番号はNHKと標識がついていました[晴れ]

残念ながら,ここから芝川を渡って,南西に1.7kmほど歩くとNHKの川口放送所跡に着くのですが,疲れたので今日は埼玉高速鉄道の鳩ヶ谷駅から帰途につきました。

直線距離だとたった500mほどなんですけど......途中に芝川があるため,歩くと結構な距離です[曇り]

ここはNHKアーカイブスが置かれ,見学できますので,また一度,ゆっくり訪問したい,と思います。



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