イギリス旅行記~その3:British Vintage Wireless & Television Museum & さよならAMラジオ~送信所めぐり~その13:BBC Crystal Palace送信所,Alexandra Palace TV送信所 [紀行]
2024年2月20日の日記
今日はラジオ関連の博物館めぐりと,BBCの送信所を訪ねてきました。
ロンドンはものすごくたくさんの博物館があり,電話や郵便の博物館までありますけど,さすがに,ラジオとTVの博物館というとここだけ,だと思います。
また,Science Museumは国立,電話や郵便だと企業の博物館ですが,ここは私設の博物館で,その点では施設も貧相で,ちょっと気の毒な感じもしましたが,大変なコレクションでした。
場所はロンドン南部,ダリッチ地域にあります。Dulwichというところなので,ダルウィッチと発音するのか,と思ったのですが,電車の自動放送ではダリッチと発音していました。
ロンドン・ヴィクトリア駅からsoutheasternのサービスでWest Dulwichまで電車で行くか,地下鉄でヴィクトリア線Brixtonからバス3 Crystal Palace行きに乗れば行けます。
ちょっと離れたところにBBCのクリスタル・パレス送信所があります。
知ってはいましたが,博物館としての建物はなく,ごく普通の民家の裏庭に何軒か,仮設の木造倉庫みたいな建物を建てて,そこに展示しています。特になにもmuseumという看板もないので,googleマップで見ないと通り過ぎてしまいます。
また,開館は金曜午後のみなので,事前に予約が必要です。
BushやRobertsなどの英国ブランドのラジオのほか,Philipsがやはり強いんですね~。美しいヨーロッパ風のラジオがたくさん並んでいます。
PYE 25B(1928)とCossor 390U(1938)
どちらも英国のラジオブランドです。美しいデザインですね。Cossorのはそっくりさんが戦後,まね下電器などから販売されていますね......
PYEは驚いたことに4球ポータブルです。Cossorも4球ですが,AC電源仕様のTRFです。
ところで,PYEはこのようにRising Sunといって,有名なデザインですが,日本からインスパイアされたものか,ずっと疑問に思っていたので,聞いてみると,やはりそのようで,戦前のジャポニスムブームに乗ってデザインされたもののようです。
ついでに,戦後,帝国海軍の旭日旗に似ていると批判されたのでは,と聞いてみたらやはりそうらしく,戦後のデザインが変わっているそうです。そういえば,戦後のPYEは雲のマークがなくなっています。逆に,それじゃますます旭日旗じゃん....って思うのですけどね。
せっかく,日本は,浮世絵などに敬意を払ったデザインをしてくれているのに,それを裏切ることをしてしまったわけですね......
回路はTRFになっています。TRFのポータブルは珍しいです。
PYEは英国の大電機メーカに成長しますが,1960年代に経営難に陥り,66年にPhilipsに買収された後,細分化されて売却され,2013年には最後の英国工場が閉鎖されています。1980年代にTV工場のみ三洋が買収したことは知られていますね。
一方のCossorは真空管でも有名ですが,やはり1958年にはラジオ,TV部門がPhilipsに売却され,その後,1961年には本体が米Raytheonに買収され,英国の拠点が消滅しています。どちらも戦後は軍需に活路を見いだすのですが,いずれも裏目に出た感じです。
正直,部門別にバラバラと事業を切り売りし始めるとおしまいの始まり.....なんですね。東芝さん,大丈夫ですか......
日本では真空管ラジオはいつまで作られていたのか,と質問があったので,1964年と答えておきました。いろいろ調べても,大体,この年には製造中止になっている,と思います。真空管ラジオは昭和30年代で終了,と考えています。理由も聞かれましたが,おそらく,日本では東芝や,松下,日立などの大メーカーが作っていたので,各社一斉に中止したのだと思います。
中小のポータブルラジオのメーカは存続していましたが,国内ではポータブルのトランジスタラジオが急速に普及し,販売先を輸出に切り替えて,米国に大量に輸出したのはご存じの通りです。だから,今でも米国で日本製の真空管ポータブルのラジオが意外に残っていて,コレクションとして取引されています。
ちなみに,英国最後の真空管ラジオは1967年製だそうです。ダイヤルにBBC 4と書いてあるので,そのように判断できる,とのことでした。
残念ながら,英国でもAMラジオは衰退していて,時期は明確ではないが,廃止の方向,とのこと。
すでに,2012年にはAM局の一部を停波し,リスナーの反応を見た上で,すでに2018年には一部民放がAM放送を終了したようです。
実際,今回,ソニーのICF-SW1を持っていったのですが,AMはBBC-4と5のほかはニュース専門局と民族系の移民向けラジオ局が聴けるだけでした。
ちなみに,ロンドンのラジオ周波数はこちらで確認できます。
逆に,デジタルラジオはダメで,FMと並行してDABで放送されていますが,受信しにくいらしく,あまりよく聞こえず,アナログの方がよい,とのことでした。
う~~ん,いまだにiruchanはデジタルラジオは聴いたことがないので,どんなものか聴いてみたいですけど,DABの受信機をわざわざ現地で買うしかないですしね.....。米国のIBOCも,非常に音がよいらしいですけど。
とはいえ,驚いたのですけど,政策的にDABに移行したノルウェーを除いてDABの普及は遅れているらしく,フィンランドやポルトガルはDABによるデジタル移行を取りやめていて,どうもAMステレオの二の舞,という感じがします。やっぱり,ラジオって新しい技術は難しいんだな~。
さて,ここは特にTVのコレクションも充実しています。
1920年代はニプコー円板を使った機械式TVの時代です。1926年1月,ベアードはTVの送信実験を行いました。
ベアードのテレバイザーの復刻品が展示されていました。走査線30本です。ベアードも1930年代半ばには電子式に移行します。
英国は1936年に世界初の高解像度TVの商業放送を開始しています。走査線405本,毎秒25フレームと言う規格で,戦後,欧州は625本の規格で統一されるのですが,405本の放送は1985年まで続きました。
iruchanはこれは知っていたのですけど,そもそもどのチャンネルでやっていたのか,と思って聞いたら,BBC 1のみだそうです。なぁんだ。
残念ながら,英国の戦前のTV放送は1939年9月1日のドイツ軍のポーランド侵攻と同時に中断してしまいます。
そのため,戦前のTVセットは非常に希少で,オークションなどでも高値で取引されるくらいで,とても貴重ですが,ここで見ることができました。
実を言うと,ドイツが1935年3月に米Farnsworthのイメージディセクタを用いて,TV放送を開始しているのですが,走査線180本と低解像度で,また,TV受像機は市販されず,街頭に設置したTVでナチスのプロパガンダをするためのもので,商業TV放送ではなかったため,世界初のTV放送は英国とされています。
Marconi 703(1937), HMV 900(1936)
TVは日米ともに同じですが,アマチュアが自作しました。ここでも,TRFの自作TVが展示されていました。日本でもNHKだけの頃,TRFのTVを作った人がいますね。
アマチュアが戦後,米軍放出品を使って作ったそうです。CRTはグリーンです。
PYE 18T(1948)とBV51(1950)。欧州のTVはデザインが美しいですね。
ロンドンの近郊で,ヴィクトリア駅から3駅ですが,日中は無人駅のようです。この辺,驚きますね。oysterカードのリーダが置いてあるだけでした。その割にカフェは営業していて,驚きますが,これはありがたいです。
この辺りはSouthern Railwayが戦前,第3軌条で電化したところなので,鉄道には架線がありません。▲の鉄橋は鉄道線路なのですが,架線がないので,貨物線みたいで変な感じですね......。
この日はバービカンセンターでBBC交響楽団の演奏会を聴きに行きました。庄司沙也香さんのソロで細川俊夫氏のヴァイオリン協奏曲の英国初演を聞きましたが,さっぱりわかりませんでした......
残念ながら,iruchanは現代音楽は苦手です......。
ただ,その後のKahchun Wong指揮BBC響のショスタコーヴィチの交響曲第5番は超名演でした
☆BBC Crystal Palace送信所
先ほどの地図▲に,BBCの送信所があります。British Vintage Wireless & Television Museumから,距離は2kmほどです。
最初,歩いて行こうか,と思っていたのですが,先ほどの博物館で遅くなり,BBC響のコンサートがあったので,最終日にヒースローへ行くまでの間に訪れました。
でも,これは正解だったようです。最初の計画は歩いて行く予定だったのですが,とんでもなく,送信所は丘の上にあって,バスで行かないとものすごくしんどいところでした。残念ながら,googleマップでは,高低差がわかりにくく,こんなところにある,とは思いませんでした。
Crystal Palaceとは,1851年,世界で初めて開催されたロンドン万博に際して建設された壮麗な建物で,当初はハイドパークに建設されましたが,終了後,ここに移設されたものです。
残念ながら,1936年11月に焼失しています。日本では "水晶宮" としてよく知られています。万博は日本からは岩倉具視らの遣欧使節団が視察していますし,また,日本の品々も駐日公使のオールコックが展示していたことは知られていますね。
また,ここはベアードのTV送信設備がありましたが焼失しています。
焼失後,建物自体は再建されていないのですが,もともとスポーツ大会が開催される公園に建設されたため,今もサッカーのCrystal Palace F.C.があります。
Crystal Palaceと検索したら,サッカーのことばかり出てくるので困るんですけど......
ここに,BBCが送信所を建設したのが1956年で,このとき,Alexandra Palace▼にあったTV放送設備を移転しています。高さ219mの鉄塔で,当時,ロンドン一高い鉄塔だったことは言うまでもありません。
実を言うと,戦前,ここからTV放送することも検討されたのですが,Alexandra Palaceの方が標高が高く,交通の便もよいことから,Alexandra Palaceに決定したようです。
当初,走査線405本のBBC 1のほか,民放のITVもここから送信されました。現在では,BBC 1, 2のほか,ITV1なども送信しているようですし,FMも,BBC Radio1~4のほか,民放2局が利用しています。AMは720kHzのBBC Radio 4のほか,民族系2局が利用しているようです。そのほか,デジタルラジオ(DAB)の送信も行われているようです。
と言う次第で,中波~極超短波まで,ありとあらゆる電波が飛んでいる場所のようです。
日本でもTV,FMのほか,中波も送信している送信所,と言うと北陸放送MROや山梨放送YBSの送信所がそうですが,そんなに多くはなく,普通はTV,FMが兼用していることはあっても,中波まで兼用している場合は多くないのですが,ここは高さが219mと,ほぼ中波帯の1/2λであることから送信所として利用されているようです。
Brixtonの駅から,3系統 Crystal Palace行きのバスに乗り,Crystal Palace Parade/College Roadで降りると,塔の根元です......
残念ながら,やはり時差ボケで午前2時くらいに目が覚めちゃって,時間がもったいないので早朝に出かけましたが,緯度が高いこともあり,2月のロンドンは8時を過ぎないと明るくならないので,きれいな写真は撮れませんでした......
それにしても大きな鉄塔にビックリ。やはりTV用に建設された鉄塔は違います。
STLのパラボラと,左に中波のリード線が見えます。給電部が見えますね。リード線が2本あるのは,BBC Radio 4のほか,民放2局があるため,と思います。
まぁ,しかし,それにしてもアンテナだらけ.......
一体,どれが何のアンテナなのか,さっぱりわかりません.......
残念ながら,給電点までの整合箱がどこかにあるはずですが,このレンガ小屋かどうかはわかりません。塔自体は接地されているので,ダウンリード式で,ダイポールアンテナになっているようです。木が邪魔なので,リード線はずいぶん長く絶縁されているようです。
帰りは丘を下ってSydenham Hillの駅から電車に乗って帰りました。
West Dulwichの駅もそうでしたが,ここも不定期に駅員さんがいるくらいで,普段は無人のようです。Crystal Palaceは丘の上に立っている関係上,切り通しの狭いところにホームがあり,すぐにトンネルです。上下線とも,ホームに行くには細い通路を歩いて,谷底に向かって歩くような感じです......。
これじゃ,まるで秘境駅の小幌駅みたい.....
Southern Railwayは第3軌条で電化したので,架線はありません。一見,非電化なので,ますます小幌駅......。
☆BBCラジオの歴史
ここでちょっと英国のラジオ放送の歴史を書いておきます。
公式な放送開始は1922年11月14日で,ロンドン中心部Waterloo橋近くのStrandにある,Marconi社のMarconi Houseから,コールサインは2LOです。
今ものこの建物は残っていますが,高級マンションになっているようです。ミュージカル "FROZEN" をやっている,Theatre Royal Drury Laneのすぐ近くだったので,見に行けばよかった......
ちなみに,もちろん,同社はイタリアのグリエルモ・マルコーニ(Guglielmo Giovanni Maria Marconi 1874~1937)が設立した会社ですが,なぜ英国企業なのか,というと,やはり大英帝国の企業でないと世界的規模まで成長できない,と考えたためのようです。同様に,ロイター通信もドイツ人の創業者ロイター(Paul Julius Baron von Reuter1816~1899)が英国に移住したのも同じ理由のようです。iruchanはReuterと書くので,イギリス人じゃないな,と思っていました.....。
残念ながら,マルコーニ社は戦前は世界を支配する勢いでしたが,戦後は衰退し,1987年にGECと合併しますが,同社も解散し,その後,2006年にスウェーデンのEricssonが買収し,今もブランドを所持していますが,会社の実体としてはなくなりました。
コールサインのLOはもちろん,Londonを意味していますが,最初の数字がよくわかりません。2,5,6とあるようで,アマチュア無線のコールサインと区別しているようですが,よくわかりません。ちなみに3LOはメルボルンです。
公式な,と言うのはそれまでに同社の2MTと言う試験局がロンドンの北東,45kmほどのところにある,Writtleという町で放送を初めていたからで,2月に放送を開始しています。また,同社は5月11日には同じ2LOのコールサインで,先ほどの建物から試験放送を開始しています。
とはいえ,どちらも火曜日の夜,8時から30分だけの放送だったようです。
その後,Writtleの設備をMarconi Houseに移転し,毎日1時間の間,10分ごとに,両局が825kHz,出力100Wで放送を開始します。
実を言うと,周波数が判然としません.....。
ネット上には832kHzや857kHzという記述もあり,バラバラで,どれが正しいのか,さっぱりわかりません。
ただ,"The Saga of Marconi Osram Valve"(Vyse, Jessop 2000)にBBCのネットワーク局の周波数一覧が出ていて,当時の資料のコピーのようですので,これが一番正確か,と思いましたが,それを見ると825kHzのようです。
1922年10月18日に統合した組織,British Broadcasting Companyが発足します。BBCの始まりです。そして,翌月に正式な放送を開始します。
ちなみに,日本のラジオ放送開始は1925(大正14)年3月22日です。また,世界初は米ピッツバーグのKDKA局なのはよく知られていますね。1920年11月2日のことでした。このKDKAが英国でも聴けて,早く放送を,という声が上がっていて2MTなどの試験が開始された,とのことです。
放送開始に際して,BBCは新たに1.5kWの送信機を開発しました。翌年には,スタジオはすぐ近くのSavoy Hillに移転します。
1925年には,オックスフォードストリートに今もある,セルフリッジ百貨店に移転します。この辺りはよく知られているところで,iruchanもここからは知っていました。
ロンドンの百貨店と言えば,ナイツブリッジのHarrodsが有名ですけど,王室御用達,ということもあってか,高級百貨店というイメージで,一方,Selfridgeは庶民的,と言うイメージがあったのですが,どちらも最近,大きく変わってしまい,今ではどちらも高級ブランド店だけの集合店舗に変わってしまっています。Harrodsなんて,地下の食品売り場や,ほかにも洋服売り場など,結構,意外に庶民的な買い物もできたし,お土産を買うこともできたのですけどね.....
世界的にネット通販に押され,百貨店ビジネスが曲がり角を迎えていますけど,こういう生き残り策もあるのか,と思います。
1927年には正式に勅許(Royal Charter)を得て,British Broadcasting Corporationが発足し,1929年10月には送信所もロンドンの北,25kmほどのところにある,Brookmans Parkに移転し,842kHz,50kWで送信開始し,現在も送信しています。2LOはこのあと,閉局します。
ここ,ちょっと行ってみたいのですけどね......残念ながら,今度行ったときはAMは廃止されているでしょう。
ただ,驚いたことに,2LOの1.5kWの送信機がScience Museumで展示されているので,見に行きました。20年ぶりにこの博物館へ行った理由のひとつです。
出力管はM.O. ValveのMT7Bで,プレート損失500W,Vf=15V/If=10Aの規格です。
発振管は同じくM.O.ValveのMT2で,プレート損失300W,Vf=17V/If=15Aの規格です。残念ながら,水晶発振じゃなく,普通のLC発振回路ですから,周波数は不安定だったでしょう。
木箱に入ったメータがありますが,F.S. 5000Vになっていましたので,3000Vくらいは陽極にかけていたのかも,と思います。回路図はこちらに出ています。
整流管はM.O. ValveのMR6で,アノード電圧15kV,Vf=15.5V/If=10Aの規格です。
整流管が4本ありますがパラになっていてセンタータップ整流しています。
それにしても日本で言えば,愛宕山にあった送信機が展示されているようなもの......と思いますけど,よく残っているな~,と感心します。さすが英国,と思いましたが,意外にもやはり送信機は取り壊されていて,1954年にBrookmans Parkの送信所の倉庫でジャンクを見つけ,復元されたもののようです。
2002年にBBCから,Science Museumに寄付されたようです。
確か,各真空管に灯が入った状態のカラー写真を見た記憶があるので,ヒータくらいは電源が入る状態ではないか,と思うんですけどね.....。
じっと見入ってしまいました.....。
☆Alexandra Palace送信所
さて,引き続いて,TVの歴史にも触れたいと思います。
もとはロンドン万博後の解体資材で作られた展示場兼宮殿で,当時の皇太子(後のエドワード7世)のアレクサンドラ妃から命名されています。
英国では,John Logie Baird(1888~1946)が1925年にはニプコー円板と光電管を用いて最初のTV放送を実現しています。送信所は▲と同じ,やはりSelfridgeのデパートから,でした。
しかし,わずか走査線30本ではとてもTVとは言えませんよね。そこで,各国では高解像度の電子式TVの開発が進められる,というわけです。
英国では,1935年,Marconi-EMI Tlevisionが開発した,emitron撮像管が開発され,BBCがロンドンの北,10kmほどのところにある,ここアレクサンドラパレスに送信鉄塔を設置し,実験を開始します。emitronは米RCAのZworykinが発明した,アイコノスコープ(iconoscope)と原理的に同じものです。
同社は1934年5月,Marconi Wireless and Telegraph(MWT)と,Electric and Musical Industries(EMI)が折半出資してできた会社で,親会社を通じて,米RCA,GEの特許を自由に使えました。ということはiconoscopeも自由に使えたわけですね......。
もちろん,Bairdも手をこまねいていたわけではなく,米国のFarnsworhから,イメージディセクタ(image dissector)を導入し,電子式TVを開発していました。
ただ,イメージディセクタは蓄積型ではないのが災いし,感度が低く,最初期の撮像管のひとつですが,実用化は無理だったようですし,実際,Bairdもこの実験で使用することはできなかったようです。
蓄積型とは,電子ビームで1フレームスキャンする間にモザイクと呼ばれる微少なコンデンサに電荷を蓄積するものですが,イメージディセクタは映像をスキャンし,光電子を電圧に変換する部分が1個しかないので,非蓄積型となります。
Bairdらは,フィルム中間方式と言って,一度,映像をフィルムに感光させ,機械式の走査機で分解し,それを光電管で電気信号に変換する,という半電子式です。スタジオ放送用としては,飛点走査方式と訳されていますが,flying spotといって,真っ暗なスタジオに走査円板で作ったスポット光をスキャンする形で被写体を走査し,それを光電管で受ける,というやり方です。
Bairdのシステムの走査線は240本です。
EMIは純電子式で,走査線は405本,現在と同様のTVカメラを開発し,移動式カメラまで用意していましたから,最初から,勝負は明らかだったと思います。
BBCはAlexandra Palaceの東側の1棟を借り,スタジオAにはEMIが,スタジオBにBairdが入って放送実験を行いました。
1936年11月2日から,両社のシステムの実証試験放送が開始されますが,2ヶ月後,Bairdのシステムは放棄され,Marconi-EMI方式に一本化されます。Bairdのほうも,自社規格が採用されなくても,受像機の販売で儲ければいい,と言う考えだったようです。実際,戦後のTV放送再開後も高級ブランドとしてTVセットが売られています。
というわけですが,この送信所は▲にも書きましたとおり,Cystal Palaceに移転するまで使用され,鉄塔も残っています。ロンドンのKing's Cross駅から,電車に乗ると丘の上に建っているのが見えますし,一度,Alexandra Palaceに行ってみよう,と思っていました。
ここはoysterカードが使えます。駅を出て,この写真の右にある通路で再び鉄道を越えて反対側に出て,2車線の道路を歩くとAlexandra Palaceが見えてきます。
それにしても,West Dulwichもこの駅も,昔のままの美しい駅舎ですね。駅って街の顔なので,古いものを残してほしいものです。20年ごとくらいに建て替えちゃう,どこかの国と違います。
見学する際は,東側の入口から,と書いてあるのですが,受付のおばさんに聞いたら,見学できない,と言われました。まあ,事前に調べておいたのですが,見学できる風ではなかったので,しかたないです。
戦前の写真を見ると,一番上の毛虫のような感じの部分はなく,おそらく,戦後のTV放送用でしょう。
戦前は,その下に遊園地の回転飛行機みたいな腕が6本出ていて,それが4組あって,アンテナを構成し,映像用が上で,音声用が下だったらしいです。
それにしても,TV以外のアンテナがにょきにょきついていて,なにがなんだか,さっぱりわかりません.....
南側にロンドンの街が一望でき,素晴らしい景色が見られます。TVの送信には最適の場所でしょう。大阪の生駒山に送信所が並んでいるのと同じ理由ですね。
ここから1937年5月12日,ジョージ6世(エリザベス2世女王の父君)の戴冠式がTV放送されることになります。BBCの実験も,この戴冠式が目標でした。
しかし,時代は戦争に向かっていくことになります。
ジョージ6世は徹底抗戦を唱えるチャーチルを支援し,空襲下でもロンドンを離れず,国民を勇気づけ,最後に勝利を迎えます。今も英国民が尊敬する国王です。
2024-02-20 00:00
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