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FUJINON持って.... [カメラ]

2011年9月24日の日記

とうとう,フジノンのレンズをゲットしました。長年,ライカマウントのFUJINON 50mmがほしいと思っていました。

フジノンのレンズは,フィルムメーカのレンズはよい,と言う世評通り,昔から評判がよく,一度は使ってみたいと思っていました。アサヒカメラ別冊の「郷愁のアンティークカメラ Ⅲ・レンズ編」 ('93.12号)などでもよいと書いてあります。この本,3分冊になっていてクラカメのいい資料になっています。当時,全然クラカメには興味なかったのですが,買っておかないとあとで後悔しそう,と思って全部買いました。よかったと思っています。

戦後,日本が焦土から復興するときに,外貨を稼ぐために精密工業がその先兵となりました。手先の器用な日本人には精密工業が向いていましたし,戦前からの技術の蓄積がありました。カメラやレンズがそうですね。フジノンのレンズも当時,圧倒的に普及していた,ライカのLマウントレンズ用に作られています。レンズそのものを輸出するほか,レオタックスカメラに納入して,同社のカメラと一緒に販売されたりしました。ライカのM3が発表されるとMマウントのレンズも作られています。

FUJINON 50mm f2.8.jpg FUJINON 50mm F2.8

フジノンの50mmは有名な当時世界一の明るさを誇ったF1.2の他,F2.0とF2.8があります。さすがに,F1.2は希少価値があり,とても高いので,手が出ません。それに,フジノンのレンズはやはりライツやニコンのレンズに比べれば生産量は少ないし,昔から人気があるので結構高いです。同じ焦点距離,F値のレンズでもニコンより高いと思います。やっぱり,中古カメラ屋さんを回ってもなかなか置いてなくて,結構,時間をかけて足で探し回らないといけないでしょう。

結局,ネットオークションの世話になりました。買ったのはF2.0じゃなく,F2.8です。当時だと普及版ですね。でもさすがに私も歳食って,大きなレンズは敬遠するようになりました。F1.2なんか持っていたら重くて大変です。距離表示はfeetなので,米国輸出用だったのでしょうか。

でも,F2.8は件のアサヒカメラにも,まったく手抜きせず作ってあり,写りは素晴らしいと書いてあります。実際,LumixのGF1につけてテストしてみましたが,まったく偽りない記事だと思います。

花.jpg FUJINON 50mm F2.8の描写

それにしても,製造されたのは1950年代半ばだと思いますが,60年近く前のレンズなのに,今どきのコンパクトデジカメの画質をはるかに凌ぎ,いまもシャープで美しい色再現をするのに驚きます。コーティングされているのもいいですね。

閑話休題。 

あと,私は電子関係の技術者なので,気になるのですが,富士フイルムというと日本初のコンピュータFUJICをレンズの開発用に作った会社ですね。このフジノンのレンズはFUJICで設計したのかと思いましたが,FUJICの完成は1956年なので違うようです。

レンズの設計は数千本の光軸を計算し,収差を求めることにあるので,当時は計算尺片手の数十人の女性計算手? の仕事でした。これをコンピュータにやらせよう,と言うわけです。

FUJICは真空管を1,700本使い,ほとんど手作りで完成しています。設計者は岡崎文次氏で,とても尊敬しています。助手として,女性が1人いた他はほとんど独力で完成させたと聞いています。実際,東京の国立科学博物館で保存されているFUJICはST管からMT管まで,種々雑多な真空管が使われていて,これは秋葉原へ真空管を買いに行って,集められた真空管から使っていったためで,本当に手作りだと言うことがよくわかります。

当時,東大のTACのほか,阪大の城憲三教授の研究室など,いくつかの研究所でコンピュータの開発が始まっていました。特に東大のは国家プロジェクトとして,多大な予算をつぎ込んでいました。しかし,そもそも組んだのがコンピュータとは無縁の東芝というのがどうもね.......,という印象を受けますし,国家プロジェクトなどと言うと,船頭多くして,のたとえの通り,官僚や政治家などの介入もあってうまく行かないのが実情だと思います。さらに,東大主導ということだと権威主義がはびこり,技術とは別の次元でうまくまとまらない,という感じがします。福島の原発事故での対応を見ていても今も昔も変わらないな,という感じがしますが,このTACのプロジェクトも実際,なかなかうまく行かず,難航していました。当時の雑誌の記事を見てもこのようなことが書かれています。一方,阪大の真空管コンピュータは1960年には完成する一歩手前,と言うところまでこぎ着けましたが,すでに商用のコンピュータが市販されている時代だったし,トランジスタ式のものも開発済だったので,研究は中断しています。

まあ,当時,IT企業はなく,富士通やNECも電電公社の交換機やリレーを作っているだけ,という感じなので,共同開発する日本企業もまったくコンピュータは素人,という状況では国家プロジェクトとしてもうまく行かなかったでしょう。

その意味で,東大などの国家プロジェクトを尻目に独力でコンピュータを完成させた岡崎氏の偉業は歴史に残るものだと思います。

しかし,どうも富士フイルムは氏を冷遇し,FUJICも何本かのレンズ設計に使われた他は他企業や大学の研究用に貸し出されるだけ,と言う状況だったようで,岡崎氏も大学に移ります。「スターは要らない」 というのは今も変わらない日本企業の体質,と言う気がします。それに,FUJICを常設展示していない,国立科学博物館の姿勢も大いに疑問です。と言う次第で,実は私もFUJICの実物を見たことがありません。

       ☆          ☆          ☆ 

2022年3月26日追記

現在は科学博物館地球館が2015年にリニューアルオープンして以後,こちらの記事の通り,FUJICは常設展示されています。 ぜひ,一度,ご覧になってください。


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