SSブログ

さよならAMラジオ~送信所めぐり~その5:文化放送・川口送信所,ニッポン放送・足立予備送信所,ラジオ日本・川崎幸放送局,小田原放送局~ [ラジオ]

2023年10月28日の日記

今日はTBS戸田送信所,AFN和光送信所に続いて,文化放送の川口送信所とニッポン放送の足立予備送信所を訪ねました。

元気があれば,レンタル自転車で1日で回れますが,1日の走行距離はgoogleさんによると38kmになります.....[台風]

iruchanはもう歳なので,あきらめて,2回に分けて訪問しました。

☆旧岩淵水門

今日のスタートは北赤羽です。文化放送の川口送信所だと,最寄り駅は日暮里舎人ライナーの見沼代親水公園か,埼玉高速鉄道の鳩ヶ谷ですが,ちょっと,行きたいところがあったので.......。

旧岩淵水門.jpg 旧岩淵水門

よくTVでも出ますが,荒川と隅田川を分流する水門です。1916年着工,1924年完成の水門です。

大昔は利根川,荒川が合流し,隅田川となって東京湾に注いでいましたが,徳川家康が利根川を銚子を河口とする工事を行い,家康の命で伊那氏が荒川を現在の川口市経由に変えました。

ところが,まだ隅田川との共用区間? が存在して氾濫するため,大正に入って,新たに荒川と中川の放水路を作ったのですが,その荒川と隅田川の分岐点に設けられました。今,われわれが荒川とか,荒川鉄橋と言っているのは正確には荒川放水路とその鉄橋なんですね。

木曽川河口の工事も非常に複雑なのですが,都心の川の変遷も大変です。

この水門は荒川が増水したときに隅田川へ流れ込むのを防ぐための防水扉? ですね。

iruchanは古い産業遺産に興味があるので,見てきました。

青水門.jpg 早朝,7時前で朝日がきれいでした。

1982年に,下流側300mの地点に新水門ができてお役御免となりました。こちらは青いので,青水門と呼ばれますね。

☆文化放送・川口送信所

ここから,6.5kmほど走ると,川口送信所に着きます。

ここは実は非常に歴史が長く,もとは1928年,日本放送協会の愛宕山の愛宕放送所から移転して建設された,新郷(しんごう)放送所です。このとき,出力は5kWから10kWに増力され,周波数も800kHzから870kHzに変わっています。

1931年に第2放送が開設され,その後,1937年には第1放送は川口放送所へ,第2放送は鳩ヶ谷放送所へ移転しますが,大出力の新局の方は日中戦争が始まったことがあり,どうも防圧放送(いわゆるジャミング)に使われたらしく,開戦の放送や玉音放送はここから行われた,とされています。

と言う次第で,実はここの地下には戦時中の放送設備があるらしく,調査もされています。一度,見てみたいですが,AM放送終了後,宅地になっちゃうんじゃないでしょうか。せめて公園として残してほしい,と思います。

1952年3月31日に,日本文化放送が本放送を開始しますが,その送信設備として,戦後,本来のNHK川口放送所が再稼働し,こちらの設備が不要となったので,施設を譲り受けたようです。ただ,鉄塔や建屋は建て替えられていますし,旧鉄塔の跡や建屋が残っているようですけど,施設全体は 国営放送 の名残で,放送所は山の上にありますし,周囲は森のようになってやはり隠蔽するように局舎が建っているので,非常に撮影は難しいです。

そもそもAMの送信所はアースが重要なので,山の上に建ててはまずいだろ,と思うんですけどね.....。だから,3kmほどの西と北西の平地に川口放送所や鳩ヶ谷放送所が移ったようです。

戦前,山の上に建設されたのは,おそらくは隠蔽と,また,なんでも高いところから国民を教育しよう,という上から目線の意図があったのか,という気がします。

川口送信所.jpg 正門から。

残念ながら,局舎は少し見えるだけで,きれいに写真は撮れません。桜の季節に門が開いて市民に開放されるようなので,行ってみたいです。

奥に車が見えますけど,iruchanが訪問したときも,中から車が出てきました。

民放の送信所はTBSの戸田送信所やCBCの長島送信所もそうですけど,中にスタジオがあって,緊急時に放送できるようになっているので,時折,職員さんが出入りするようです。

川口送信所4.jpg 

どうみても古そうな縁石。おそらく,戦前のものでしょう。

川口送信所3.jpg 

ちょっと,これも古めかしい看板。高さは136.69mです。JO Rとなっているのは随分前からのようです。

川口送信所7.jpg 看板も錆びています。

川口送信所2.jpg 頂冠部には容量環はありません。

鉄塔は国営放送時代のものではなく,新たに建てられたものです。送信周波数が違いますから,高さも変わってきますので。ちなみに,文化放送の周波数は,今は1134kHzですが,当時は1310kHz,出力は10kWでした。鉄塔はAFNや東海ラジオ同様,容量環がないタイプでした。国営放送時代の鉄塔はトラス構造だろう,と思います。

川口送信所1.jpg 鉄塔基部。

かろうじて基部が撮影できました。航空障害灯用のオースチントランスが見えます。望遠レンズで撮影したので,手前の枯れ葉が写っちゃってます[曇り]

川口送信所5.jpg 局舎

東側の道路をはさんで中学校があるんですけど,そこから塀越しに撮影しました。施設の中に入らないと,局舎の正門は撮影できないようです。

川口送信所6.jpg STL用のパラボラと八木アンテナ

放送局から中継するためのパラボラと八木アンテナが取りつけられています。

来年,春の桜のシーズンになったら,一度,敷地の中を見せていただきたい,と思っています。

文化放送s.jpg QSLカードをいただきました。

なんか,本当にほんわかしてしまう,優しいデザインで癒やされます。どうも大変ありがとうございました。

☆ニッポン放送・足立予備送信所

ここからさらに東へ,7kmほど走るとニッポン放送の予備送信所があります。平坦な道のりで,サイクリングは快適でした。出力100kWの本局は千葉の木更津にありますよね。
 
ここはニッポン放送が1954年7月15日に開局したときの放送設備で,1971年に木更津に移転するまで,基幹局として使われていました。

足立予備送信所.jpg 立派な鉄塔ですが,高さはそれほどありません。

足立予備送信所1.jpg STLの八木アンテナがあります。

現在の鉄塔は,さすがに予備,ということもあり,出力は1kWで,東日本唯一のAMステレオ放送はここからは送出されません。せいぜい,1年に1回,試験放送をするくらいなので,土地の有効活用なのか,北半分はレンタル農地になっていたり,ゴミ箱が置いてあったり,あまりきちんと整理されていない感じです。また,かつてはポニーキャニオン系の会社があり,VTRを作る工場があったようですが,解体されて空き地が広がっていました。また,隣接して野球場があったらしく,周辺の土地や道路も湾曲しています。

STLの回線はパラボラアンテナは見えないので,60MHz帯のVHFのみのようです。

足立予備送信所6.jpg 正門

あの~,悪いのですが,左の門扉の奥に銘板を取りつけた小さな門柱があるのですけど,その前にゴミ箱を置くのはやめてほしい[台風]

銘板には,”ニッポン放送送信所” とあるらしいです[台風]

足立予備送信所3.jpg こちらはもとの工場の門扉です。

珍しいのは,送信塔は文化放送など,一般的なAM局が使っているような支線式ではなく,ダウンリード式で,鉄塔も非常に低いです。

ダウンリード式は,基部接地型アンテナの1種で,鉄塔から周囲に何本かリード線を吊り下げ,そこに電圧をかけて送信する方式です。通常の支線式と異なり,鉄塔自体は地面に直付けされていて接地されています。リード線は上下で絶縁されていて,頂部で折り返していて,フォールデッドアンテナとして動作しているようです。そこで,長さは1/4λとなりますから,この鉄塔は60mほどの高さのはずです。

なおかつ,ここはそのうちの2本のリード線を水平に張って,電波の発射方向に指向性を持たせているようです。

足立予備送信所5.jpg リード線が2本,北東方向に伸びてます。

この場合,リード線と90゜の方角に指向性が出ますので,確かに関東平野を北西から南東の方向に電波が伝わるようになっていると思います。頂部にも整合箱があるようです。また,ダウンリード式の場合,頂部で接地して,接地式アンテナとして動作させることが多いのですが,ここはフォールデッド式にして,頂部も絶縁してあるようです。

足立予備送信所8.jpg リード線の終端部。

足立予備送信所2.jpg 鉄塔基部

内部に碍子のついた整合箱がありました。周囲のリード線の接地部は細長い白い碍子を介して接地されていました。

年に一度,5月の最初の日曜の夜(月曜の早朝)に試験放送があるようなので,来年,聴いてみたいと覆います。

        ☆         ☆          ☆

帰りは,つくばエクスプレスの六町駅が近いのですが,もう少し足を伸ばして,北綾瀬へ......。

地元の方には非常に悪いのですが,北綾瀬駅って,鉄ちゃんじゃなければ行かないところかと.....。

iruchanは昔から,一度,行ってみたい,と思っていました。

行ってみてびっくり,駅は高架でものすごく立派な建物だし,周囲は高級そうなマンションも建ち並んでスーパーもありますね。

iruchanは,ここは 美濃赤坂 か 和田岬 みたいなものでしょ,って思ってました[雨]

まあ,日中,1時間に6本,電車がありますし,うち3本は代々木上原まで行くようなので,かつてにくらべればものすごく便利なところになっています。それに全部始発電車なのですから,宅地としては非常に魅力的なところなんでしょう。

北綾瀬駅.jpg

北綾瀬駅1.jpg

綾瀬駅.jpg 大垣駅#3線。違うってば.....。

 あのよ~,ホームまで似とるでかんわ~。

☆アール・エフ・ラジオ日本・川崎幸放送局

別の日に川崎に出張があって,その帰りに訪れました。

RFラジオ関東.jpg

新幹線の海側の車窓に赤い鉄塔が見えるので,いつか行ってみたい,と思っていました。

ここは,iruchan的にはラジオ関東なんですけどね......。

多摩川を渡って,対岸の川崎市の幸区にあります。

それにしても,昔は川崎駅前って,東芝の大きな工場がド~~ンとあって......というイメージでしたが,すっかり変わってしまいましたね。今,ラゾーナ川崎となっているところが東芝・柳町工場の跡地で,同工場は真空管の製造拠点だったので,iruchanにはとても関心のある場所です。

ほかには北側に少し離れたところにある小向工場はTVの拠点だったようです。東芝科学館もあるので,見に行けばよかったですが,予約制なので,ちょっと敷居が高いです。

それにしても,電機の名門・東芝は例のノートPCの不正会計事件に始まって米Westinghouseの買収失敗も重なり,ファンドの餌食となって,どんどん資産を切り売りし,手許に残っている事業は鉄道などのインフラ事業とデバイス事業だけ,という状況です。もはや家電はブランドこそ残っていますけど,東芝ではなく,中国の美的集団のものです。ファンドは会社を転売して儲けるビジネスなので,不採算の部門をどんどん切り捨ててしまい,最後には会社がなくなってしまいますので,先月,東芝の非上場化が決まりましたけど,しかたないでしょう。アメリカのZenithとか,Altecとか,こういう羽目に陥り,今はどちらもブランドが残っているだけです。

さて,このラゾーナのバス乗り場から,川73系統上平間行きまたは川32系統小杉駅東口行きのバスに乗って,小向バス停で降りると近いです。googleさんは御幸公園を指示してくるのですが,国道1号線を渡らないといけないので,小向で降りる方がいい,と思います。スーパーもあって,iruchanは帰りに冷たいお茶を買ってバスに乗りました。

また,多摩川の堤防や高層マンションが邪魔をして,かなり近くまで行かないと鉄塔が見えないので迷っちゃいますから,気をつけてください。御幸公園からだとほとんど見えません。

多摩川の堤防から,鉄塔がよく見えます。

それに,ほかの方のブログを見ると,なんと,この送信所,鉄塔の根元まで行って見ることができるようです。普通は高圧がかかっていて危険なので,柵があるのが普通ですけど,ここはもともと多摩川の河川敷,と言うこともあり,鉄塔基部がかなり高いコンクリの台座の上に乗っていて,近づいても安全だから,のようです。

とはいえ,残念ながら,iruchanが行ったときは周囲は草ボーボー[台風]

再び,googleさんの親切な地図からストリートビューを見ると,最新の映像は2月撮影らしく,これなら草も生えていなくて,基部まで行けそうです。

と言う次第で,ここを観察するなら冬の方がよさそうです。

しかたないので,望遠レンズで観察しました。

RFラジオ日本3.jpg 鉄塔基部

基部はこのようにかさ上げされ,上に整合箱などが置かれているようです。オースチントランスも見えますね。ちょっとペンキが剥げているのが気になります.....。

ここの送信所の特徴は指向性アンテナであることで,普通,こういう場合,前回のAFNのように,2基,鉄塔を設置するのですが,ここはダウンリード式と言って,ステーを利用して指向性を持たせているので,鉄塔は1基のみです。

どうも,1981年10月に50kWに増力するときに郵政省から指向性を持たせるよう,指導があったようです。そのため,都内であまりきれいに入らない,という状況になっているようです。確かに,iruchanが上京したときに滞在する多摩地区ではちょっとノイズが多いです[雨]

RFラジオ日本2.jpg 容量環はありません。

    AFN同様,容量環はつけられていません。

RFラジオ日本6.jpg 南西側アンカー

おそらく,一番上のステーが給電され,指向性を持たせているもの,と思います。ここだけ,アンカーに整合箱がついていました。

RFラジオ日本1.jpg 局舎の上に建っている鉄塔が予備送信用です。

RFラジオ日本4.jpg 予備アンテナの拡大。STLはUHFのようです。

馬横断注意.jpg 意味不明の看板[雨]

北側は川崎競馬の馬練習場になっていて,堤防の外側(右)に厩舎があります。残念ながら,この日はおウマさんは見られませんでした。


2024年1月17日追記

☆アール・エフ・ラジオ日本・小田原放送局

新幹線を小田原駅で降りて,ラジオ日本の小田原送信所を見てきました。正式には小田原放送局と言うようで,昔はローカル番組をやっていたようです。
 
周波数1485kHz,出力100Wの小さな送信所です。

RFラジオ日本 小田原放送局.jpg 出力100Wですが,立派な鉄塔です。

手前の建物は漁協の建物で,局舎ではありません。


RFラジオ日本 小田原送信所1.jpg 小さな局舎。

手前に発電機が置かれた小屋があります。わざわざ,"発電設備" と書かれているのは珍しいと思います。

RFラジオ日本 小田原放送局3.jpg銘板です。

小田急線・富水駅から,東に歩いて,酒匂川の橋を渡ると堤防沿いに道があるので,そこを1.8kmほど歩くとたどり着きます。

小規模局によくある,ダウンリード式の鉄塔で,鉄塔自体は接地されていて,リード線給電側のみ碍子で浮かせて給電する形式で,通常の基部絶縁式の送信所と異なり,接地式アンテナとして動作します。

RFラジオ日本 小田原放送局5.jpg 頂冠部

てっぺんに小さな箱がありますが,整合箱でしょうか。よく見ると支線に給電されているので,指向性をもたせているようです。

リード線はターンバックルを介して鉄塔に取りつけられていますが,ジャンパー線を使って高周波電流はターンバックルを通らないようになっています。電食防止のためでしょうね。

鉄塔は円管柱ではなく,トラス式ですが,よく見てみると斜材は鋼棒を折り曲げ,溶接した構造で,普通のトラス式のように,鋼板をリベット留めした構造ではありませんでした。

鉄塔は高さ50mだそうです。とすると,航空法の規定により,赤白の昼間障害標識は不要なはずですが,まあ,どっちにしろ,錆防止のため,塗装はしないといけないので,赤白で塗った,と言うことでしょうか。

RFラジオ日本 小田原放送局4.jpg 鉄塔基部

基部に給電装置があります。大きな碍子がいかめしいですね。リード線は碍子で絶縁されています。

鉄塔基部には, "アール・エフ・ラジオ日本 小田原標準放送局 基部接地型中波塔アンテナ 製作年月 昭和56年6月 電気興業株式会社" とありました。

RFラジオ日本 小田原放送局地図.jpg 場所です。

こういう,小さな送信所は地域の良好な受信に貢献していますし,なによりかわいらしくて,とても好きです[晴れ]



nice!(7)  コメント(0)