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ロンドン地下鉄の謎~ロンドン地下鉄の歴史~ [紀行]

2018年9月17日の日記

先週,久しぶりにロンドンへ出かけていました。

帰ってきてすぐ,

       日本は暑い! エスカレータが遅い!

と思いました......(^^;)。

向こうの気温は最高気温で20℃くらい,すでに紅葉がはじまっていますし,朝,駅で待っていると息が白いくらいでした。

エスカレータは日本が遅すぎると思います。最近は特に,弱者対策と言うことで余計にスピードを落としているのが気になります。あまり遅いと横を歩く人が増えるので,かえって危ないのです。ちなみにロンドン地下鉄のエスカレータは最大で44.2m/minだそうです。最初見たときは速ぇ~~っと思っちゃいますよね。日本では建築基準法により最大30m/min.と定められています。最近は20m/min.くらいに抑えてあることが多いと思います。これだけ遅いと,もう全員が歩いちゃって,立っている高齢者にぶつかったりしてかえって危険です。

piccadilly line.jpg Piccadilly線の電車

   なんでロンドンの地下鉄はこんなに小さいの!!

ヒースロー空港へは地下鉄Piccadilly線か,Air Busでしたけど,最近はHeathrow Expressが開業し,ロンドン北部のパディントン駅までたった15分になりました。今回はホテルがDistrict線沿線だったのでPiccadilly線に乗りましたが,そういう理由がなければHeathrow Expressの方がいいと思います。

district & piccadilly line.jpg District線Ravenscourt park駅

        こんなに大きさが違います!

世界遺産のKew Gardens方面へはDistrict線と複々線になっています。なぜか,Piccadilly線の方が急行運転をしていて,かなりの駅を通過しちゃいます。

実はロンドンの地下鉄は2種類あるのですが,鉄ちゃん以外の人はまったく気がつかないと思います。

左のDistrict線は普通の日本の電車並みで大きいのですが,右のPiccadilly線はドアの近くだと頭が天井に支えちゃうくらい,小さいです。

なんで,こうなっているか,というと.......。

以前,こちらで少々書きましたが,今回はもう少し詳しく書きたいと思います。

ロンドンの地下鉄は1863年1月9日に開業しています。もちろん,世界初で,区間は今のHammersmith and City線のPaddington~Farringdon間です。Metropolitan Railwayという会社が建設したので,今じゃ,世界中どこへ行っても地下鉄はMetroと呼ばれますね。

Paddington underground station.jpg 地下鉄Paddington駅

建物は古めかしい時代を感じさせるものですが,建設当時のものではなく,1915年に建て直されたものです。ホームも含め,建設当時のものは残っていません。ファサードに社名が残っていますね。一斉に国鉄の表記を消したどこかの国とは違います。

地下鉄と言っても,当時は動力は蒸気しかないので,蒸気機関車が用いられています。

それじゃ,煙が出るだろ,と言うわけで,地下鉄とは言ってもところどころ,明かり区間があり,特に駅は天井がないところが多いです。地下鉄なのにところどころ明るくなるし,地下鉄の駅で電車を待っていたら雨が降ってきて濡れた,なんてことになります。

Notting Hill Gate.jpg 

      Notting Hill Gate駅(Circle線)

駅はこんな感じで,明かり区間にあることが多いです。屋根がないところも多く,雨が降ると濡れちゃいますが,昔の雰囲気を保つため,あえて屋根をつけていない場合も多いようです。周囲の建物も建築当時と変わらないでしょう。

一応,機関車は復水器を備え,シリンダの蒸気を再利用するとともに,トンネル内に蒸気が充満するのを避ける工夫がなされていますが,煙自体はどうしようもありません。

地下鉄のような長大トンネル区間で蒸気機関車を使う,というのは大変危険で,実際,1902年1月8日の朝,ニューヨークのGrand Central駅で煙が充満したトンネルで赤信号を見落としたNew York Cenralの旅客列車が信号待ちをしていたNew Heaven鉄道の通勤列車に追突し,15人が死亡する事故が起きて以来,マンハッタン島内を第3軌条で電化し,SLの乗り入れを禁止する契機となります。

もっとも,Metropolitan鉄道も後述するMetropolitan District鉄道も電化が完成するまで,40年ほどの間,地下で蒸気機関車の運行を続けるのですが,蒸気機関車と木造客車を使いながら目立った死傷事故や列車火災事故を出さずに無事に蒸機運転を終了しているのは大変立派なことだと思います。

当初,チーフエンジニアのJohn Fowlerが考案した,蓄熱式機関車が検討されますが,日本でも蓄熱式というのは確かにありましたけど,鉱山や製鉄所の入換用だったり,ごく小規模なものです。さすがに旅客運転には向いていなくて,試運転しか実施されず,そのため,Fowler's Ghostというあだ名がついています。写真も1枚しか残っていません。急遽,Metropolitan鉄道はGreat Western鉄道から機関車を借り入れてしのぎ,8月から▼のような機関車に置き換えています。Metは当初からGWRの貨物列車を終点のFarringdon近くにあるSmithfield食肉市場へ運ぶ目的があったこともあり,GWRと同じ広軌(2140mm)の線路も引いてあり,3線式だったのが幸いしました。後にGWR同様,広軌のレールは廃止されて撤去されますが,最終的にSL牽引の貨物列車が廃止されるのは1971年のことのようです。
 
Fowlerは各地の鉄道や有名なスコットランドのForth Bridgeなどの橋梁を設計したり,Stephenson親子やBrunel親子同様,英雄時代の技師の一人だと思いますが,やはり元来は土木技術者だったようで,機関車はそれほど詳しくなかったのかもしれません。

metropolitan 0-4-4T.jpg 

  Metropolitan Railway 4-4-0T機関車(London Transport Museumにて)

シリンダの蒸気を機関車側面の復水器に導いて蒸気を取り除きます。設計は同じFowlerとされていますが,実際には彼は動輪径と軸重を決めただけとのことですから,設計は製造会社のBeyer Peacockのエンジニアたちでしょう。

metropolitan locomootive.jpg 側面の四角い箱は復水器

SLが走っていた路線は Surface Lineと呼ばれますが,District線のほかはCircle線, Hammersmith & City線と郊外路線のMeropolitan線やほとんど観光客の乗らないEast London線くらいで,全体の8%しかありません。もっとも,East London線は2007年に大規模改修工事が始まり,完成後の2010年にOvergroundのネットワーク網に入り,現在では地下鉄の路線じゃありません。だから,ロンドンへ行ってもこれらの路線に乗らずに帰ってしまう方が多いので,ロンドンって小さな地下鉄しかない,と思っちゃう方が多いと思います。

District線というのはもとはMetropolitan District Railwayという会社が建設した路線で,Metropolitanの後,1868年12月に南側のSouth Kensington~Westminster間を開業し,同時にMetropolitanがSouth Kensintonまで開業したので,Inner Circleサービスがはじまります。Circle線の始まりですが,まだ円は閉じていなくて,ちょうどかつての札幌の路面電車みたいなU字状の路線網です。

その後,都心の環状線を建設しても鉄道収入だけなので儲からないことから,郊外路線の建設の方にばかり熱心になり,おまけにこの両社はあまり仲がよくなかったので,肝心の環状線の完成は1884年10月のことです。だから,ホームズで有名なBaker St.の駅から北西に延々とMetropolitan線が延びていますし,西の方へはRichmondやWimbledonへ路線が延びているのはそのせいです。いまだにMetroplitan線とかDistrict線と呼ばれるのはちょっと不思議な感じなんですけど,もとの会社の名前です。

沿線の土地を買い占めて宅地開発してそこに鉄道路線を延ばせばもっと儲かるよな,と言う考えは,その後の私鉄経営のモデルですね。小林一三や彼に倣った五島慶太はロンドンの地下鉄建設からヒントを得ている,と言うわけです。

一方,建設自体は開削工法によるもので,要は道路を掘り下げて底にレールを敷いて後からフタをする,という工法です。

いまでも日本の地下鉄は大部分この工法なんですけど,新しいところならともかく,古いところに新たに線を引く,と言うことだとトンネルが深くなって大変です。ものすごくお金もかかるし,なんでいまだにこんな工法で建設するの? と言いたいんですけどね.....。ロンドンは早くこの誤りに気がついて,工法を変えていきます。

Circle線といっても,山手線のように独立した環状の線路があるわけではなく,ほとんどの部分が,Metropolitan線やDistrict線と共用しています。おまけにどこの分岐駅も水平分岐なので,いろんな列車が線路を支障し,しょっちゅう,赤信号で止められ,"The train stops because of the red signal. The train should move shortly." と放送が入ります。日本人はイライラしちゃいますね~~。

MetやDistrictの郊外線は地上線で,地下鉄じゃありません。やはり開削工法じゃ,地下鉄の建設費は膨大で,両社がCircle線の建設に乗り気じゃなかったのはこのせいです。

さすがに英国人はこれじゃまずい,と考えて30年後,James Henry Greatheadが改良したシールド工法で地下鉄を掘るようになります。

シールド工法は有名なBrunel親子が発明したもので,シールド断面は四角く,覆工に膨大なレンガを必要としました。彼らが作ったテムズ河底トンネルは1825年に着工しましたが,途中,落盤,出水はおろか,汚水による疫病にまで悩まされ,完成までに実に18年もかかりました。60万ポンドもの大金を費やして人道トンネルとして開業しましたが,低収益に悩まされ,地下鉄East London線が使用するようになり,現在に至っています。

あまりにも高額な費用と,工事の危険性を鑑みて後に続く人はなかなか現れなかったのですが,Peter William Barlowが現在のタワーブリッジの近くで河底トンネルを建設します。Tower Subwayがそれです。彼が発明したのは円形のシールドを用い,シールド内で掘削したのち,鋳鉄製のセグメントと呼ばれるブロックをボルト締めして覆工した後,シールドを前進させ,地山とセグメントの間の10cmほどの隙間にコンクリートを流し込んで固めるという方法で,安全性が高く,今回はわずか10ヶ月で1869年12月にトンネルが完成します。トンネル径は6' 8"(2032mm)で,1870年8月から2' 6"(762mm)の線路を敷いてケーブルカーで開業しますが,わずか4ヶ月で廃業に追い込まれてしまいます。あまりにも狭くて運べる人数も少なかったのが破産の原因でした。その後,人道トンネルとして使われますが,タワーブリッジの完成(1894)に伴い,無用の長物と化したため,閉鎖され,現在は水道と電話の共同溝として使われているようです。

GreatheadはBarlowとは35歳年下で,Tower Subwayの建設にも従事していました。彼はBarlowの工法を改良し,圧搾空気を用いたシールド内で掘削する方法や,ジャッキも水圧ジャッキを使うなどの方法を発明し,地下鉄を建設することにしました。1890年に開業したのは今のNorthern線のKing William St.(Bank駅と統合により廃止)~Stockwell間がそれです。

Greathead Shield.JPGGreathead Shieldの構造

もはや完全に閉鎖された深いトンネル構造なのでSLは使えず,動力はELを採用しています。もっとも,最初はサンフランシスコと同じケーブルカーの計画でした。それをGreat Western鉄道出身の会長のCharles Grey Mottがちゃぶ台返しします。ほんなもんはあかん! と言うわけですね。なんで大阪弁なんだ.....。

ケーブルカーだと当然輸送量が限られてしまいますし,一旦ケーブルにトラブルがあると全線で営業が止まってしまいますし,おそらくTower Subwayの失敗も念頭にあったのでしょう。また,ケーブルも路線長が3.2マイルにもなるため,途中でケーブルを切り替えてもう1台,巻上機を設置する,なんてことが考えられていたことからもわかるとおり,計画段階でも不安視されていました。とはいえ,英国グラスゴーの地下鉄がこの方式で開業(1896)しているのを追記しておきます。

もっとも,当初の計画がケーブルカーだったため,北端のターミナルのKing William St. の駅は1面1線で,しかも入口に急勾配があり,また,発電所は南端のStockwellにあるため,電圧低下し,朝のラッシュ時などは登れない,というトラブルも頻発したようです。後に,Northern線としてtube路線に組み込まれるときに駅もBank駅に統合されますし,トンネルも拡幅され,標準のtube車両が入線できるようになっています。

City & South London鉄道は世界初の電気運転だけでなく,自動信号や自動ブレーキまで装備していた,と言うのですから驚きです。信号は色灯式です。ブレーキも列車分離の際に自動的にブレーキが作用する米国のGeorge Westinghouseが発明した自動ブレーキ式です。これが一般的に普及するのは1920年代以降のことです。

ということで,iruchanはMetropolitan Raiwayより,このCity & South London Railwayの方がスゴい,と思っています。

City & South London loco.jpg こんな機関車です。

車体はBeyer Peacock社,電気品はMather & Platt社製です。軸距6ft(1828mm)の本当に小さな機関車です。

20年前,South Kensington駅近くのScience museumで撮影しました。なぜか,コヴェントガーデンのLondon Transport Museumには客車しか展示されていませんのでご注意ください。たぶん,財産上の問題だと思います。50HPの直流電動機を各軸に1個,床下に装備しています。iruchanが最初にロンドンに行ったのは1990年でしたが,そのときはCity & South London Railway 100周年と言うことで,一緒にLT Museumで展示していましたけどね。

C & SLR carriage.jpg 客車です。

貫通部の屋根上に見えるのはブレーキホースです。内部はロングシートで,地下鉄だから駅名が確認できるくらいでええやろ,ということでスリット状の細い窓があるだけです。そこまでクッションつきの背ずりがあるので,Padded cell(精神病院の独房)というあだ名がつきました。

C& SLR padded cell.jpg 精神病院の独房?

世界初の電気式地下鉄,というとブダペストだろという話もあって,実際,wikiはそう書いていますが,これは間違いです。ブダペストは1896年の開業で,City & South Londonの方が先ですし,ブダペストは動力は電車を使っています。電車を使った地下鉄,と言うことだとブダペストなんでしょうけど,電気運転もロンドンが最初。一度,ブダペストに行ったら1号線に乗ってみたいのですけどね......。

ちなみにロンドン地下鉄の最初の電車路線は1898年開業のWaterloo & City Railwayです。現在のWaterloo & City線ですが,これはWaterlooがターミナルだったLondon and South Western鉄道がロンドン中心部のシティへ通勤客を運ぶために建設した路線で,わずか2.4kmしかない短い路線なので,観光客の皆さんはわざわざ乗りに行かない限り,乗ることはないと思います。

       ☆          ☆          ☆

City & South LondonはやはりMetropolitanの陰に隠れ,あまり知られてないことが原因だと思います。走行していた区間も,ロンドン南部からシティへ通勤する労働者向けの路線だった,ということも影響していると思います。

どう考えても地下鉄には電車が適していますが,City & South Londonの場合はまだ小型モータが開発できず,機関車方式なんでしょう。機関車だと機回しをしないといけないので不便です。King William St.の駅は1面1線だったとのことなので,下り本線上に前の列車の機関車を待機させておいて,次の列車を牽引して運転したのでしょう。といって電車がいいか,というと落とし穴があり,1903年8月10日,パリ地下鉄で84人が死亡する火災事故が起きています。電車ですから複数(パリの場合は編成前後)の動力車を総括制御する必要がありますが,当時は路面電車と同じ直接制御式のため,高圧配線が床下を通っていて,それが絶縁破壊したのが火災の原因です。先ほどのWaterloo & Cityも直接制御式です。シールドトンネルなので床下のスペースが狭く,客室天井部分に11本もの高圧配線が通っていたそうです.......。直並列制御していたため,本数が多いようなのですが,幸い,火災事故は起こらず,1940年に当時,この路線を管轄していた国鉄が新型車両に置き換えるまで使用されました。のちに制御回路は低圧として高圧を扱わない,間接式制御が主流となります。

rail'jpg.jpg 直流4線式になっています。

地下鉄の経営は建設費が膨大なことからどこも厳しく,City & South London Railwayも例外ではなく,20年後に米国傘下資本に吸収されてしまいますが,その間,目立った事故はなく,iruchanは鉄道技術の偉大なパイオニアとして尊敬しています。

その後,このシールド工法により建設された地下鉄が増えていきます。

Tubeと呼ばれたのは1900年に開業したCentral London Railway(CLR。現在のCentral線)です。City & South Londonを大型化した車両が特徴で,これが以後のtube車両の基礎となります。区間は現在のCentral線Shepherd's Bush~Bank間です。1903年からは本格的な7両編成の電車方式で運転開始します。というのは安全性の観点から,電車方式は不認可で,最初は機関車方式しか認められなかったためです。▲の事故の前にすでに,直接制御方式による電車の火災が相次いでいました。それで機関車方式でスタートしたのですが,周辺のビルに与える振動がひどく,わずか3年で電車方式に変更します。

この電車の制御装置には米国のFrank J. Spragueが発明した間接式が用いられました。

Spragueは電車の開発に重要な,この間接式総括制御と吊掛式動力伝達装置を発明した人物です。どちらも長く用いられたのはよく知られていますね。C&SLRやCLRの機関車は吊掛式が発明される前だったので,電機子軸に直接車輪がついているダイレクトドライブ方式ですが,軸重が重くなり,振動が大きいです。これを解決したのが吊掛式です。CLRの電車も吊掛式です。

一方,間接式制御については,Spragueはもともとエレベータの会社を経営しており,そのモータを制御するためのリレーをon,offする機構から発明したもので,モータで接点がついたドラムを回転させるものです。最初に用いられたのはシカゴのSouth Side Elevated Railwayで,iruchanも大好きなTVドラマ "ER" でよく登場するループと呼ばれる高架式鉄道の一部です。ここを1897年に電化する際に採用されました。アメリカって都会の路面電車を地下にするんじゃなくて,シカゴやニューヨークもそうですけど,高架式鉄道にしました。ディズニーの "ズートピア" に出てくる電車もそうですね。どうもニューヨークのマンハッタン島は地下が岩盤で,トンネルが掘りにくかったのが原因ではないかと思います。ただ,高架式鉄道だと騒音や振動がひどいし,日照の問題もあり,結局,どんどん廃止されることになり,今残っているのはシカゴくらいですね。ちなみにニューヨークの地下鉄は1904年に開業しています。

もっとも,Sprague自身はそれほど電車の開発に熱心だったわけではなく,やはりエレベータに専念することにし,その後,電車制御部門はライバルのGEに買収され,それをいやがったエンジニア達が作ったのがWestinghouseの電車部門です。その後,この両社が電車の制御装置の開発を主導するわけですね。日本でもGEと提携した東芝系のカム軸式制御器とWHと提携した三菱電機系の単位スイッチ式制御器が普及することになります。インバータ式になっちゃったので,もう笑いごとという感じすらするくらい,直流の抵抗式制御の話は過去のものとなってしまいましたけど......。

再び,Central London Railwayに戻りますと,この1903年の電車は全鋼製車体で,確証はないのですが,一部の本には世界初と書かれています。やはり地下鉄は火災がいちばん怖く,1927年開業の銀座線の1000形がわが国初の全鋼製電車なのも火災を警戒してのことです。国鉄でも私鉄でも,全鋼製の車両が普及するのは戦後のことですから,どちらも非常に早いですね。また,1909年にはATSを設置しています。ATSは銀座線や丸ノ内線,御堂筋線,東山線などで使われた打子式ATSで,赤信号に連動してT字型のレバーが地上から立ち上がり,赤信号を冒進するとそのレバーが列車のブレーキ管に設けたコックを開く,と言うものです。

以後,1900年にはアメリカの資本が入ってCity & South LondonやCentral Londonも含め,すべての地下鉄道会社を買収するとともに,新路線の建設を進め,1920年代には今の路線網がほぼ完成しています。

ただ,シールド工法を使ってもさすがに地下鉄の建設費は膨大で,おまけにDistrictなどのSurface Lineの電化も課題となり,次第に米国資本が入って会社の統合が進みます。おそらく,第1次世界大戦の前後にはかつての大英帝国の威光も消え,新興国のアメリカの援助を仰がないといけない状態になっていたのだと思いますが,シカゴなどで路面電車などの交通網を独占していた,Charles Tyson Yerkesの格好の獲物だったのでしょう。彼はロンドンの地下鉄も支配します。

Yerkesはシカゴの市内交通網を贈賄や恐喝など挙げ句の果ては女まで使ったりして,合法,非合法のあらゆる手段を使って競合相手を買収し,独占すると収益・配当最優先の経営をしていた人物です。メンテナンスは最低限に抑え,古い設備と車両ばかりで列車本数が減り,混雑は大変なもので,サービス低下は著しく,市民の怒りが溜まっていた状況のようです。フランチャイズ権を維持するため,市当局への贈賄もさすがに収賄側からもまずいと思われる状況となって交渉がうまくいかなくなり,とうとう最後にシカゴの交通網を売却して,今度はロンドンに目をつけた,と言うわけです。

今,日本の各地で自治体の財政状況悪化から水道を欧米コングロマリットに売却する動きがありますけど,危険です。すでにアジア各地でこのような19世紀のシカゴの交通網と同じサービス低下と料金の大幅上昇が見られます。安全であるはずの水道がこんなになっちゃうとまずいと思います。

彼は有名なヤーキス天文台もシカゴ大学に寄贈? していますが,実際はシカゴ大学が "これであなたの汚名も返上できるでしょ" とほのめかして寄付を要求したようです。また,すぐに新聞に合意をリークし,Yerkesが断ろうとしたら新聞に出ている,と言う状況で,この点はシカゴ大学の方が一枚上,だったようです。

ヤーキス天文台,と言うと世界最大40インチの屈折望遠鏡を持っていることで有名で,iruchanも子供の頃から知っているのですが,今じゃ,誰もロンドンではYerkesの名前なんて知らないのに,星に興味がある人はこの悪名高い人物を誰でも知っている,というのは皮肉なことです。

1933年7月,とうとうロンドン地下鉄は国有化されることになり,Yerkesの帝国も終焉を迎えることとなります。彼自身は1905年にニューヨークへの帰途,腎臓病で世を去っています。

     ☆          ☆          ☆

ロンドンの地下鉄の電化方式はユニークな4線式です。

普通,第3軌条方式なら銀座線みたいに負のレールは不要なのですが,ロンドンは4線式になっています。これはYerkesなどが米国で使われている電化・信号システムを持ち込んだためのようです。最後まで,Yerkesの買収に抵抗した孤高のMetropolitanはハンガリーGunz社の3000V3相交流電化システムの採用を検討しますが,先にMetropolitan Districtを買収してCircle線の電化をもくろんでいたYerkesと衝突し,結局,当時,交通行政を担当していた商務省が調整に入り,Yerkesの直流電化システムに決します。Circle線およびDistrict本線の電化完成は1905年7月1日のことです。

ところが.......,

いきなり初日から大トラブルで,集中豪雨でHammersmith駅が水没したり,Acton Townの駅で電車が脱線したばかりか,そもそもMetの電車がDistrictの線路へ乗り入れできない,と言うことが判明して大騒ぎとなります。なんと,Metの集電靴が低すぎ,Districtの第3軌条に引っかかっちゃったようです。この両社の仲が悪いことはさっきも書きましたけど,なんと,共同で試験区間を作って電化試験をやったのに,営業開始日まで,一度も乗り入れ試験をやっていなかったようです。お前ら何やってんだ......。

結局,蒸気機関車を引っ張り出してきて蒸機運転を再開して列車の運行を確保するとともに,Districtの電化設備を3ヶ月かかって改修してようやく電車による運転が開始されます。やれやれ.....。

ちなみに,3相交流電化はスイスのユングフラウ鉄道やゴルナーグラート鉄道に見られますが,パンタが2丁載っていて,レールと3本で3相交流を使っています。渡り線どうすんだろ~,なんて思っちゃいますし,当時は整流器がないので電車のモータは誘導モータを使う予定だったんですけど,インバータなんてない時代,回転制御はどうすんだ? という気がしますが,こちらは抵抗制御でなんとかなります。一応,誘導モータも電圧で回転数を制御することが可能ですので。もっとも抵抗じゃ損失が大きいので,可変リアクトルを使っているはずです。

もっとも,架線方式での地下鉄電化は架線切断時の火災の危険性が大きく,Surface線はもとより,tube路線では天井の高さが全然足りない,と言うこともあり,無理があったと思います。

次に問題となったのは信号。

すでに自動信号システムは一部で導入されていましたが,列車本数が増えると閉塞区間も短くする必要があります。

C & SLRやCLRで用いられていた自動信号システムは駅の出発信号と場内信号を制御するだけのものなので機械式接点を採用したシステムで,軌道回路を用いないものなので問題ないのですが,列車本数が増えると軌道回路を用いて,さらには閉塞長も短くしたい,と言うことになります。

ところが,鉄道の電化システムはレールを負のき電線として使うため,信号は2本のレールに流す必要がありますが,これとバッティングしちゃいます。

普通は日本など,信号には交流を使います。こうすると,電車を走らせるき電電流と信号電流を分離できます。レールを閉塞区間ごとに切り離さなくてはいけなくても,インピーダンスボンドを使って直流的にはつながっている状態にでき,き電電流を変電所に返すことができます。

まだロンドンのシステムでは交流の信号システムが開発されていなかったため,直流を使いましたが,そのため,走行用のレールとは絶縁する必要があり,4線式となっているようです。最初,見たときはなんでこうなっているの~!? とびっくりした記憶があります。

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今ではロンドンの路線延長は400kmを超え,東京の倍です。そもそも日本では建設費が高く,おまけに丸ノ内線の後は相互乗り入れが前提となったため,トンネルが大きすぎます。これじゃ,お金がかかりすぎ。今じゃソウルの方が路線長が長いなんて,おかしいと思います。おまけに相互乗り入れしているから,結局はどの路線も大手町と霞ヶ関を通るような路線ばかりで,肝心の所に地下鉄が通っていない,と言う状況はなんとかしてほしいです。六本木なんて,大江戸線が通るまで長い間,日比谷線しか通っていませんでしたし,品川は今でも地下鉄がありませんね。

最初から,ロンドンみたいにミニ地下鉄で作っておけば東京はもっと便利になっていたのでは,と思います。ミニ地下鉄にして低コストで路線の建設を進め,本当に必要なところに線路を引いた方がよかったでしょう。ターミナルで乗り換えが必要になりますが,ロンドンではターミナル駅のホームど真ん中に地下鉄コンコース行きのエスカレータがあったり,乗り換えが非常に便利になっていますから,それほど不便を感じません。

むしろ,相互乗り入れなんてやっているから○○の山奥で人身事故があったからと言って都心の地下鉄が遅れる.....なんておかしくありません? また,環状線は地下鉄でやるのがやはり正解。日本は東京も大阪もJRがやっているので,乗り換えのたびに料金取られるのも不都合。地上を走っているので乗り入れもできない。ロンドンの地下鉄が四通八達しているのは郊外線の電車が環状線に乗り入れることができるからで,そのため旅行者には非常にわかりにくいですが,慣れると乗り換えが少なく,非常に便利です。名古屋は地下鉄で環状線作ったので正解です。さらに,名古屋はどうしても環状線と言っても輸送密度が部分的に異なるので,名古屋港へ行く電車を利用して,混雑する大曽根~金山間を緩和しているのはお見事[晴れ][晴れ]

そもそも東京メトロは13号線が完成したら東京の路線網は完成,と言っているので,新たな路線が建設されることはありません。一体,どうなっているのか......。

話が脱線しましたが鉄道の話をしてるんだから脱線はまずい,ロンドンはやはり地下鉄が便利。ヒースロー空港へも延びています。iruchanもよく利用しています。
 
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2018年9月15日追記
けふの日経朝刊にかやうな記事が載つてをりました。
連続災害(日経'18.9.15).jpg
一体,いつから日本はこんな高い周波数で電化されるようになったんだ.......。

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倫敦消息~ロンドンから~ [紀行]

2018年9月15日の日記

先日,黒部峡谷へ行ったばかりですが,iruchanは今日まで,ロンドンに仕事で行っておりました。ロンドンは実に18年ぶり。さすがに子供が生まれたので最近はほとんど行っていませんでした。ずいぶんと街は変わったかな,と思ってもほとんど変わっていません。昔ながらの古い建物が建ち並ぶ街並みは本当に美しいですね。家はおろか,ビルまで古くなると建て替えちゃうどこかの国とはえらい違いです。だからそんな国の首都はちょっとの年月ですっかり町の風景が変わっちゃいますが,さすがロンドンはいつ行っても荘重な雰囲気は変わらず,街並みは美しいですね。

さて,なんとか夕方,早めに会議を終え,地下鉄Circle線のEmbankment駅へ。ここからナショナル・ギャラリーに行くことにします。

trafalger square.jpg ナショナル・ギャラリー

正面はトラファルガー広場で,1805年,仏=スペイン連合艦隊をトラファルガー沖で破ったネルソン提督が立っています。

う~~ん,なんか,日本だと東郷元帥が銅像になって東京駅前の広場に立っているようなものなんですが,銅像と言えば日露戦争の時の旅順港閉塞作戦中に戦死して,万世橋駅前の銅像になった広瀬中佐が有名ですね。おそらく,この像を参考にしたのだと思います。太平洋戦争後,日本の軍国教育のひとつとされて撤去され,再建されることはありませんでした。

さて,ナショナル・ギャラリーでのお目当てはこの子。

the execution of lady jane grey.jpgレディ・ジェーン・グレイの処刑

  Delaroch's "The execution of Lady Jane Grey"

夏目漱石がこの絵を見て,恐怖感を覚えて短編 "倫敦塔" に書いていますね。英国留学中に抑うつ状態となって下宿に引きこもっていたのはよく知られていますが,この絵の影響もあったのでしょうか。

iruchanもこの絵のことを最初に知ったのは中学の時に朝日の日曜版に出ていたのを見たのが初めてですが,これほど残酷で怖い絵はない,と思ったものです。

一度,実物を見てみたい,と思っていたのですが.....。

昨年10月から,東京・上野の森美術館に来ていたので,見に行きたかったのですが,3時間待ちなんて大人気で,とても見に行く気がせず,今度ロンドンに行ったらナショナル・ギャラリーに行こう,と思っていました。

ところが......。

残念ながら,今,この絵はナショナル・ギャラリーで展示されていないのです。

事前にググってみて大ショック[雨][雨][雨]

さすがに,もう幽霊になっちゃったので,どこかで化けて出ているのだろう,と思いましたが....。どこほっつき歩いてんだよ.......。

しかたないので,インフォメーションの親切なおばさんに聞いてみると,やはり "on the loan" (貸し出し中)とのこと。さすがにそれだけじゃ面白くないので,今どこ? と聞いてみたら,端末をチョコチョコ叩いて調べてくれ,今はヒューストンらしいです。ついでに,今度,ロンドンに帰ってくるのは来年2月だそうです。

アメリカなんかでボ~っと遊んでんじゃねぇよ~~(チコちゃんの声で!)

と思いました。そもそもお前さんが死んだとき,アメリカなんて国はなかったろう,そんなとこで化けて出ててもど~しようもないやろ,と思いました.....(^^;)。

と言う次第で,よほどiruchanはこの子に嫌われているのか,いまだに会ったことがないのです。

        ☆           ☆           ☆

1537年,ヘンリー8世の異父兄であったサフォーク公の長女して生まれたジェーンはヘンリー8世の唯一の生存男子で,9歳で即位したエドワード6世がわずか15歳で死去すると,その跡目争いに巻き込まれていくことになります。

もちろん,そんな幼い子供が即位すると周辺の重臣達が政治利用するのは明らかなので,ヘンリー8世は集団指導体制を遺言していくのですが,豊臣秀頼同様,こういう体制がうまく行くわけはなく,重臣の1人で枢密院議長に就任したジョン・ダドリーがジェーンを利用し,息子と結婚させた彼女を即位させて後ろで操ろう,と考えました。

問題となるのはヘンリー8世の長女のメアリーです。それに,妹にはエリザベスがいます。

そこでジョン・ダドリーはメアリーがカトリックなのを利用し,エドワード6世に次はジェーンと遺言させてジェーンの即位を宣言しますが,メアリーの拘束ができなかったのが失敗のもとで,逆にジェーンが拘束されてロンドン塔に幽閉され,処刑されることとなってしまいます。彼女が即位してから9日後に処刑されたので,9日間の女王,とも呼ばれます。処刑されたときは16歳でした。うちの娘と同い年だな......。

デラローシュが19世紀に描いたこの絵は実際の処刑の場面ではない,ということが明らかになっています。

本来は反逆罪なので,衆人環視のもと,黒い囚人服を着て,目隠しもされず公開処刑されていて,実際には最後に勇敢にも "Please dispatch me quickly." (早くあの世に行かせて)と言ったそうです。

ところが,この絵は白い服をまとい,従容として死を受け入れ,密室で最後に自分の首を載せる台を手探りで探し,と言う絵になっています。奥では侍女が絶望のあまり,壁に倒れかかっていますし,彼女の耳元では教誨師? が最後のお祈りを捧げています。床には血を吸うためのわらが敷き詰められ,処刑人も気の進まない仕事を押しつけられ,女王に憐憫の情を寄せている感じがします。

斬首刑と言っても,当時は斧で力任せに首を切り落とす,と言う手法が普通で,ただ,のちの断頭台でもそうでしたけど,結構,首って切り落とすのは困難で,失敗することが多く,実際,エリザベスに殺されたスコットランド女王のメアリー1世(先ほどのメアリーとは別人。在位1542~1567)も1刀目ではまだ生きていて,何かお祈りを捧げていたので2刀目を振り下ろしても,まだ首が切断されず,ようやく斧をのこぎりのようにして切り落としたと言われています。それでフランスのギヨタン博士が断頭台を発明するのですが,これとてうまく行かないことがあり,フランスのルイ16世も刃が落ちた後,何か叫んでいて,そこでしかたなく,処刑人が体重をかけて首を切り落とした,と言う話が残っているくらいです......。ゾ~ッ!。

メアリーはイングランド女王として即位し,徹底的にプロテスタントを迫害します。カクテルのブラディ・メリーは彼女にちなんだものであることは有名ですね。iruchanも好きなお酒です。

実はこの絵は,彼女は国王として権力を振るって国を支配するつもりなどなく,単に世間に対して無知で,義父に利用されただけと彼女の潔白を証明するため,あえて史実とは異なる状況で描かれた,とされているのです。

あまりにもiruchanも気の毒で見るに堪えない絵なのですが,一度,本物を見てみたいと思っています。いまだにその夢は叶っていないのですが......。

絵はがきを買ってきたので,毎日,拝んで彼女の霊を慰めることにします。

しかたないので,と言うわけじゃありませんが,もう一つのお目当てはやはりフェルメール。ナショナル・ギャラリーには2枚,展示されています。

vermer.jpg 大好きなフェルメールです。

"ヴァージナルの前に立つ女" と "ヴァージナルの前に座る女" の2枚が展示されています。狭い第16室で展示されていて,まあ,誰かに聞かないと行けないような奥の狭い部屋で,iruchanもスタッフに聞きました......(^^;)。


rembrandt.jpg 

  レンブラントの有名なこの絵はここにあります。

どうもiruchanはオランダ絵画が好きなのか,レンブラントも大好きです。1669年,彼が63歳の時の自画像です。この年,世を去っています。

わさび.jpg わさびってなんだよ~

帰りはどこかで食事を,と思っても,1人じゃレストランに入るのも気が引けるし,時差ぼけでそんなに食欲もないしな~と思っていたらEmbankmentの駅前に持ち帰りの寿司屋があり,結構,OLの おばさん お姉さん達で賑わっています。

どうにも気になるので買ってみました。iruchanはレストランを選ぶ基準として,おばさん お姉さんが多い店,と言うのを基準にしています。おばさん お姉さんというのは味にうるさいですからね.......。ホテルに帰って調べてみると,わさびという英国のチェーン店のようです。

食べてみてびっくり[雷]

まあ,わさびは外人さんには受けないので,別の袋に入っていますし,アボガドが入ったカリフォルニア巻が入っているのはご愛敬として,マグロやサーモンの握りはもとより,巻き寿司も非常に美味[晴れ][晴れ] 少なくとも,うちの嫁さんが近所のスーパーで買ってくるサーモンより断然おいしい! お米もちゃんと短粒種(当たり前か~~)だし,おいしい寿司でした。値段もリーズナブル。▲の寿司セットは£8くらいです。まあ,日本より少し高い,くらいでしょうか。ほかにDonburiと称して鳥の照り焼きのどんぶりや,カレーの弁当もあり,おいしそうでした。

なにより,ちゃんと日本の文化であることを紹介するため,わさび なんて店の名前にしているのも好感がもてますし,親切な兄ちゃんは ”Kotchi!" なんてかたことの日本語をしゃべっていました。

こうして古いものは古いものとして大切に保存し,新しいものも優れたものには敬意を払い,受け容れていく,という国民性は大いに見習うべきだと思いました。

以前,ワシントンのダレス空港で,韓国人が経営する寿司の売店がありましたけど,いきなり "アンニョンハセヨ" っと挨拶されたのにはさすがのiruchanもブチ切れた経験があります。"You must say, 'Konnichiwa'" と言ってやりましたけど......。

さすがにこの寿司だけじゃ,足りないと思ったのでカップ麺を買いました。といって,結構寿司は量が多く,これでお腹がいっぱいになっちゃったのですけど.....。

ワシントンでちゃんと日清が作っている,カップヌードルを買って帰ってきたことがありますが,あまりにまずくて子供らは誰も食べず,iruchanが一人で食べた経験があります。カップヌードルと言っても米国人向けの味付けになっていて,とても食べられたもんじゃありませんでした....。

そのときの経験もあるので警戒したのですが,このラーメンは意外においしかった[晴れ]

麺はそうめんみたいに細くて丸い麺です。スープは豚骨らしく,意外においしいです。ただ,うまくかき混ぜなかったらしく,底の方は酸っぱくて参りましたけど.....。一応,日本風にKabutoというブランドになっていて,"Samurai must stir first." なんて注意書き? もありました。オレはサムライじゃねえってば!

といっても,側面には "He who knows others is wise, he who knows noodles is enlightened." って書いてありました。それは老子だっちゅ~の!!

さて,翌日はもう帰らなきゃいけないので,あまり遠くへ行っちゃいけません!

都心へ行くのはあきらめた方がよいので,ホテルから近いキュー・ガーデンへ。一度,行ってみたかったんですよね~。

さすがにキュー・ガーデンは地下鉄District線の終点Richmondに近いところなので,都心のホテルからは遠く,ツアーなんかにも入っていないことが多いと思います。iruchanもここへ行くのは初めてです。

District線の電車に乗ってものの30分もしないうちに緑豊かな田園地帯となり,ひろいテムズ川を渡るとKew Gardensの駅に着きます。さすがに周囲は高級住宅街だけあって,静かなところです。

それにしても地下鉄で30分ほどの距離のところに豊かな田園風景が広がり,こんな大きな公園があるなんて,やはり,英国はやはり素晴らしいですね! 日本じゃ,電車で30分乗ったって周りはビルだらけ,ですからね.....。

palm house.jpg 有名なパームハウスです。

キュー・ガーデンは1759年に王立植物園として開設されました。今はユネスコの世界遺産に指定されています。このPalm houseはその名の通り,ヤシなどの熱帯の樹木を育てるための温室で,1844年の建設です。大英帝国の領土内から運ばれた熱帯植物が栽培されています。中は上から雨粒みたいに温かい水滴が降っているくらいのきわめて高湿度になっています。あまり日本でもここまで熱帯の気候を再現した温室はないと思います。

temperate house.jpg Temperate house

もう一つ,ヴィクトリア朝の様式で建てられた温室があります。世界中の熱帯,亜熱帯の植物を栽培していて,日本の竹やサゴヤシの展示もありました。Native distribution:JAPANと書いてあるのが気になりましたけどね.....。Native distributionというと,原産地かと思いますが,まあ,日本でも宮崎などサゴヤシを植えているところがありますが,普通はインドネシアかそこらだと思いますが.....。

temperate house1.jpg Temperate Houseの中

   このように,中は美しい花が咲き乱れています。

cactus.jpg おみやげのサボテン

"たまに水をもらうのは好きだけど,窓越しの直射日光は避けて。焼けちゃう~~" ってのが笑えます。

日本では見たこともないような色とりどりのサボテンが売られていました。

おみやげに....と思っても,土がついている植物はいかなる種類でも持ち込み禁止ですので,日本に持って帰ることはできません。

まあ,英国人は園芸好きで,この公園も朝早くから賑わっていました。大好きな映画 "北京の55日" のラストで英国公使役のデヴィッド・ニーヴンが帰国したら何をする,と聞かれて田舎に帰って庭の手入れでもするよ,と答えているのはまるで日本人と感覚が同じ,と思っています。ちなみに,この映画,義和団事変に際して諸国軍が介入したときの話を描いていますが,日本からは伊丹十三がちらと顔を出していますね。

英国の人は日本人に似ているなと思っています。iruchanも毎日,誰からも頼りにされず冷や飯食ってるし,早く田舎に帰って庭いじりしたい.....。

        ☆              ☆              ☆

まあ,ヒースローへはPaddington駅からのHeathrow Expressの方が断然速くて快適ですから,そっちの方がいいです。地下鉄だと狭いし,スーツケース置く場所もありませんからね.....。

heathrow airport terminal5.jpg 大混雑のterminal 5

ヒースロー空港は2008年にターミナル5が開業し,大幅に改造されています。以前のターミナル1は2015年に閉鎖されています。iruchanもターミナル5を使うのは初めてです。

ただ......。

はっきり言ってゲロ混み。

出発に利用した羽田より混んでいて大変。それこそ人とすれ違うのも苦労するくらい混んでいるところもあって,帰りに空港でフィッシュ&チップスで昼飯,なんて考えていたらレストランもゲロ混みで,こんなんじゃおいしく食べられないのでドラッグストアで買ったサンドイッチで昼飯。まあ,イギリスのサンドイッチは結構おいしいので,これはこれでいいんですけどね.....。

それにしてもゲロ混みなのはあきれた。おまけにいつまで経っても出発ゲートが表示されない。普通はゲート横の椅子に座って本でも読んで待っているんですけど,それもできそうにない。

これじゃ,大変だなぁと思ったら,すでにターミナル6の計画があるらしいです。

まあ,やはり空港というのはその国の景気や利益ばかりじゃなく,そもそも国力を反映しているわけで.....,混んでいると言うことは結構なことです。帰りに着いた成田は薄汚く,がらんと空いているし,今の日本の状況を反映しているな,と思いました。おまけに東京まで1時間もかかる成田エクスプレスはやっぱりいただけない。駅の出札は大混雑だし,単線だからホームは逆方向の列車も来るし,出たと思ったら延々と田んぼの中を走るし.......,初めて日本に来た外国の人は驚くと思います。切符も日本語表記しかないのは驚き。外国からの観光客の皆さんはみんな聞いていました。

NEX切符.jpg 

 これじゃ,どこに座りゃいいのかわからへんやろ!

東京着はなぜか7分延! なんでこんなに遅れるの~~?。E259系も車内が薄汚いし,シートの赤いところも黒くなっていました.....orz。

アナ雪2.jpg アナ雪やってます[晴れ][晴れ]

帰りはBA(英国航空)にしました。行きの飛行機は777だったけど,帰りは787。国際線の787に乗るのは初めて!

やっぱり787は広いし,きれいなので快適。大気圧も1800mくらいなので少し気分も楽,という感じです。

残念ながらBAは映画がショボく,ロクなのがなかったけどアニメでアナ雪があったのに感激!! おもわず成田に着くまで4回も見ちゃいました.....(^^;)。

というのも日本語のほか,英,仏,伊,露,中,韓の7カ国語を選択できます。DVDだとリージョンの都合で日本じゃ,英,仏,伊版以外は見られませんし,そもそも日本版のアナ雪は英語しかついていませんからね。

まあ,韓国語,中国語で見る気はしないし,それに,どう聞いてもイタリア語じゃ,コメディーに聞こえちゃうのでフランス語とロシア語でも見てきました。また,仏,露,伊とも,アナではなくアンナと発音していました。

でも,やっぱり日本語版が最高。もちろん,意味がわかるというのは当然ですけど,何より松たか子さんと神田沙也加さんは歌も吹き替えも非常にうまくて最高!

"Let it go!" は以前,こちらで少し書きました。

フランス語版はどうにもみんな声がハスキーで,声域が低すぎ。歌はエルサのはちょっと違和感あり。特にエルサはシルヴィ・バルタンか,ブリジッド・バルドーみたいな感じがしてしかたない。どうもフランス人って,こういうダミ声が美人の条件,なんでしょうか......。

歌っているのはAnaïs Delvaさんで,カナダのフランス語版も歌っています。ただ,なんか,巻き舌で "Libérée, délivrée" ってどうにも耳についちゃってやな感じです。エンディングは日米は別の歌手でしたけど,フランスは同じ人が歌っています。

ロシア語版は結構,きれいな人が歌ってます。"ヤー,オラフ" ってのだけわかりましたけど。"ヤー,チャイカ"(私はカモメ)なんて言ったおばさんもいたな......(古っ!)

でも,なんかロシア語版もやたらダーと耳につきますね。それに......,

アナの最後のセリフも

frozen no!-1.jpg ニェッ~~~ト!!

でした。

エルサの首を悪党のハンスがはねようとしたとき,止めに入ったアナが最後に叫んだ言葉.....神田沙也加さんのダメ~~っ!! もいいですけど,英語版はNo! なのでロシア語版もやはりニェットでした。

iruchanは,お前はウィッテかよ,樺太全部よこせ~って思いました.....(^^;)。

    ☆          ☆          ☆

ところで,ジェーン・グレイは反逆者とされているので,Queenの称号じゃなく,単にLadyと称されています。

彼女は家柄と長女という立場から厳格に育てられ,ほとんど外出も許されず,読書を唯一の楽しみとして育ったそうです。なんかエルサと似ているな~。聡明な彼女はもし,女王として君臨していたらイングランドの歴史に名を残したかもしれません。

ただ,歴史上,わずか9日間だけだったとは言え,女王として即位しているのですし,そもそも歴史というのは勝者が記録,記述するので,歪曲している可能性もありますから,歴史はのちの歴史家が公正な立場で考えるべきです。

公正に考えればやはり彼女は歴史上,最初のイングランドの女王とすべきでしょう。おそらく,メアリー1世が "She was not Queen." と言った(言いそうな)のを歴史家が忖度してそのように書いていたのでしょう。

それにしても悪党のハンスがアナを見殺しにして,エルサを斬首して権力を握れば正統性を主張して歴史が枉げられていたでしょう。後で牢獄にぶち込まれたハンスを国外退去処分にしたのはいただけない。アレンデールの国内法できちんと裁くべきだったでしょう。とはいえ,殺人未遂で終わってしまっているので,ロシアのニコライ皇太子に斬りかかった津田三蔵同様,死刑にするには難しいかと......。

彼を殺人未遂罪で裁き,無期徒刑に処した大審院長の児島惟謙は日本が法治国家であることを国内外に示した偉人だと中学の時に習いました。しかし,児島は翌年,花札賭博の罪を着せられ,職を追われているし,後世はパッとした活躍をできていないようです。結局は,正しいことを言ってもこの国では正しく評価されないんだ,ということを知ったのはずっと後のことです。


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