黒部ルート見学会&さよならトロリーバスツアー [紀行]
2018年8月26日の日記
一昨日まで,iruchanは家族を連れてかやうなところを見に行つてをりました。
この写真は何なのか,わからへんやろ!!
黒部川第四発電所の発電用プロペラシャフトです。毎分360回転で回っていて,60Hzの交流を発生させます。同期発電機の回転数はn=120f/pで表されますから,20極の発電機,と言うわけですね.....。ものすごい轟音とともに,周囲にかなりの風を引き起こしています。頑丈な扉で隔てられていて,外はとても静かです......。そういえば,発電機内部の風による電力の損失があるので(風損と言います),発電機内部は質量の小さい水素ガスで充填して風損を減らしている,と言う話を聞いたことがありますが,ここは普通の空冷式で,そうなってはいません。
直径3.3mのステンレス製で,重量12tあるそうです。砂粒で表面が荒れる,と説明がありましたが,キャビテーションによる潰食もあるのでは,と思います。普通,水力発電所はフランシス水車かカプラン水車と決まっていますけど,黒四は高落差のため,ペルトン水車です。ノズルは6本とのこと。
夏なので観光放水中です。すごい迫力。
黒部ダムって,アーチダムなんですけど,ウィング形と言って,左右にこのように逆向きのアーチ部分がありますが,これは重力式ダム構造になっていて,黒四ダムがこうなったのは岩壁の強度が上部ほど弱くなっていたためのようです。当初案は普通のアーチダム構造だったようです。
iruchanは北陸の人間なので,黒部ダムというとやはり特別な存在です。それこそ,iruchanは昔からなぜか水力発電に興味があり,小さい頃から本を読んだり,TVのドキュメンタリー番組を見たりしましたけど,このダムがすごいことは子供の頃からよく知っていますし,破砕帯や高熱トンネルと言う言葉ももちろん知っていました。自然と闘って克服した,人間の偉大な勝利,というと,今では少し前の価値観という感覚があるのですが,北陸の人間としては,やはり誇りの対象。どこか,精神的な支柱という感じがするのはiruchanだけでしょうか。また,iruchanも子供の頃から,たくさんの犠牲者を出したこともよく知っていて,尊い人命の犠牲の上に電力の恩恵を受けている,ということは小さい頃からよく意識していました。といって,北陸にあるからと言って北陸電力のダムじゃないし,ここで発電した電気を使っているわけじゃない,というのを知ったのはずっと後のことですけどね.....。
余談ですが,黒部川の水利権は関西電力が持っていますが,戦前は日本電力が得ていて,ここの電力を関西へ送電していた関係で,戦後,関電が引き継いだのだと思います。ちなみに,日本電力は大阪を本社とした会社で,当時,日本には電力会社が5社ありましたが,黒部川第三発電所が完成すると解散し,日本発送電に統合されます。私鉄が関西と関東で阪急,東急に統合されたのと同じ理由で,戦時下の統制によるものです。ちなみに富山地方鉄道というのも1943年に富山地域6社を統合したものです。
ただ,当時は発電・送電と配電で会社が分けられており,関西では配電は関西配電が担当していました。だから,一般の消費者が接するのは関西配電で,うちの親父はいまだに関西電力じゃなく,関西配電と言ってます。ちなみに京都からの電車は省線電車と言っています.....(^^;)。これ,ホンマです。意外に関西のお年寄りの中にはいまだにかういふ人がゐるのです......単にボケとるだけやろ。
☆ ☆ ☆
ということなのですが,黒部ダムへ行くには,山登りをする人以外は,普通は立山黒部アルペンルートしかないのですが,欅平から奥の業務用の設備を利用してダムへ行くことができます。
黒部川をさかのぼって,黒部峡谷鉄道のトロッコ列車で欅平まで行ったとして,普通の人はそこから折り返してくるしかないのですけど......。
実はそこから先へもレールは延びていて,黒四ダムまで行くことができます。もとは,戦時下の1940年11月竣工の黒部川第三発電所の建設のために敷設されたルートです。しかしながら,欅平から先は温泉地帯であることもあり,トンネルの壁面が100℃を超える高熱隧道があって危険な上,きわめて狭いトンネルやエレベータもあるため輸送量が低く,一般の観光客を受け入れるには容量が足りないというルートのため,一般には公開されていません。
iruchanも子供の頃,親父につれてもらってトロッコ列車に乗りに行きましたけど,そこから先にまだレールが延びていることは知っていました。でも,当時は行くことはできませんでした。それにしても,そのとき,乗った列車は富山地鉄乗り入れの急行 "立山" でした(古っ!!)。懐かし~~~。おまけに宇奈月温泉の駅には "立山" の475系のほか,名鉄のキハ8000系がいて,なんでこんなのがおるんや,と思ったのも懐かしい思い出です。
ということで,欅平から先のルートは一般者立ち入り禁止だったのですが,関西電力の好意で1996年から抽選で行くことができるようになりました。
そこで,早速,実はiruchanは2001年にまだかわいかった嫁はんと一緒に行っています。 まだ結婚したばかりで,子供もいなかったけど,子供ができたら一緒に行こう,と思っていました。
そこで,今年,下の坊主が中学生になったので応募しました。確か,昔は中学生以上だったような気がしますが,今,ホームページを見てみると小学5年生以上ならOKのようです。
これは,本当に素晴らしいツアーです。本当に今,これほど意義深く,いろんな場所を見学できて,しかも美しい大自然に触れて雄大な景色を楽しめるのはもちろん,子供たちにとっては大変な社会勉強にもなるツアーはないと思います。ただ,やはり危険なので少人数のツアーとなってしまい,往復葉書による抽選です。今日の黒部ダムコースは倍率4.4倍だったそうです。
コースは前回は欅平出発のコースでしたが,今回は黒部ダムから下流に向かって進むコースです。歴史的には欅平発の方が歴史の通り進むコースなのでわかりやすいと思いますが,今回は前回と違って黒部ダムコースにしました。
これは,ちょっとひとつ,メリットがあり,なんと,昼食を黒四発電所の会議室で食べられるのです
欅平発だとちょうど昼食時間にダムに着くコースなので,レストハウスなどの食べる場所があるから食事はないのですが,黒部ダム発のコースは途中で昼食時間になってしまうためなのですが,普通はそんなところじゃ食事できないので,いい経験ですよね!
さて,まずは大町から出発です。
実は,黒三までは富山側から工事が進められ,また,搬入手段も鉄道でしたが,戦後の黒部ダムは長野県側から工事用資材の搬入が行われました。
そのため,延長5.5kmの大町トンネルが掘られることになりますが,その途中,フォッサマグナを通過するため,大破砕帯に遭遇,ぐしゃぐしゃに壊れた岩盤と40気圧を超える地下水の噴出に悩まされ,わずか80mの破砕帯を通過するのに7ヶ月を要した,というわけです。今度,リニアが中央アルプスを貫通しますけど,破砕帯は大丈夫なんかい? って思いますが......。
信濃大町で大糸線を降り,アルピコ交通の扇沢行きバスに乗り換えます。高速バス用の大きくて静かなバスに驚き!。とても快適でした。
ただ,ツアーは翌朝なので,一度,日向山高原でバスを降りてくろよんロイヤルホテルに泊まりました。とても豪華なホテルで大満足。露天風呂も快適だったし,フレンチのレストランも素晴らしかったです。
くろよんロイヤルホテルの中庭。イルミネーションがきれいでした。
ホテル前のバス停を8:16に出るバスで扇沢へ。ツアーの集合は10:30なので,もっと遅いバスでもいいのですが,それだとダムの見学ができないので,1時間以上,早く出ました。
ホテルはこんな美しい自然の中に建っています。
☆ ☆ ☆
さて,扇沢からは例によってトロリーバス........なんですが,それは今年までで,来年からは蓄電池式バスに代わっちゃいます。日本でトロリーバスは2社しかないのですが,1社がこれで消えてしまうことになります。ちなみにもう1社は山の反対側のアルペンルート室堂行きの立山トンネルトリーバスで,奇しくも日本ではほとんど同じ場所に2社,トロリーバスがあったことになります。
乗車券も記念タイプになっています。
気動車もJR九州は今後,投入しないと言っていますし,ディーゼルエンジンを使用した交通機関は徐々に消えていくでしょう。ここも,架線のメンテナンスを考えると,蓄電池式バスの方が維持費が安くて済む,という経営判断なのだと思います。もとから鉄道というのは1日ごとに運用が決められ,1ヶ月単位で事故や不意の運用変更がない限り,決められた行程で車両が運用されて,その中に仕業検査や給油などの作業があらかじめ組み込まれているので燃料の補給はやりやすく,仮にバッテリに切り替わっても給油と同じく,どこかで充電する行程を組み込むだけなので,バスや自家用車より,導入は容易です。燃料電池車もそのうち,同様にどこかで水素を補給するだけなので,導入されるかもしれません。
架線は直流600Vのプラスとマイナスで2本です。
ただ,水素のインフラが遅々として整備されませんし,車両の初期コストもべらぼうなので,もはやEV車との勝負はついたと思います。EVだと家庭で充電できますしね。動力用の200Vの配線工事は比較的簡単なので,わざわざ水素ステーションまで行くのは面倒ですし,今,ガソリンスタンドがどんどん消えて行っているくらいなのに,今後,水素ステーションがどんどん増えていくとは思えません。間違いなくFCVは自家用車としては使用されないと思います。某社のMIRAIの未来はない,と思っていますけど......。
iruchanはかろうじて,鉄道か,トラック,バスなどでFCVの目があるかもしれませんが,これも大容量,高速充電,低コストのバッテリーが開発されたらどうなるかわからないと考えています。下手すると常温超伝導が実現して,超伝導式の電力貯蔵装置ができたらFCVは不要でしょう。
このバスに乗るのも久しぶりですが,やはり,鉄ちゃんがたくさんいる感じ。バスは4台,発車しましたが,座席は満員で,立つ人も出るくらいで,とても混んでいました。お盆の時期は1本,600人も乗車したそうです.....。
バスだというのに,パンタ(じゃなくてポールですけどね)がついていたり,道路に架線柱がついていたり,色灯式の信号がついているのも不思議な感じ。ちょっと急勾配で,急カーブも多いのが鉄道と違いますが.....。
でも鉄のiruchanとしては,ちょっと寂しい。戦前に作られた富山側のルート同様,信濃大町から鉄軌道で輸送路が作られていたら,今ごろ,信濃大町からアプト式の登山電車で黒部ダムへ行けたかも......スイスみたいだな.....なんて思っちゃいました。
黒部ダムへ着いたら周囲を回ります。1時間半あったのですが,やはり足りませんでした。展望台からレインボー展望台,レストハウスと殉職者の碑を見て,堤体の道路を渡ってダムを一周するには2時間以上必要なようです。
さて,トロリーバス終点の黒部ダム駅駅長室前に集合して親切なガイドの方に案内していただき,ツアーが出発します。
黒部ダムコースの場合はまずはバス(これはディーゼルエンジンの普通のバスです)で30分乗って10.3kmもあるトンネルを通ります。単線トンネルなので,ところどころ待避所が設けられています。このトンネルは黒部ダムから発電所へ行くための資材を運ぶために建設されたものです。
タル沢の横坑です。
トンネルはところどころ横坑が設けられ,トンネル残土を排出した跡です。坑口に展望台が設けられています。もちろん,一般の人はそこへ行けませんけどね.....。
午後になると雲が出て,山頂が見えなくなることが多いそうです。一度,剱岳も登ってみたいのですけどね.......無理
その次はインクラインに乗車します。斜行エレベータのようなものです。人を運ぶときは人車が台車の上に載り,30人ほど乗ることができます。ケーブルカーのように,途中で交換設備があり,そこで上りの車両とすれ違います。高低差456mで,斜度は30゜のようです。ものすごい急傾斜に驚きます。
これも20分ほど時間がかかります。前回と違って,壁面に液晶モニタがついていて,ビデオを見せていただきました。
う~~ん,どこかアポロ宇宙船のランデブーという感じがしました.....(^^;)。
さて,ようやく黒部川第四発電所に到着です
発電機は1963年の送電開始当初,3基設置されていて総出力258,000kWでしたが,1973年に95,000kWの4号機が1基増設されました。今日は電力に余裕があるためか,2基だけ運転されていました。
とてもきれいな内部に驚きます。応接室などもあるのは海外の賓客なども来られるからなんでしょう。それだけ有名なわけです。地下150mに作られているのも驚きで,4基の発電機が設置され,総出力33万5000kWです。
発電機の設置されたホールで記念撮影です。横のスペースにペルトン水車が置いてあります。予備だそうで,時折,クレーンで操作して交換するそうです。
水車は独VOITH(ホイト)社の製造だそうです。DD54の流体継手はMekydro社製ですけど,ほかの国産DLも流体変速機は技術はVOITHが源流ですよね~~。う~~ん,やっぱドイツは強かった.....。
ここの会議室で夢の昼食
お弁当は予約制で,iruchanはます寿司のお弁当。子供らはおにぎり(これがでかい!)を扇沢駅で買って食べました。
名誉ある,米電気学会IEEEのマイルストーン賞です。2010年に受賞しています。ほかに,日本では東海道新幹線が受賞しています。
発電所を見学したらいよいよ上部軌道と呼ばれるトロッコ列車に乗車します。これは黒部峡谷鉄道と同じ軌間762mmですが,建築限界が小さく,さらに小さな客車で,1両あたり定員は10名,機関車もバテロコになっています。なんでそんなに小さいかというと.....高熱隧道があるからです。
ここから先,仙人谷のダムまでは戦後の建設で,黒部川第四発電所の建設のために戦前に設置された軌道を延伸したものです。
中島みゆきが紅白で歌ったのはこの駅で,駅を出て,欅平側に50mほど行ったところだそうです。
さて,仙人谷ダムまで乗車します。ダムは本当はもう少し上流の十字峡付近に建設する予定だったようですが,1934年に国立公園に指定されたため,下流に移動しました。両側が強固な岩盤だったのが選定された理由のようです。
鉄橋上でトロッコ列車が停車し,仙人谷ダムを見学することができます。
さて,ここからいよいよ高熱隧道に入ります。すでに鉄橋上では硫黄の臭いが立ちこめ,ここから先が危険な場所であることがわかります。高熱隧道は壁面の最高温度が160℃にもなるそうです。大部分の壁面がコンクリートで覆工されていて,建設当時とは異なっているようですが,素掘りのところは硫黄が結晶化し,湯ノ花ができていました。
ここでは工事中,高温でダイナマイトが自然発火し,暴発したため多数の犠牲者が出ています。高温のため,冷たい黒部川の水をホースで作業者にかける「かけ屋」が何人もならんで順番に水をかけたそうです。作業も20分が限度で,2時間休憩してまた作業,という今で言えば完全なブラック職場ですね~。いかに戦時下の突貫工事とはいえ,富山県警が問題視し,なんども工事中止を命令してきたそうですが,国策工事が優先され,警察も黙認せざるを得ない状況だったようです。なお,トンネルは1本だけじゃなく,軌道用のトンネルより直径の大きな発電用の導水路も作らないといけないので,高熱隧道は2本あります。
黒部川第三発電所の殉職者は300名を超えると言われています。中には志合谷にあった宿舎が有名な泡(ほう)雪崩で対岸に吹き飛ばされるなど,雪崩による犠牲者も含まれています。
黒四ダムも建設時には171名もの方が亡くなっています。とても戦後の工事とは思えません。今なら工事中止を余儀なくされるでしょう。それほどまでの犠牲を払って電力の恩恵にあずかっていることに感謝したいと思います。
レールは硫黄や温泉成分により腐食し,2年ごとに交換しているそうです。
さて,高熱隧道を抜けると欅平上部駅に着きます。ここからなんと,エレベータで200m下ります。エレベータは米OTIS社製です。さすがに1937年当時,これほど大規模なエレベータを作れる会社はアメリカにしかなかったのでしょう。そんな国と戦争しちゃいけません!!
上部軌道は欅平から仙人谷まで,5.7km線路を延長したのですが,250mも高低差があるため,勾配が40‰を超えてしまうので,線路自体は水平に作り,エレベータで貨車ごと運搬しようと考えたものです。戦後,黒四発電所を作るために,仙人谷からさらに900m延伸しています。
ただ,▼の本を読むと,仙人谷から黒部ダムまで複線の別線を建設し,ダム建設の資材輸送をする案があったようですが,勾配の関係から延長20kmにもなり,経費の点から最終的に大町案が採用されることになったようです。
最後の欅平展望台から。上流側に志合谷が見えます。右側に作業員宿舎があり,5階建てのコンクリート+木造の建物がありました。1938年12月27日未明,大規模な泡雪崩が発生し,木造の3階以上の部分のみならず,コンクリート造りの2階部分が対岸まで,600mも吹き飛ばされて84名もの人が亡くなっています。建物の残骸を事故直後には発見できず,結局,翌春,雪が解けてからこの岩壁の上の方で発見されました。2年後の1月9日の午後,今度は阿曽原谷の宿舎を泡雪崩が襲い,火災により28人が亡くなっています。
泡雪崩というのは大規模な表層雪崩の一種で,自然的にはきわめて珍しい現象で,そう滅多に起こるものではないようなので,短期間に続けて2回も起きたのは自然を恐れぬ人間に対する警告,と見る人もいます。
こうしてようやく欅平駅に着きます。ここでツアーは解散。今回のご案内をしていただいたガイドの皆様,本当にどうもありがとうございました。子供たちも大感激で,本当にいい経験になったと思います。また,行きたいと言っています。
欅平の駅のすぐ横に黒部川第三発電所(1940年竣工,81,000kW)があります。この発電所を建設するために高熱隧道が掘られました。今では少し上流に新黒部川第三発電所(1963年竣工,105,000kW)がありますが,これは黒部ダムの完成で水を再利用するために建設されました。
☆ ☆ ☆
ここからはいつものトロッコ列車。これ,本当にいつも思うのですけど,日本一楽しい鉄道だと思います。
ただ,驚いたことにむちゃくちゃ暑い!!
台風20号が接近し,南風が吹いているため,富山側はフェーン現象で暑いのですが,前日(22日)の富山市の最高気温は39.5℃でしたから,猛烈に暑いのです。ちなみにこの日は35℃でしたが,欅平でもムッとする暑さで,参りました。
さすがにトンネルの中はひんやりと涼しいのですが,明かり区間は猛烈に暑く,陽が当たった場所は大変な暑さでした。
何度もこのトロッコ列車には乗ったことがありますが,いつも寒く,暑いと感じたことはないのですけど.....。こんなことは初めてでした。
猫又付近にある1936年竣工の黒部川第二発電所です。総出力は72,000kWで,取水口は小屋平ダムにあります。独バウハウス卒業のグロピウスに学んだ山口文象がデザインしたもので,戦前の名建築のひとつとされています。すでに日中戦争は始まっていますが,まだ周囲の景観に配慮する余裕があったことにホッとします。先ほどの仙人谷ダムも彼がデザインした小屋平ダムを模したそうです。
☆黒部川第一発電所の謎
黒部川は総延長85kmと短いのに標高2,900mのところに水源があるため落差も大きく,また,豪雪地帯にあるため降水量が多い上に周囲は峻険な谷間にあり,ダムの建設に好適な場所のため,早くから開発が進みました。
ちなみに,黒部川でややこしいのは発電所とダムの名前が一致しているのは黒四だけで,あとはバラバラです。簡単にまとめておきませう。
と思ったのですけれど,実は,黒部川第一発電所といふのは存在しないのです........orz。
まあ,次はどうなるかわからないので最初に第一発電所と命名しなかったのでしょう。もっとも,単に第1号ということでは歴史的には弥太蔵発電所がそれで,実際,国土交通省の "黒部川水系河川整備計画" というPDFを見たら,"弥太蔵発電所(黒部川第1号発電所)" と書いてあります。
とは言っても,黒部川第一発電所というのはちゃんと歴史的には存在していて,おまけに過去には第四発電所どころか,第六発電所まで存在したのです。一体,どうなっとるんや.....。
ちょっと本を調べてみました。
関西電力建設部が編者になった,"黒部川第四発電所~世紀の難工事に挑んだ土木技術~" (ダイヤモンド社)という1965年刊行の本に載っていました。
確かに,過去には黒部川第一発電所というのは存在しました。現在は黒東第一発電所というのがそれです。1929年竣工の5,200kWの水路式発電所です。また,黒部川第四発電所というのも存在し,1932年竣工ですが,現在は黒西第一発電所となっています。ただ,いずれもこれらは下流域とされる宇奈月町愛本より下流に位置し,開発したのも黒部川電力(現北陸電力)のため,日本電力(現関西電力)系の黒部川第二や第四発電所のシリーズとは異なります。
まあ,普通は発電会社ごとに名前をつけるでしょうし,名前がダブっていたとしても所有者が違えば,特に社内では混同しない,ということなのでしょうけど,やはり黒部川第一発電所はどこか,と言う問題だと日本電力が建設したもの,と言うことで調べないといけないと思います。
先の本を読むと,黒部川第一発電所は柳河原発電所,と言うことになるでしょう。
名 前 ダム 有効落差 竣工 総出力
柳河原発電所 ─ 125m 1927 54,000kW ※水路式,現存せず
黒部川第二発電所 小屋平ダム 179m 1936 72,000kW
黒部川第三発電所 仙人谷ダム 278m 1940 81,000kW
黒部川第四発電所 黒部ダム 545m 1963 335,000kW
柳河原発電所は1992年,宇奈月ダムの完成に伴い,水没するため廃止になっています。下流側70mのところに新たに新柳河原発電所ができています。
出し平ダム(1985年竣工)。新柳河原発電所の取水口でもあります。
ただ......,この発電所,トロッコ列車からよく見えるんですけど,優美で周囲に調和した黒二発電所と違って,円筒形という発電所とは異なるイメージの建物で,おまけに,まるでシンデレラ城みたいな造りはいただけない。ご丁寧にも外周は石で作ったような模様があるし,てっぺんには西洋のお城みたいにのこぎり形の狭間があるのは驚き! 誰かが攻撃してくるんかい? 湖底深くに発電機があって,湖上には特にエレベータくらいしか設備が必要ないからなんだろうけど,見た人が「あれは何?」って言うようじゃ,まずいんじゃないって思います,って書きながら写真撮るの忘れた......(^^;)。
案外,優れたデザインというものはさっきの黒二発電所もそうですが,お金がない時代の頃の方が多いように感じられます。お金がないのを工夫していいデザインを作った,ということなんでしょう。世の中,そう言うものだと思っています。
黒部川水系の発電所("黒部川第四発電所" から)
なお,愛本発電所というのはさっきの新黒部川第三発電所と同じで,黒部川第二発電所が完成して,その排水を利用して発電するところなので,時代的にも第一発電所とは違います。
う~~ん,それにしても第7ダムまで計画があったとは.....。
なお,黒部川水系で一番古いのは先ほども書いたように,黒部鉄道が建設した弥太蔵発電所(1924年竣工,1,500kW)ですが,1985年に廃止され,現存しません。ただ,その旧導水路などの設備を再利用して1,250kWの発電所を2022年に建設する計画があるようです。
弥太蔵発電所(P/S)の記載もあります。北陸電力の黒部川第一~第六発電所が愛本より下流にあることもわかりますね。各発電所の導水路も描いてあるのでよくわかります。
☆ ☆ ☆
宇奈月温泉で富山地鉄に乗り換え,富山市へ。富山エクセルホテル東急に泊まりました。きれいな部屋に感激。朝食も素晴らしかったです。
ほかにも,新幹線開業に向けてホテルがニョキニョキできていましたけど,やはり新幹線効果はすごいですね。とはいえ,富山発の東京行き最終が21:19なので,ビジネスマンだと(日帰りで)帰ってこい! って言われるわけですから,ホテルは厳しいと思いますけどね....。
翌日は高岡へ出かけます。去年,仕事でiruchanは高岡へ行って,ちょっと観光してきたので子供を連れて瑞龍寺などを見に行きます。やはり高岡の大仏様と瑞龍寺は見ておかないといけないと思います。
さて,富山駅前9:10発の新港東口行きバスに乗ります。ほぼ1時間に1本出ていますが,この後は10:40までないので要注意です。
このバスは廃止になった富山地方鉄道射水線のルートをたどります。途中から廃線跡が見えるのが楽しみです。サイクリングやウォーキング用に整備されているようです。
1966年に富山新港の建設に伴い,堀岡~越の潟間が廃止になりました。富山県営渡船が開業すると,少し延伸して新港東口まで路線が延びましたが,乗り換えが不便なことから乗客が減り,結局,1980年に全線廃止となっています。残った新湊市側が今は万葉線となっていますね。
この渡し船も2012年に新湊大橋が開通し,歩道も設けられることになっているので,廃止になるのかと思ったのですが,夜間は歩道が閉鎖されるし,何よりエレベータで上ったりしないといけないのでお年寄りには不便,ということで残っています。ただ,橋開通前にiruchanが以前訪れたときは夜行もあって,夜中にも毎時1本ずつ運航されていたので驚いた記憶がありますが,今は夜行便はなくなり,タクシーによる代行輸送となっています。乗客は少なく,今回はわれわれ家族だけでした。
無料なのに驚きますが,渡し船が今も残っていて,体験できるのは本当に貴重だと思います。子供らにもいい経験ができたと思います。
もっとも,残った加越能鉄道も赤字のため,一時は廃線が危惧されるほどでしたが,2001年に射水市と高岡市が第3セクターを設立し,万葉線となりました。同時に低床式LRTを導入し,運賃も値下げされたことから輸送人員も回復しているようです。実際,この列車も越の潟を出たときはガラガラでしたが,途中からかなり乗ってきて,市民の足として定着しているようで,よかったです。道路交通とは分離されていて定時に運転されるし,何より加減速もスムーズで乗心地もよいのはとても快適です。
もう,うちの子はとっくにドラえもんは卒業しているのですけど,ほかのお子さんが大喜びでした
某社のCMで,大人になったしずかちゃんを水川あさみがやっていて,ぴったりだと思いましたけど,気ぃ強そう~~。こんなの嫁にしたら大変......って思いました。女はほんまにわがままですからね......。うちの嫁はんも.....(以下,自粛)。
ただ,なんか藤子不二雄のマンガって,女の子はしずかちゃんみたいに誰もかわいく描かれていて,しかも金持ちのお嬢さんと決まっているのに,大人の女性はどれもブサイクでデブだったりするのは何でしょ。特に,母親がどれもメガネかけていたり不美人と決まっているし,性格的にもガミガミとうるさく,きわめて現実的? で,とても理想の母親像というわけじゃないのは何か変!! といつも思います......。普通はアニメの母親って,アナ雪のママとか,おじゃる丸の母親(カズマの母親じゃない)や,しまじろうやペネロペの母親(人間じゃないやんか)のように,とても優しくてかわいいと決まっていると思うのですが.....。
なんでこんなに黒いのか,と思うくらい真っ黒なスープが有名な富山のラーメンです。駅前のらぁめん次元さんでいただきました。iruchanは魚介黒醤油ラーメンをいただきました。やっぱ,ラーメンは魚介スープだよなと思っているiruchanなので,同じ魚介スープの津軽ラーメン同様,とてもおいしかったです。親切な女性の店員さんにも感激!
万葉線・末広町駅から歩いて5分ほどのところにある高岡大仏。1933年に青銅で鋳造された阿弥陀如来座像です。男前なことで有名ですが,神々しいお姿が本当にイケメンな大仏様です。
駅の反対側から歩いて15分ほどで瑞龍寺に着きます。ただ,あまりにも暑い! 女子供連れでは厳しいのでタクシーで行きました.....軟弱者!!
昨年,仕事で高岡へ行った折に訪問した瑞龍寺は国宝だけあって本当に素晴らしいところ。前田家第3代当主・前田利常が建立した曹洞宗の寺院です。1997年に山門,仏殿,法堂が国宝に指定されました。立派なお寺に娘はすっかり気に入ってしまい,また行きたいと言っています。皆さんもぜひ,お出かけください。
また,驚いたことに冬はライトアップされているようですね。ネットに写真が出ていましたけど,雪がつもった仏殿の姿は本当にきれい。大仏様も雪化粧したお姿はとてもきれいなので,どちらもまた雪がつもったら見に行きたいと思います。
ヘアドライヤーの修理 [電子工作]
2018年8月18日の日記
台風16号が過ぎ去ったと思ったら前線が通過し,急に涼しくなりました。今年は猛烈に暑く,参りましたが,少しほっとしています。それにしてもなんだか,このところの気候はおかしい。猛烈に夏が暑かったり,冬に大雪が降ったり,やはり,地球温暖化は恐ろしいと思います。それに,大気の循環が活発になったためか,季節もひと月,早くなっているのではないかと考えています。普通だったらまだ残暑が厳しいし,9月になっても暑い日が続くと思うのですが.....。
さて,今日はiruchanはドライヤーを修理します。
前からうちの女どもがドライヤーが古いので買い換えてほしい,と言っておりましたが,とうとう,"動かなくなった" (......lucky!) ってな感じで言ってきました。
まあ,そもそもPanasonicじゃなくて,Nationalと書いてますし,製造年は2007年のようなので,もう寿命なんでしょうけど,工作マニアのiruchanは壊れているものは直したいと思います。
原因はすぐに温度ヒューズの断線だろう,と思いました。それなら簡単........と思ったのですけれど......。
一応,ばらして回路を調べてみました。ザッとですけど,こんな感じではないかと思います。
モータは驚いたことにDCモータになっていて,端子部にシリコンDiが4本ついていて,ブリッジ整流しています。もちろん,ブラシ付DCモータなので,モータの寿命の方が短いと思いますが,後でわかりましたが,原因は電源コードでした。
大きめのシリコンDiが1本入っていて,ターボモード以外の時はAC100Vを半波整流してパワーを半減するようです。DCモータなので,この辺の制御は簡単に済んじゃいますね。ヒータは2系統あるようなので,▲の回路図はもっと複雑だと思いますが.....。
さて,まずは原因調査として,こういうときは,まず,コンセントを抜いて(当たり前ですけど),本体スイッチをonにし,プラグの2つの電極の間の導通をチェックしてみます。
もちろん,電源は入っていないのでモータはまわりませんけど,温度ヒューズが断線してないなら,モータやヒータがつながっているので,ちゃんと導通があるはずです。
ところが,予想通り,本機は導通が∞になっています。どこかで回路が切れちゃっています。普通は温度ヒューズが断線しています。
前も,友人の奥さんが使っているドライヤーが動かなくなった,というので調べたらやはり温度ヒューズでした。
今回もそうだと思いました。
でも.....。
なんとかばらして温度ヒューズを見つけたのですが.....。
当然,ヒータのすぐそばにあるのですが,何らかの理由でモータが止まってしまって送風停止すると温度が急激に上昇するので,火事にならないよう,温度ヒューズが断線するようになっています。今回,使用されている温度ヒューズは142℃のものです。
ただ,温度ヒューズそのものの交換はできないような構造になっています。どうやっても外れそうにないし,無理にはずそうとするとヒータの碍管を割ってしまいそうです。碍管はセラミックですからもろいですしね.....。
おそらく,松下さんはそもそも温度ヒューズが断線した,ということはモータが焼き切れているとか,ヒータが異常温度になったとか,かなり重大な故障なわけで,温度ヒューズ単体で交換するのではなく,ヒータユニットごと交換して修理するようになっているのだと思います。
ということだったんですが.....。
なんと温度ヒューズは断線していませんでした。テスターで測ってみるとちゃんと導通しています。
とすると,原因は電源コードの断線のようです.......orz。
まあ,これが原因だとしてもかなりドライヤーをばらさないとコードが切れているか判断できませんので,同じことですけどね......。
☆ ☆ ☆
さて,今度は電源コードが切れているか,またテスターで調べます。
プラグ側にテスターのリードをつけ,本体側のコードの接続部と導通があるかどうか調べます。
と,ありました。
やはり2本ある銅線のうち,1本が切れているようで,抵抗値は∞になります。
まあ,こうなったらコードごと交換しちゃうのが早いんですけど.....。
残念ながら,使用されているコードはAC125V/12Aと規格が書いてあります。
iruchanは工作マニアなので,電源コードも予備がありますが,どれもアンプ用なので7A用です。これじゃ,定格が足りない!! しかたないので,もとのコードを使います。断線箇所を飛ばせばOKのはずです。
となるとどこが断線箇所か,と言うことなんですが......。
まあ,普通はプラグの根元と決まっていますが,その辺のコードをクネクネして折り曲げてみても導通が復活しません。
今度は本体側の根元かと思って同じことをしてみてもダメです。
コードを外から触ってみてもどこが断線しているわかりません。クキっと曲がるようなところがあればそこが断線しているわけなんですけど......。
そこで,少しずつコードを切って中の銅線を引っ張ってみると.......ありました!!
すぽっと中の銅線が抜けるところがあります。
どうも切断箇所は緑青が吹いて黒くなっているような感じもしますけど,素線がすべてきれいに切れています。
割に本体に近いところだったので,コードを短く切って本体のスイッチや端子板にはんだづけしました。絶縁チューブを巻いて保護しました。危ないので絶縁テープで重ね巻きしましたけどね。
この状態で,再度,プラグの電極間の導通を見ると復活していますので,ちゃんと動作するはずです。
こうしてようやく復活!!
さすがに素人修理じゃ危ないので,本機は予備機にして,また新しいのを買いに行くことにしませう。
☆ ☆ ☆
午前中に東京・上野の東京都立美術館で開催されている,藤田嗣治展を見てきました。
やはり,裸体画がとてもきれいでした......
でも,知りませんでしたが,藤田嗣治が主として裸体画を描いたのは1920年代のパリ時代だけのようです。独特の乳白色の肌を実現し,面相筆を使い,墨で輪郭を描くという日本画の手法を取り入れて,一躍パリの寵児となったことは有名ですね。乳白色の下地に赤ちゃんのベビーパウダーを使っていたことがわかったのは最近のことです。
戦雲漂うパリを逃れ,帰国した藤田は戦時中,有名な "アッツ島玉砕" をはじめとして,戦意高揚のための戦争画を描きました。この "アッツ島玉砕" の絵は国立近代美術館所蔵ですが,いろいろ批判があるため,普通は常設展示されていなくて,なかなか見ることができませんが,本展で展示されていました。iruchanも見るのはこれが2回目です。すさまじい戦闘と凄惨な殺戮を描き,戦争の悲惨さを余すところなく描いた戦争画の傑作とされていますね。
戦後,こうした活動を糾弾され,彼は再びフランスに渡り,そこに帰化して二度と日本の土を踏むことはなかったのですが,本当に申し訳ないと思います。あの時代,みんなが戦争に協力した(させられた)わけですし,彼は父親が軍医総監(藤田嗣章)であったこともあり,"オレはもとから戦争は反対だったんだ。悪いのはあいつだ" と頬被りを決め込んで責任逃れをした日本画壇の責任を一身に負ったのでしょう。"選手が勝手にやった" と主張した,最近のアメフトの不祥事などを見ても,日本人の体質は変わらないようです。
大好きな藤田の絵が見られてとてもいい1日でした。
中国製7石トランジスタラジオキットのゲルマニウムトランジスタ化~その2~ [ラジオ]
2018年8月11日の日記
さて,前回は中国製の7石(実際には6石ですけど)トランジスタラジオキットをAmazonで購入して,ゲルマニウムTrで作り始めました。
とりあえず,まずは低周波部から組み立てて,順次,テストしていきます。
案の定,ウンともスンとも言いません。それに,普通はスイッチが入ったとたん,ガリッと音がするのが普通ですが,それすら言わないので,これは悪い予感がします.....。
まず,ウンともスンとも言わないのは低周波部のトラブルが予想されます。
問題はやはり,低周波段の2SB171のバイアス回路にありました。
ここは前回も指摘しましたように,S9013Hという中国製Trを固定バイアスで使っています。これは危険な回路で,個々のTrの特性に依存しますので,このままだと簡単に他のTrと入れ替えることができません。おまけに温度的に不安定で,もともとTrという素子は温度係数が正のため,温度が上昇するとさらに電流が流れやすくなる性質があり,危険なのですが,この回路ではそれを防ぐことができません。
このとき,コレクタ電流ICは次の通りとなります。また,Trは導通状態ではシリコンでVBE=0.6V,ゲルマで0.2Vとほぼ一定と考えてよいので,Vccが一定で,同じTrを使うなら,コレクタ電流はRBだけで決まっちゃうことになります。
問題はICがhFEの関数になっちゃうことで,hFEというのはTrの品種によっても,また,同じTrでも製造時のばらつきが非常に大きく,平気で2倍や3倍くらいは変わっちゃうので,この回路にしちゃうとほかのTrと差し替えができません。おまけにTrは温度係数が正なので,温度が上昇すると際限なくコレクタ電流が流れてしまうことになります。熱暴走ですね。
そこで,こういうことがないように考えられたのが電流帰還バイアスで,エミッタに抵抗が入っているのが特徴です。特にゲルマの時代は電流帰還バイアスが定位です。▼の図の (a) が正規? の電流帰還バイアス回路です。
ベースに分流回路を設け,そこにベース電流より多め(10倍以上)の電流を流してやれば,ベース電位はほぼ固定されちゃいますので,自動的にコレクタ電流も決まってしまいます。
さっきの固定バイアスと違うのは,分流回路にIBより十分大きな電流を流す,と言う条件がありますが,hFEが出てこないことで,Trのばらつきを抑えることができます。
この回路だと温度的にも安定で,仮にコレクタ電流が増えても自動的にエミッタ電位が上昇し,コレクタ電流を制限する方向に作用します。ちょっと負帰還みたいな感じなので,これを電流帰還というのですが,わかりにくい用語だといつも思います。ちなみに真空管の自己バイアスはこの作用があり,過電流が流れると自動的にカソードの電位が上昇し,バイアスが浅くなる(プレート電流が減る)ようになっていて安全です。
Trのパワーアンプに終段のTrのエミッタに0.22Ωや0.47Ωといった低抵抗が入っているのはそのためで,これを省略すると危険です。金田式アンプなんかでは省略してしまっているのですけどね.....。安全を考えたら入れておくべきです。
ただ,どういうわけか,シリコンの時代になると,R2を省略してしまった(b)の回路が増えてきます。Cherryの6石や8石のTrラジオキットもそうですし,シリコンTrを使った市販ラジオはほぼこれです。Trのばらつきが減ってきたからとか,ひとつでも部品を減らしたい,と言うこともあったのでしょうけどね.....。
なぜかこれも電流帰還バイアスの一種,と言うことになっているのですが,iruchanはこれは固定バイアスと言うべきだと思っています。やはり安定性の面では (a) の方が優秀なのは言うまでもありません。今回の中国製キットも高周波部はこの回路になっています。
先ほども書きましたが,低周波部は固定バイアスになっていて,最初,試しにそのままやってみたら思いっきり発振してスピーカから強烈な音がします。オシロで見てみると,4kHzくらいで発振していました。やはり固定バイアスはダメです。
しかたないので,エミッタに抵抗を入れ,きちんと電流帰還バイアスにしたら発振が止まりました。やはりゲルマニウムTrは電流帰還型バイアスでないとダメなようです。
そこで,まずは固定バイアスとなっている,低周波段の定数をLTspiceで決めて抵抗を変更しました。基本的にはA級シングルアンプなので,動作点はロードラインの中点に来るようにします。
今回,低周波用ゲルマニウムTrのSpiceモデルも作りました。東芝の2SB54と2SB56を作っておきましたので,ご利用ください。この2種類があれば,電圧増幅用と電力増幅用のTrモデルとして使えるでしょう。ゲルマのSpiceモデルはネットを探してもほとんど見つかりませんので,ご利用いただければ幸いです。高周波TrとしてはNECの2SA56のモデルを作りましたので,詳しくはこちらをご利用ください。
Here are the LTSpice models of Japanese low-frequency germanium transistors.
.model 2SB54 PNP (IS=2.21785661056217E-10, BF=80, EG=0.67, VAF=67, RB=10, RC=1.53846153846154, TF=1.59154943091895E-07, CJC=42p, CJE=63p, MFG=TOSHIBA)
.model 2SB56 PNP(IS=5.28833988298141E-10, BF=56, EG=0.67, VAF=71, RB=10, RC=3.6231884057971, TF=1.59154943091895E-07, CJC=42p, CJE=63p, MFG=TOSHIBA)
この,.modelではじまる部分を,LTspiceのstandard.bjtファイルのどこかにコピペしておけば使えるようになります。
☆ ☆ ☆
ようやくこれで低周波部が動作するようになり,スピーカからもガリガリと音がするようになりました。
ただ,まだおかしい......orz。
どうにも音量が非常に小さいのです。
さんざん原因を調べたところ,やはり5kΩの可変抵抗が不良のようです。どう見てもチャチだし,壊れそうと思っていました。しかたないので,Alpsの基板用に交換しました。
また,出力段のバイアスは河童さんからいただいた基板についていた,SV31を使います。これはバリスタです。
ゲルマニウムTrの時代は,温度補償用によく用いられました。電気的にはDiですが,温度特性がTrと同じのため,出力段の素子の温度補償用に用いられます。オリジナルの回路も1N4118というDiを使っています。
う~~ん,ひっくり返して底を見たら,ちょっと面白いことに気づきました。
実を言うと,バリスタというのはP-N接合面を持っていて,Diと同じ構造なのですが,出来損ないのTrを使っていた,と言う話があります。Trは初期の頃は非常に歩留まりが悪かったのはよく知られていますが,コストも高いので,ひとつP-N接合ができなかったとか,特性が悪くてリジェクトされたTrの脚を1本切って,バリスタにしていることがあります。SV-31ももとは3本脚だったようで,そういう感じです。英MullardのOCP70というフォトTrも,OC70の出来損ないだという話を以前書きましたけど,バリスタもそのようだったようです。
ところが....。
いつもはiruchanはここにサーミスタを使っているのですが,SV31を使ってみると厄介なことに気づきました。サーミスタだと動作電流でバイアスを自由に変更できますが,バリスタだとそうはいきません。使用してみたら出力段の2SB134に100mAくらいの電流が流れて,触ると熱くなっています。まずい......。
残念ながら,サーミスタだとサーミスタに電流を流すための抵抗を大きくするとバイアスが小さくなりますが,バリスタだと調整できません。しかたないので,ここはバリスタをあきらめ,いつもの通りサーミスタにしました。
さて,ようやくこれで低周波部はOKとなったので,次は局発から調べていきます。
残念ながら,こちらも動作していません......orz。
本機は高周波部(IF含む)はすべて電流帰還型バイアス回路となっていますが,シリコンTrの場合は,少々手抜き? の (b) のバイアス回路となっていることが多く,今回もオリジナルはこうなっています。
LTspiceで回路定数を決め,きちんと電流帰還型バイアスにしてようやく局発が動作するようになりました。
☆ ☆ ☆
さて,ここまで来たらトラッキング調整を先に済ませてしまいます。最後でいいんですけど,ゲルマニウムTrを使っているし,例によってカバレージでトラブるので先に調べておこうと思います。高い方で発振が止まる,なんてこともよくありますので.....。
局発はAMラジオの場合,受信周波数+IF分だけ高い周波数を発振させないといけません。今回,IFは450kHzで作ることにしますから,985kHz~2055kHzで発振すればOKです。
またまたところが.....。
予想してたんですが,上が厳しい~~!!
どうやっても1800kHzくらいにしかなりません。これじゃ,受信上限は1350kHzということになっちゃいます
オリジナルのシリコンTrだと問題ないのかもしれませんが,バリコンを交換するしかなさそうです。
どー見てもチャチなバリコンだったし,これはアカンのちゃうか? と思っていたらやっぱりでした。
しかたないので,やはり日本製のミツミのPVC-20Yに交換したら楽勝で2200kHzくらいまで発振しますから,ちゃんとカバレージが取れました。
頭に来て,LCRメータで容量を調べました。
中国製7石Trラジオバリコン
OSC 5.5pF ~ 63.8pF
ANT 5pF ~ 144.7pF
ミツミ PVC-20Y
OSC 4.44 ~ 64.6pF
ANT 4.47 ~ 145.3pF
なんだ,悪くないじゃないか,と思ってしまうのですが,トリマがおかしく,メインのバリコンの下限位置だとちゃんと調整が効くのですが,上限位置だとトリマを回してもほとんど変化しません。
調整は,いつも通り,下限をOSCコイル(コア赤)で決め,上限はバリコンのトリマ(O)であわせます。このとき,局発のTr(2SA353)のコレクタにデジタルオシロや周波数カウンタをつなぐと調整ができます。
☆ ☆ ☆
次はIFTのコアの調整をしして,きちんとIFに同調させておきます。テストオシレータを450kHzで発振させ,適当な電線をつないでおくと,バーアンテナが受信します。テストオシレータは1kHzくらいで変調できるので,AM変調した正弦波を出しておいて音が最大になるようにコアを調整すればOKです。
ちなみに,iruchanは455kHzじゃなく,450kHzで調整することにしています。PLLシンセサイザのラジオは450kHzとなっていることが多いです。なお,どういうわけか,本機は465kHzのようです。中国はIFが465kHzなんでしょうか......。ちなみに,日本で455kHzと決められたのは1950年のことで,戦後初期のスーパーのラジオは463kHzです。
さて,ここまで来たら普通は放送が聞こえるはず.........なんですけど......。
まだ,ほとんど放送が聞こえません。ダイヤルを回すとかすかに放送が聞こえるところがありますが,ほとんどガーッと言っているだけです。
う~~ん,困ったな~~~
とりあえず,こうなったら疑うのはIFの発振。オシロをつないで各IFのコレクタの電圧波形を見てみます。
すると,やはりIFの1段目が2Vrmsくらいに強烈に発振していました......orz。周波数も480kHzくらいです。
まあ,これはよくあることで,今までiruchanも自作のラジオでは必ず経験すると言っていいくらいです。さすがにCherryの6石や8石のキットはそういうことはなく,やはり優秀なキットだと思いました。TrのスーパーのラジオでIF2段のものは必ずと言っていいくらい,発振してしまいます。
原因は,やはりゲイン過大,というのが最大の問題です。
hFEの低いTrに交換する,と言うのも手ですが,よほど初期のTrでない限り,hFEの小さなTrというのはありませんし,そもそも,普通のTrラジオはシリコンTrなんですが,これだったら最低でもhFEは100くらいはありますから,そんなTrを使っていてもメーカー製のラジオは発振したりしませんから,Trの交換は最後の手段と考えます。
手としては,負荷となっているIFTの1次側インピーダンスを下げることです。
具体的には,パラに100kΩくらいの抵抗を接続してQをダンプします。普通はこれで直ります。日立製ゲルマニウムTrを使った自作スーパーもこれで止まりました。
でも,これはダメでした。やはり強烈に発振します。
しかたないので中和を試してみます。
IFTの反コレクタ側のピンからベースに数pFのセラミックコンデンサをつないでみます。
いろいろと容量を変えてみましたが,やはり発振が止まりません。
次に疑うのはIFTとアンテナコイルが結合していること。場合によってはIFT同士が結合していることもありますが,たいていはバーアンテナがIFの漏れを拾って発振しています。
特に,今回の基板が小さいので,アンテナコイルが近接していて,これはあり得そうです。
でもこちらもバーアンテナの接続を外しても発振が止まらないので,IFTと結合しているわけではなさそうです。
ほかには,検波のDiのあとのフィルタの定数が悪く,AGC回路に高周波が漏れているというようなことが原因だったりします。特に,HiFi用ということでここのカットオフ周波数を高くしたり,負荷インピーダンスを小さくしているとこういうことがあります。
あとは,コレクタ電流が大きすぎると発振することがあります。IF段は最大でも1mAくらいが普通で,あまり大きな電流にしてはいけません。結局,本機は0.2mAくらいまで電流を下げました。-Vccからベースに入っている抵抗を最初は22kΩにしていたのですが,最終的に100kΩに上げています。ちなみに,CherryのCK-606は330kΩを使っています。
そこで,820kΩにしたら発振は止まったのですが,さすがにやり過ぎ,という感じで,結局,IF1のベース抵抗は100kΩとしました。
これでようやく局が入るようになり,高校野球中継が入るようになりました
最終的な中国製7石Trラジオキットのゲルマニウム版回路は下記の通りとなりました。
まだ,感度不足で,NHKでもボリウム最大でようやく音が聞こえる,と言う次第なんですが,つづきはまた次回とします。