E10に会いに......。~さよなら青梅鉄道公園~ [紀行]
2023年7月8日の日記
とうとう,青梅鉄道公園がリニューアルのため,9月から2年間閉園する,とニュースが出ました。
以前から,ここがしばらく閉園する,とは聞いていたのですが,9月とは思わなかったし,また,夏休みで混んでくる前に,と思って出かけました。
そう,ここにはiruchanの地元の北陸を走った,E10が保存されています。
30年前に一度,会いに行っているのですが,今回は家族連れて会いに行ってきました。
何より,一番の心配は新しく展示場所ができたから,とかリニューアルというついでに,今まで保存していた機関車を解体してしまう例が多いことで,例えば,EF58 122とか,ED62 14とか貴重な車両を簡単に捨ててしまったどこかの博物館とか,先例がありますし,ここも先ほどの記事にあるとおり,JR東日本は「リニューアルでは記念館を建て替え、展示車両を見直す」と言っているのが心配。
まあ,まさか,全国で1両しか保存されていない,E10を廃棄する,とは思えないのですけど......。
でも,屋根もないところに展示されているし,以前はスシ28が展示されていましたが,解体されていますし,1982年9月には大雨で法面が崩れ,今は大宮にいるC51 5が崖下に転落したこともあり,国鉄末期のずさんな経営のひとつとしてとばっちりで批判されたこともありましたけど,こういうことがあっただけに,ちょっと心配です。
E10は板谷峠向けに1948年に5両だけ製造されていて,JR東日本とは縁もゆかりもない訳じゃないですけど,翌年4月には直流電化されて,肥薩線へ飛ばされ,そこでもすぐに横圧過大とのことで北陸本線の倶利伽羅峠に移動するのですが,そこも1955年には新倶利伽羅トンネルが開通してご用済みとなり,結局は本領発揮できないまま,米原~田村間の交直接続で余生を送ったのはよく知られています。
結局,そこでも,余剰となったD51などを使う方が得策とされて,1962年には廃車になっています。iruchanが生まれるずっと前のことなので,現役の頃には見たことはないのですけど......。
ということですけど,E10に会いに行ってきました。
☆ ☆ ☆
なんて立派な おうめ......(島本須美さんの声で!)
って,つぶやいちゃいました......
このギャグ? で笑う人は相当なおじさん&おばさんだと思います
もちろん,1924年,青梅鉄道本社として建てられた歴史的名建築です。直線を活かしたアール・デコ風のデザインがとても印象的です。
同様に,1931年に豊川鉄道本社として建てられたアール・ヌーボー調のモダンな豊川駅を建て替えちゃったバカな会社と違って,ここは昭和レトロとして市を挙げて街作りに取り組んでいるところなので,駅舎は2005年にリニューアルしています。
1962年に,鉄道開業90周年を記念して建設されました。
某社の博物館は,鉄道記念物 蒸氣動車と十河さんが揮毫した石碑を捨てちゃいました。その会社は十河さんのおかげでご飯が食べられるんじゃないでしょうか........
どちらも,古い記念物を長く保存するとともに,博物館に来た,若い子供達が古い機関車や設備などの実物に実際に触れてみて,鉄道の長い歴史や昔の人たちの汗と努力の跡に何か感じてもらって,子供達の将来に少しでも何か役立てば,と十河さんが筆を執られたのだと思います。
ここがこの貴重な石碑を大切に保存し,末永く記念してほしい,と思います。
大好きな8620や9600も保存されています。どうもiruchanは昭和の機関車が好きになれません.....。英国風の優美な化粧煙突が美しく,大正期の機関車はとても好きです。
昭和期に入ると,途端に武骨なアメリカンな機関車デザインとなり,好きになれません。
どうも,第1次世界大戦が終結し,日英同盟を破棄することになって,日本が誤った方向へ進んでいくのと,軌を一にしている気がしてなりません。機関車は国を表す,のではないでしょうか。
残念ながら,iruchanは青梅,南武線のEF15は現役の時に写真を撮ることができましたが,さすがにED16は拝島駅で留置されている姿しか見たことがありません。小型の箱形デッキ付機関車はとても好きです。
残念ながら,1号機はすでに解体されてしまっていたので,保存されたのは2号機です。
残念ながら,汽車会社の銘板は取り外されていました。また,今は車号銘板は背景が赤く塗られています。
と言う次第で,30年前に撮影した銘板を載せておきます。
後退運転がもともと定位だったので運転台は助士席側に設けられていましたが,米原~田村間の交直接続が目的となったので,好都合だったでしょう。ブレーキ弁や加減弁が普通とは反対の位置についているのが分かりますね。
英Leaderや米Southern PacificのAC-12同様,日本で唯一のキャブフォワード機と見ることもできるのではないでしょうか。
1969年汽車会社製の22-75。大窓が懐かしいですね~。敵性文化? としてリニューアル後は微妙な車両ナンバー1じゃないでしょうか。貴重な大窓車だし,ぜひ,このまま保存してほしい,と思います。
ヘタすると,最近,びっくりしたのですけど,北海道の第1号機関車で小樽市総合博物館に保存されているED75 501号機みたいに,PCBを含んでいるから,ということで解体される可能性もあります。22型だから主変圧器積んでいるはずで,やばいな.....。
引き出し式のテーブルや,今じゃ考えられない灰皿が懐かしいです。
☆ ☆ ☆
ということで,30年ぶりにiruchanは青梅鉄道公園に行ってきました。あの頃は独身だったし,今回は家族連れで,でした。30年は長いですね~~~。
それにしても再開は2026年春のようですけど,車両は解体せず,このまま保存することを強く希望します。
お昼は麓のアトリエよぎさんで,美味しいチキンのトマト煮込みのランチをいただきました。挽き立てのコーヒー込みで850円ととてもお得でした。ご主人はギターアンプの真空管マニアで,話があいました。
☆おまけ☆
消えてしまった豊川駅舎です。
最近はマメに駅の写真を撮ることにしていますけど,次に訪れたときは駅が変わっている,と言うことが多すぎます。街の風景になっているところも多いし,何よりこういう戦前の名建築を壊してしまうことには大反対です。
2023-07-10 00:00
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