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さよなら747&沖縄ツアー [紀行]

2014年3月31日の日記

ANA137便('14.3.26)2.jpg 

  もう夕暮れです。夜の747はとてもきれいですね。('14.3.26 ANA137便。那覇にて)

とうとう,今日,全日空のボーイング747の運航が終了します。 10月末に羽田~札幌便が終了し,いよいよ那覇便が最後になっていましたが,今日,最終の1往復が飛んで運航が終了します。

私は飛行機と言えば747,新幹線と言えば0系という世代なので,やはり747の引退は寂しいです。最初に日本の空に登場したのが1970年と言うことなので,それこそ物心ついた頃には日本の空を飛んでいたことになります。初めて乗ったのは大学を卒業してロンドンへ行ったときのように思いますが,あれから何回か乗ることができ,今日,とうとう最後の日を迎えました。

10月末に,最後,のつもりで札幌へ行きましたが, 娘がまだ飛行機に乗ったことがないし,嫁はんもどこかへ連れて行け,というので沖縄に行くことにしました。折角なので,新幹線でわざわざ東京まで行って,羽田から最後の747に乗ることにしました。ついでに,ネット予約する際に2階席を押さえました。2階席は久しぶりですが,室内がちょっと狭く,何かこぢんまりしてなかなかいい居心地なのは昔,体験しました。まだネット予約や座席指定ななんてできない時代だったのですが,偶然,2階席となってうれしかったのを覚えています。それに,昔はまだ飛行機も喫煙席があり,たいていは後ろの方の席が喫煙席になっていましたが,後ろの方からもうもうと煙が流れてくるのも嫌で,その点,ジャンボの2階席は禁煙だったので楽だったように思います。いまじゃ,飛行機が禁煙じゃなかった,なんて信じてもらえそうにないですけどね。

3月26日の全日空137便に乗りました。旅割を活用したのでちょっと安く乗ることができました。

Thanks Jumbo!.jpg 

    羽田にて。グラデーションは全部関係者の写真です。 

どうも低気圧が近づいているせいで気流が悪く,那覇空港着は10分遅れでしたが,最後の747の旅を楽しむことができました。

747については設計主務者のJoe Sutterが書いた "747:creating the world's first Jumbo jet and other adventures from a life in aviation" が詳しいので,読みました。ちょっと日航機墜落事故については一切触れていないのは不信感を持ちますが,技術的な内容や開発ヒストリーなどはおもしろく読めます。

747は当時,最大級だった707やダグラスDC-8が140席級だったのに対し,350席級として設計が始まり,1969年に登場します。しかしながら,当時,将来は旅客機は超音速になると予想されていたので,ボーイングでもマッハ2.7,座席数250という2707を計画しており,747は当面は旅客機として使用し,将来は貨物機にする計画でした。これだけの大容量だとオール2階建てとする必要があり,最大の顧客だったパンナムの要求も当初はオール2階建てでした。しかしこれでは緊急時の避難時間がFAAの要求する90秒を超え,危険であることは明白で,運転台を2階にあげて1階をフルに使うことで解決します。こうするとノーズから貨物を搬入することもでき,将来の貨物機への転用が楽になるはずでした。また,運転台を2階にするとフェアリングができるので,そこをラウンジとする計画でしたが,座席に転用してさらに大容量化を図ったのは大正解でした。

747は座席数の大幅増をもたらしエアラインの経営改善に大いに貢献しました。一方で,2707はあまりに野心的すぎ,国家的規模の予算が必要となることから開発は中止され,747が主力機として使用されることになったのは周知の通りです。 いまだって2707は作れないんじゃないか,と思います。

ただ,本来は大西洋横断路線などの国際線用の747を大容量だから,と言う理由で日本の国内線に持ってきたのはやはり無理があったのではないかと思います。国際線なら1日か2日に1回の離着陸ですが,日本の国内線だと1日で10回以上にもなることがあります。疲労強度の点で問題があったと思います。ちなみに今回の羽田~沖縄便は1日3往復なので1日6回ですね。日航と全日空は1964年から727を使用してきましたが,羽田~札幌や羽田~福岡はすでに世界有数の大量輸送路線となっており,早期に輸送力を改善したいことから747の使用をボーイングに提案しました。短距離輸送のため,機体や着陸装置の補強をして,1973年に登場したのが747-SR型機で,定員は525人でした。御巣鷹の尾根に墜落したのもこの機種です。

1993年から日航と全日空はSRを747-400D型機と取り替えていきます。定員は568名で,1989年から登場した400型機の改良版です。400型機は2階席が延長され,また,翼端にウィングレットがついているのが特徴ですが,日本向けの400D型機は飛行場の制約からウィングレットはありません。これがあるとちょっとかっこいいんですけどね。

ウィングレットは翼の下面(正圧になっています)から,上面(負圧です)に気流が回り込んで揚力が低下するのを防ぐ目的があります。この現象により翼端渦が生じます。雨の日など,翼端から飛行機雲が出てくるのはこのためです。翼端渦は実質的に翼面積が減ったことになり,揚力を生まない部分が抗力だけは生じるので燃費に影響します。2次零戦が空母のエレベータの制約から翼端をスパッと直角に切った格好になり,抗力が増え,航続距離が短くなったのもこれと同じ原因です。ウィングレットをつければよかったのに.....。 

最後なので音をupしておきます。

出発時のパーサーのご挨拶。特に747であることのアナウンスはありませんけどね。 

機長のご挨拶。この方は今日の朝のNHKニュースに出ていた方ですね。昨日がこの機長のラストフライトだったようです。今日の1往復のラストフライトは別の方のようです。どちらの機長も年配のベテランの方のようで,とても信頼できますね。ちなみに横で叫んでいるガキはうちの子じゃありません。

それにしても私にとっても747の最後の搭乗となりました。どうもありがとう。 さようなら。

那覇空港からレンタカーで移動します。普通,レンタカーは空港内に営業所があるはず,ですが,驚いたことに那覇空港は迎えのバスに乗って営業所まで行きます。ちょっとびっくりです。空港内の土地が狭いのでしょうね。

宿泊は那覇空港すぐ南側の琉球温泉瀬長島ホテルです。窓から飛行機が見えるのもよいですが,展望露天風呂から飛行機が見えるのもGood! です。何より東シナ海の夕陽を見ながら温泉につかる,と言うのも最高でした。 レストランも最高で,沖縄料理のバイキングがよかったです。とてもよいホテルでした。それに,空港に近いからか,窓は全て2重ガラスになっているし,室内が非常に静かだったのがよかったと思います。結構,高級なホテルでも隣の部屋の会話がまる聞こえ,なんてところも多いですよね....。

ANA137便('14.3.27).jpg 瀬長島ホテルから。

あまりいい天気じゃなく,きれいな写真が撮れませんでしたが,これで最後の747です。 

さて,翌日から観光します。まずは首里城へ....。沖縄は3回目ですが,前回のときはまだ再建されていなくて,守礼門を見ただけでした。 美しく再建された世界遺産のお城をぜひ見たいと思いました。

地下に駐車場があるので,そこに停めました。世界遺産の園比屋武御嶽石門や正殿,北殿,国王の執務室である書院など,見所満載です。駐車券には2時間までとありましたが,とてもこの時間じゃ見て回れません。 写真を載せようと思ったら家族の写真ばっかなのでやめておきます。

ひめゆりの塔.jpg  ひめゆりの塔。後ろは慰霊碑。

その後,娘が行きたいというので琉球ガラス村へ。 途中,ひめゆりの塔を通るので,お参りしてきました。ひめゆり平和祈念資料館も見てきました。 やはり子供たちにはきちんと戦争の実態を知ってもらいたいと思っていました。よい経験になったと思います。ひめゆり学徒隊で総員240名中,136人が亡くなっています。沖縄全体でも4人に1人の人が沖縄戦で亡くなっています。重い現実を前に胸が痛みました。 

タコライス.jpg おいしいタコライス。

琉球ガラス村でガラス体験をして,レストランで昼食とって帰りました。

翌日は美ら海水族館へ。那覇から沖縄自動車道を通って1時間半ほどです。ただ,沖縄道の混雑はすごい。那覇付近は名神高速くらいの混雑で驚きます。やっぱ沖縄はクルマ社会なんですね。 OKINAWA KITAなどと米軍向けのローマ字だけの看板があったりするのも沖縄だなーと思いました。

ジンベエザメ.jpg 巨大なジンベエザメ

美ら海水族館は春休みなのでイベントで巨大水槽の上から観察することができました。マンタのえさやりを見られて満足です。

ただ,さすがに春休みなのですごい人。2時間も回っていると魚よりも人に酔ってしまい,イルカショーを見たら疲れたので次のところへ....。 

やはりここまで来たら世界遺産・今帰仁城へ行かないという手はありません。でも,皆さんここでお帰りのようです。美ら海水族館までの道は結構,クルマの量も多かったのですが,そこからさらに北へ向かうクルマはほとんどありません。美ら海水族館から今帰仁城まで20分ほどなのでぜひ行ってみたいと思いました。 

過去2回は会社の仕事だったのでツアーでしたが,ツアーだと沖縄は本部町あたりのリゾートホテルに泊まり,海洋博記念公園や水族館を見てフルーツパークに寄って終わり,というパターンではないでしょうか。やはり今回は自分の計画なので,今まで見たことがなかった歴史的遺産を見てこようと思いました。 

今帰仁城は13世紀に建設された巨大な山城で,琉球を3分割していた三山鼎立の時代に,北部の北山王が支配していました。1416年に,中山王の尚巴志に滅ぼされたあとは監守が置かれていましたが,1609年に薩摩が侵攻し,城は廃墟となりました。

山の中に巨大な石造の城壁ができていて,頂上から見ると日本のマチュピチュという感じで,壮大なところです。世界遺産にも登録され,たくさんの外国人も見学に来ていました。 

今帰仁城.jpg 巨大な石垣。

今帰仁城1.jpg マチュピチュみたいですね。

あっというまに4日間は終わってしまい,今度は737で帰途につきました。それにしても北山王や琉球王国の運命や沖縄戦など,沖縄には悲しい過去があるのですが,その一端に触れることができ,とても有意義だったと思います。子供たちもとても勉強になったと思います。

食べるものも沖縄はとてもおいしいです。毎日沖縄そばを食べました。それに,天ぷらがおいしいのにびっくり。いかの天ぷらが美味でした。さかなの天ぷらと言うのも美味らしいのですが食べ損ねました。何の魚なんでしょう。レンタカーを返す前に近くのスーパーで沖縄そばのだしや3枚豚バラ肉などを買い込んで飛行機に乗りました。

帰宅してからスパムむすびを作ってみました。以前,NHKのドラマで奄美が舞台になっているのがあり,不登校になった少女が母親のスパムむすびを食べて立ち直る,と言うスジのドラマがありました。奄美でも食べるんですね。沖縄や奄美の人々のソウルフードになっているのかもしれません。コンビニでも売っているのですが,探すのを忘れていました。

spamむすび.jpg 自作のスパムむすび。

ネットで調べると作り方が出ていました。スパムを薄く切ってフライパンで焼き,薄焼き玉子と一緒に塩をつけずに握ったおにぎりに載せるようです。塩をつけないのはスパムに塩分があるからだそうです。具がバラバラになってしまうので,海苔で固定します。

食べてみるととても美味。ご飯にとてもよく合います。9歳の愚息はあっという間に4個食べてしまいました。 

      ☆          ☆          ☆ 

2019年10月31日の日記

けさ,いつも通り,朝4時(! )に起きてNHKを見てみると信じられない映像が流れていました....。

無題-スキャンされた画像-01s.jpg ありし日の首里城

あの美しい首里城が燃えていました.....。

もう,茫然としてしまって,しばらくTVに釘付けとなってしまい,何もしゃべる気がしませんでした。

沖縄の皆様の心の支えとなっていたことと思います。本当に悲しく,また,皆様にお見舞い申し上げます。一刻も早く,再建されることを心より祈っております。 


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