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湖北史跡巡り [紀行]

2017年8月6日の日記

ちょっと早めにiruchanは北陸の実家に帰省しておりました。

今年は子供の宿題の手伝い。自由研究で滋賀県・湖北地方の史跡をまわってレポートを書くらしいです。

iruchanも北陸から近いので子供の頃,行った記憶があるのですが,再びまわってみます。

【賤ヶ岳古戦場】

まずは北陸からだと近い,賤ヶ岳古戦場から。

北陸道を飛ばして木之本ICへ。駅は木本ですが,ICや旧滋賀県木之本町(現長浜市木之本町)は木之本です。よく知られているのは神戸の三宮ですけど,阪急や阪神は三宮なのに,JRだけ三宮とか,東京でも阿佐谷は街の名前は阿佐谷なのに駅は阿佐谷だったり,ノやケが入っているのはなんででしょう。勝手に昔,東京で駅名を決めていたからなんでしょうけど,読み方もおかしかったりしますね。北海道の旭川駅は長い間ずっと "あさひわ" だったし,北陸線の米原駅は町の名前がまいらなのに,駅名は "まいばら" ですね。もっとも,こっちの方は市になったときに "まいばら" になっちゃったので,北陸道の米原ICが "まいはら" のまま残っちゃいました。

木之本ICをおりて,国道8号線を敦賀方向へ。すぐに大きな山が迫ってきて,それが賤ヶ岳です。国道はトンネルに入りますが,その直前,大音(おおと)の交差点に案内看板が出ていますので右折して賤ヶ岳古戦場跡へ行きます。

ここはとても楽で,リフトで山頂へ行けます。営業日にはご注意ください。

賤ヶ岳リフト.jpg リフトで登れます。

天正11年(1583年)4月,信長亡き後の覇権争いで羽柴秀吉と柴田勝家がぶつかります。敗れた柴田勝家は越前・北ノ庄で自刃することになります。

歴史の教科書にも載っていて,とても有名なのですが,行く人は少ないでしょう。東京からだととても遠いですし。でも,新幹線で米原でおりれば意外に近いし,何より壮大な歴史の舞台に触れることができますし,また,景色がとても素晴らしいところです。

賤ヶ岳.jpg 奥琵琶湖の絶景です。

山頂には展望台があり,琵琶湖と余呉湖の両方の絶景が楽しめます。

余呉湖.jpg 余呉湖側です。

北陸道も国道8号線も賤ヶ岳の琵琶湖側を通っていますが,鉄道だけ,余呉湖の北側を走っています。よく見ると中央を横切るように北陸本線が走っていますが,さらにその奥が旧北陸本線跡の国道365号線で,急勾配緩和のため,戦前から工事されていた,深坂トンネルが1957年に開通して廃止された柳ヶ瀬線の跡です。

【小谷城】

さて,お次は小谷城。小谷三姉妹の悲話でチョ~有名ですし,戦国時代の大河ドラマにも必ず出てくるところなので訪れてみたいですがここは非常に行きにくく,なかなか地元の人以外は訪れることは難しいと思います。iruchanも大昔,父親に連れられて見に行ったのをおぼえていますが,遠くてまいった記憶があります。
ここは賤ヶ岳からしばらく長浜方向に戻って途中から国道365号線に出ればすぐです。北陸道も小谷城スマートICができましたので,ETCの方はそこでおりればすぐです。

小谷城趾絵図.jpg 小谷城地図です。熊に注意!!

ここも非常に有名なのですが,何より最寄りの北陸線の河毛駅から遠いのと,公共交通機関がないのが困るんですね。今はコミュニティバスがあるようですが,クルマがないと行きにくいところです。

まずは,ふもとに小谷城戦国歴史資料館ができていますので,そこを訪れて地図やパンフレットをいただくとよいと思います。無料の駐車場もありますので,そこにクルマを停めて小谷城に登ることもできます。

ここは北近江を支配していた浅井氏の居城で,3代続きました。

小谷城本丸跡.jpg 

      苔むした本丸跡の石垣が残っています。

小谷城大広間.jpg 本丸から。大広間の跡です。

小谷城趾.jpg 

    お市の方もこの景色を眺めたのでせうね。

手前の山が信長が本陣を敷いた虎御前山で,その奥のぽっこりした山が山本山,琵琶湖の島は竹生島です。

元亀元年(1570年)4月に信長が越前の朝倉氏を攻めると(金ケ崎の戦い),同盟関係にあった浅井氏は義兄の信長に反旗を翻し,結果として6月に姉川の戦いとなるのですが,9月に長政はこの城で自刃し,浅井氏は滅びます。信長にとっても交通の要衝である北近江の支配は欠くことができないものだったのですね。

まずは資料館から追手道をたどって登城? します。

ところが.....。

ものすごく大変です。延々と急な登山道が続いて,足元も悪いし,炎天下で疲れた~。息子もグロッキーでしたけど,昔はこうやって多くの家臣が登城したわけですし,合戦時は多くの信長の兵隊がこの山中を登っていったわけですから,いい経験になったと思います。

小谷城追っ手道.jpg こんなに険しい山道です。

楽に行きたい方は舗装された道路が本丸近くまでありますので,そこをクルマで行くとよいと思いますが,戦国の世を経験するにはちょっと不足ですね。

小谷城はもちろん,山城なわけですが,要塞といってよく,しかも天然の要害である小谷山は峻険で,難攻不落の小谷城攻防戦となると甚大な被害が予想されるため,平地の野戦に持ち込んだのは信長の戦略の勝ちでしょう。ただ,姉川の合戦自体は引き分けで,どちらかの決定的勝利,と言う見方は難しいと思います。

【姉川古戦場】

さて,ここからは同じ国道365号線を南下すると姉川古戦場になります。ただ,ちょっと時間的に厳しいので今夜は長浜市内で泊まりました。1日でまわることは十分可能ですが,子連れだとちょっと厳しいかな,という感じです。

翌日は早く起きて,さっそく姉川の古戦場へ。

姉川合戦場.jpg 姉川南岸(旧長浜市側)

場所的には国道365号線が姉川を渡る地点です。もっとも,野村橋は新,旧2つあり,国道は新しい橋に移っているので,古い方です。昔はこちらが国道だったので,こちら側に碑があります。現在の国道からは堤防沿いに少し東に行くと碑があります。

小谷城から来ると北岸なのですぐ碑があります。今回は長浜側からなので南岸に到着しましたが,南岸は看板があるだけです。旧橋はクルマは通行止めですので,歩いて渡ります。

それにしても1570年にここで教科書にも載っている合戦があったとは驚きます。そんな歴史の舞台に立てばいい経験になりますね。でも,歴史好きの人だってなかなかここまで来ることはないでしょう。

姉川古戦場.jpg 周囲は静かな河原です。

姉川戦死者之碑.jpg 姉川戦死者の碑

【関ヶ原古戦場】

さて,ここからは歴史をずっと後に下って関ヶ原の合戦場所まで行ってみます。

このまま国道365号線をたどると関ヶ原に着きます。なんでか,とゆ~と,

実は,ここから先,長浜~関ヶ原間の旧東海道線の跡が国道になっているからなんです。

1883年,東海道線・関ヶ原~長浜間が開通し,長浜から浜大津まで船で連絡することにより,東海道線が(いちおう,)全通します。鉄路での全通は1889年に湖東線が開通してからです。1899年に現在の近江長岡経由の線ができてこちらが廃止となり,跡が道路となりました。クルマだと勾配,カーブともに緩いので走るのはとても楽です。わざわざ北陸道~名神とたどらなくても早く関ヶ原に着きます。あまり知られていないのですが,鉄ちゃんだと一度,クルマで走ってみるとよいと思います。

ま,ここは何も書かなくてもものすごく有名なところですので,解説はなしです。

まずは石田三成本陣跡へ。国道に看板が出ていますし,脇道にそれると田んぼの中に巨大な砦が現れるので,すぐにわかると思います。

すぐ近くに決戦地跡もありますので,そちらも見てきます。

その後,ここも資料館がありますので,そこに行きました。地図をもらいに行くだけでも価値ありですが,中の展示もなかなかのもので,愚息も熱心に見ていました。

資料館脇には徳川家康の最後の陣跡や,東首塚などもありますのでとても有意義です。少し南に行くと,本多忠勝陣跡もあります。

さすがに次は家康の本陣があった桃配山へ行こうとしますが,ここはクルマでずっと国道21号を岐阜側に走ったところにありますので,ちょっと大変です。さらにその先,山内一豊陣跡もありますが,行程上,パスしました。

ただ,桃配山の本陣は総司令部と言っても全然,前線が見えませんし,はるかに笹尾山の三成の本陣の方が高台にあって見晴らしがよく,狭い谷間に続く出口部分にあって周囲に自陣営の部隊を配置しておけば敵を包囲でき,有利です。それこそ,南宮山に陣していた毛利勢を始めとして,まじめに? 西軍全軍が動けば,カンネーの戦いやセダンの戦い同様,世界史上に残る包囲殲滅戦となったと思います。実際,三成が陣をここに構えたのも北国街道沿いにあって,徳川方が逃げ込めないように考えたようです。

関ヶ原合戦陣形図.jpg 陣形図

帝国陸軍が創設当時,諸外国から将官を招いて近代軍の育成を図ります。真偽のほどは知りませんが,ドイツから来たメッケル少佐がここの陣を見て,"西軍が勝った" と言うのも頷けます。どう考えてもこれじゃ,西軍が勝って当たり前,という地の利です。

実際には俗に,選挙は美人コンテストと違って単なる人気投票じゃない,と言われるのと同様,関ヶ原の合戦も自分の利益最優先で,どちらが有利かとみんな日和見を決め込んでいたわけですから,西軍が勝てないのは最初からだったと思います。美人コンテストだと投票したからと言ってその子とデートできるわけじゃありませんが,選挙や合戦には戦後に何らかの見返りがあるわけで,その見返り目当てにほかの連中は参戦しているので合戦は軍事力じゃなく政治力です。さすがに三成もハンニバルやモルトケにはなれなかったのも当たり前なわけです。そういえば,メッケルはモルトケの部下だったので,なにやら因縁を感じます。

石田三成本陣跡.jpg 石田三成本陣跡

石田三成本陣跡1.jpg 関ヶ原古戦場の全景

三成の本陣からは周囲がよく見えます。左中央に最後の決戦地があります。

関ヶ原古戦場決戦地の碑.jpg 決戦地の碑

この碑は宇垣一成(陸軍大将,陸相,朝鮮総督)が揮毫したようです。各地にこのような碑が建っていますが,史跡名勝天然記念物保護法により1931年(昭和6年)3月に建立した旨の記載があります。戦前の軍国主義に基づいて国威発揚の意味合いがあったのだと思います。宇垣が揮毫しているのもそのせいか,という気がします。各地にほぼ同じ時期に建立されたようです。また,明治時代にも小さな石碑が作られたようで,脇に明治の石碑が建っている場合が多いです。

で,何事も世の中斜めに見ているiruchanは平成の時代に作られたカラフルな案内看板を見て,このブログを書いているわけですが,こうして明治,昭和,平成の3時代にわたる碑が各地に並んで建っているんですけど,たぶん,一番最後まで残るのは明治時代の石碑なんだろうな,と思います。

東首塚.jpg 東首塚

    家康が首実検をした後,葬った場所です。

本多忠勝陣跡.jpg 本多忠勝陣跡

猛将の称号がある,本多忠勝の陣跡です。天邪鬼のiruchanは単なる忠犬ポチだと思うんですけどね.....。こういうやつが出世するんだと思います。

桃配山.jpg 桃配山の家康本陣跡

家康の本陣は国道21号線沿いにあります。反対側に駐車場があります。

岡山烽火場.jpg 岡山烽火場

丸山烽火場.jpg 丸山烽火場の碑(明治39年建立)

東軍の最右翼で黒田長政と竹中重門が陣した岡山烽火場です。案内看板では丸山烽火場と書いてあることも多く,表記が入り乱れているので注意が必要です。駐車場がありますが,そのまままっすぐ北に歩くとここには来ませんのでこれも注意が必要です。駐車場の南側に道の入口があります。

島津義弘陣跡.jpg 島津義弘陣跡

最後まで積極的に攻撃しない方針を決め込んでいた島津義弘でしたが,西軍の敗色濃厚となって,周りを見たら敵ばかりという状況になると包囲網を突破するべく家康本陣を目指して敵中突破し,伊勢街道を通って大和に抜け,難波の港から海路,薩摩に無事帰還することになります。このあと,家康が島津を取りつぶしていたらその後の歴史は変わっていたことでしょう。

小西行長陣跡.jpg 小西行長陣跡

小早川秀秋の裏切りによって敗走した小西行長はキリシタンであったことから,自刃できず,自首して三条川原で三成共々処刑されることになります。


さて,さすがに暑いし,腹も減ってきたので古戦場の散策は終了。本当は松尾山の小早川秀秋の陣跡へ行きたかったですけど,ギブアップ。ここは遠いし,山登りも大変なので,またの機会にしましょう。

歴史の舞台を訪れることができて大変有意義な2日間でした。



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じいじ

新しいブログが発表されているかなと思い拝見したところ、お城巡りのブログがありビックリしました。
実は私も孫が城好きで、「日本百名城」のスタンプラリーにここ数年付き合っております。(アッシー君ですが)
今回のブログの地も小谷城がスタンプ該当なので、同時にレンタカーで回ってきました。「クマ出没注意」の看板が小谷城の写真に写っていますが、私達が訪れたときは「猿」さんはいましたが、他に人がいなく山登りが長いため結局頂上まで行かずに「城攻め」に失敗しました。山城は老兵にはキツイですね。
現在PFM式をブレッドボードで慎重に(トラブルが出ないように)試作中です。手持ち部品の関係で定数の変更やら、老眼で部品に記載の小さな文字やピン穴(?)が見えずにと悪戦苦闘中ですが…。
by じいじ (2017-08-15 10:08) 

iruchan

じいじさん,城巡りとは大変ですね。

小谷城は本丸近くまで舗装した道路がありますので,そこに停めて登ると楽だと思います。駐車スペースもあります。

私はどうにも日本史が苦手で,世界史の方が好きで,あまり城にも興味がないのですが,愚息の宿題を手伝いしました。割に近いところなんですけど,大人になってからは一度も行ったことがありませんでした。

PFM式は定数についてはCとRの積で決まるので,適当な数値のCやRがない場合は,積がほぼ一致するように選択すればOKです。また,これも実験してみないとわからないので,いろいろ数値を変えて実験してみられるとよいと思います。
by iruchan (2017-08-15 10:23) 

じいじ

ご指導有難うございます。
やっと組みあがったので、線路と車両をテーブルに出し、久しぶりにアルコールで清掃をして「いざ出陣!!」と思いましたら車両が動きません。よく見るとピンクランプは点灯していますが、もう一つの緑ランプが点灯していません。

もうお昼なので、午後ゆっくり頭を冷やして点検してみます。
本丸(試作の完成)はまだ遠そうですね。
by じいじ (2017-08-15 12:10) 

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