2022年5月8日の日記

 中神引込線通り

前回に引き続いて中央線立川駅周辺の廃線跡を訪ねます。

軍都立川には陸軍の立川飛行場があり,それに隣接して,東側に立川飛行機,西側に陸軍航空工廠が立地していて,それぞれに専用線が敷設されました。前回は立川飛行機専用線を訪ねました。今回は西側,青梅線中神駅から分岐していた,専用線を訪ねます。通称,中神引込線ですね。建設は東西ともに同時期のようで,こちらも1943年の建設のようです。

立川飛行機の専用線の終点から,一度,北に行って,立川駐屯地や昭和記念公園を越えて,泉町西公園という緑地を目指すと引込線の終点に行くことができます。自転車だと楽だと思います。

ただ,iruchanは終点から先に訪ねたのですけど,普通の人は中神駅から訪問されるでしょうから,中神駅から解説します。

 中神引込線

 1974年12月撮影

米軍撮影の空中写真です。もうベトナム戦争も末期で,急速に撤退を進めていた頃だと思います。あと半年でサイゴン陥落ですね.....。iruchanは,サイゴン陥落とデカい見出しが載った新聞を今も覚えています.....。

1969年には燃料輸送も終了したらしいのですが,線路も貨車も残っています。右側に米軍将校用社宅が見えます。

う~~~ん,やはり戦争に負ける,ということはかういふことかと......。

日露戦争に負けていたら,かういふ状況かもしれないやうですけど,まあ,ほとんど今と変わらない状況かと....。住んでいるのがロシア人,と言うだけかも#58945;

中神駅構内配線

1954年の線路図です。上り側に2線,側線があります。"専用線" と書かれています。

 中神駅東側

現在の状況です。右側(北側)から引込線が出ていたのですが......。ここから,中神引込線通りへ出るまで,痕跡は消えてしまっています。特に,駅東側の都道59号が立体交差となり,周辺の道路も整備されて消えてしまったようです。


 

    向こうの信号機の奥から線路跡のようです。

奥に見える公務員住宅の東側が線路跡です。S字状に道路がカーブしていますが,後半のカーブが線路跡の曲線のようです。この道路の右側(東側)にある歩道が線路跡のようです。つい20年ほど前まで線路が残っていたそうです。

 線路跡です。

途中から道幅が狭くなり,線路跡らしくなります。ただ,一方通行ですけど,車の通行は可能で,ちょっとその点は残念。1997年までは線路が残っていたようですけど,東側の立川飛行機専用線跡のように緑道とした方がよかったのではないでしょうか。


 途中の分岐点

線路は途中で分岐し,南北に並行した2本の線路となって航空工廠に入っていました。分岐点にモニュメントが置かれています。

 分岐器

ここの分岐器が残されています。説明板も設置されています。


このまま,線路はゆっくりカーブし,東側に向いていきます。南側の引込線は国際法務総合センターへ突っ込む形になります。北側の線はあきしま相互病院に突っ込んでいきますが,どちらの線路もむさしの公園という大きな緑地で復活? します。


 終点のモニュメント

線路終点には▲の小高い丘の東西にモニュメントがあります。ここが実質的に線路の終点ですが,1970年代に残堀川が改修され,以前は直角に曲がっていた川が斜めに経路変更されるまではその奥まで伸びていたようです。

 終点のモニュメントの説明板


 信号柱

小高い丘の西側にあるモニュメントです。分岐器と信号柱が残っています。

 分岐器跡

もう少し,分岐器も本体がしっかり残っていて,転轍機なんかも残っているとよかったんですけどね。それに,そもそも,この丘がなくて,終点まで線路が残っていてもよかったんじゃないでしょうか。

 残りのモニュメント

むさしの公園に入る前,道路西側の昭島市北部配水場横にあるモニュメントですが,ここは非常に見つけにくい。相当探さないとわからないと思います。その割に残っているのは路面電車みたいな線路だけ,なんですけどね.....。

       ☆          ☆          ☆

帰りはまた自転車で帰りました。途中,昭島名物のごんにんごんさんで,おいしい弁当を買って帰りました。iruchanは駅弁とか,持ち帰り弁当大好きなので......。