金田式CR型超シンプルプリアンプの製作~その4 テスト編~ [オーディオ]
2022年3月31日の日記
トランスは共立で売っている,HDB-8というトロイダルトランスです。
と言う次第ですけど,まだケースを加工してませんでしたし,前回,設計,製作した非金田式オールFET電源は未テストです。
金田氏はオールFET超シンプルプリアンプ(No.122)でオールFETの電源が完成したら発表する,と書かれているのですが,発表しておられません。
ひょっとして,非安定化電源か,という気もしたのですけど,当時は電池式だったようですし,実際作った方も電池式のようです。
さすがにiruchanは電池でつくると電池の消耗が気になるし,かさばるので,AC電源でつくりました。
前回,LTspiceで設計し,シミュレーションして基板をつくったところまででした。
また,今回ケースも買ったので加工しました。
買ったのはまたAli Express。前回,モノラルLP用CR型EQアンプで使用したケースと同類のものです。オールアルミでパネルが豪華でとても見栄えのするケースです。おまけに送料入れても3,000円ほど。
今回のはサイズが225(W)×52(H)×217(D)mmというもの。金田氏はNo.122ではケースについては書かれていなくて,No.121のスーパーストレートプリアンプではタカチのOS-12BBと書かれているんですけど,タカチのにこんな型番のケースはないので,誤植なんじゃないでしょうか。こんな型番のケースがあったのでしょうか。でも,iruchanの方が断然小さいと思います。
ただ,Aliのはパネルがt6mmもあって加工が大変
前回,電源SWにトグルSWを使ったのですが,小判型の穴を開けるのに困ったので,今回は秋月で売っている照光式オルタネートSWを使いました。
ただ,残念ながら,φ16mmの大穴が必要。
と言うことでホールソーで開けました。
ところが......。
monotaroで買った,バイメタルのφ16mmというノーブランド品はダメ
芯がぶれていて,ボール盤で開けるのに苦労したのですが,案の定,穴が空いてみるとφ17mmになっています.....orz。
やはり怪しげな中国製は避けた方がよさそうです。
と言うことで次回は,ちゃんとした日本製じゃなくても日本ブランドのものにします。値段は倍するのですが,今回のはやはり安物買いの銭失い,でした.....
なお,アルミパネルに穴開けする場合,ホールソーは金属用と書かれたものじゃなくて,アルミ用と書かれていればベストですけど,木工用で十分です。金属用は鉄やステンレス用,と考えた方がよいです。刃に超硬合金を使ってチップを溶接しているのですが,刃の厚みが大きすぎ,穴開けする場合,固定しないと危険です。
秋月の照光式SWはなかなかよいもので,onにするとSWの周囲が光ります。
日本製の照光式SWは配電盤などのSW用で,プラのハウジングがチープで,それでも2,000円以上したりしますが,秋月のは金属ケースで,たった400円。on,off時の感触もとてもよいです。まあ,ちょっと作りがちゃちで,いつまでもつか,という気がしないでもないんですけどね。
発光色は青,赤,白とあり,金田さんは青が好きでパイロットには青色LEDをいつも使われていますけど,iruchanは青色LEDは大嫌いなのでパス。
iruchanはどれも気に入らないので,分解して電球色にしちゃいました.....
次回は,パイロットはピンク,と決めているのでピンクにしようかと考えています。
さて,こうやってケースを加工し,電源と基板を再度,テストします。
電源は一発で動作しました。
なお,前回,出力電圧は±20Vで設計しましたけど,オリジナルの2N5465じゃなくて,耐圧の低い2N5462を使っている関係で±17Vに下げました。
実を言うと,2段目差動アンプのカスコードアンプとして使われている2N5462の非出力側がほぼVDS=40Vになっていることに気がつきました。これじゃ,耐圧ギリギリです。これに気がついて下げることにしましたけど,何の問題もなかったので,特に問題ないかもしれません。
EQアンプもフラットアンプも再度,通電してテストします。
実を言うと,ch. RだけがEQアンプ,フラットアンプともにオフセット調整ができず,発振かと焦りましたが,いずれもはんだづけミスでした。おかげで1週間つぶれましたが,ちゃんと動作するのを確認できました。
いよいよ次は入出力の配線をして最終確認したいと思います。
Nikkor持って...... [カメラ]
2022年3月27日の日記
いよいよ春めいてきましたね.....。iruchanの家の近くでも桜がちらほら咲き始めました。
と言う次第ですけど,最近,職場の後輩がオールドレンズにはまっているのに触発され,iruchanも実家からNikkorのオールドレンズを持って帰ってきました。
カラーフィルム対応のCマークがついたコーティングが施された製品です。戦前製のノンコーティングレンズを愛好する方も多いようですけど,iruchanはコーティング派です。
持って帰ってきたのはNikkor 35mm F2.5です。本来は同社のSシリーズ用のレンズで,Sマウントのものは割によく見かけますが,ライカのスクリューマウントのものは少しレアです。F2.5と明るく,当時35mmのレンズとしては世界最高の明るさだったようです。
何より小さく,LeitzのElmar 35mm F3.5よりは,そりゃ,分厚いのですけど,ちゃんと50mmよりは小さいし,もとから小さいので沈胴式にはなっていません。一眼レフはミラーがあるせいで,下手すると35mmのレンズの方が50mmより大きかったりしますからね.....
鏡胴は2種類あり,ライバルの東京光学のTopcorのシリーズやFUJINON 50mmもそうですけど,後期には黒が登場しています。iruchanはどうにも黒鏡胴は好きになれないので,初期のオールシルバーを買いました。もっともこのレンズの場合,絞りリングが黒のものがある,ということで鏡胴ではないですけど.....。
iruchanはライカが一時,好きだったので,本体も含め,いろいろレンズを集めましたけど,小西六のHexarに巡り会ってから国産レンズだけにしました。いずれも素晴らしいレンズで,写りはどれも絶品です。仕上がりも美しく,Leitzのレンズはどうにも気に入らなくなり,大部分手放してしまいました。
と言うことで近所を散歩.....。
もう,母艦と言うらしいですけど,本体のデジカメはGF1じゃ,10年前の製品なので,新しいのにしたいのですけど.....。どれも母艦は高いですね~~~。
マイクロフォーサーズにLマウントレンズをつけると倍率は2倍になり,その点面倒です。これじゃ,70mmになっちゃいますね。
でも,最近,レデューサレンズ,と言うのがあるのですね。要は凹レンズで,焦点距離を短くしてくれるようで,これと組み合わせるとほぼ等倍になるらしいです。母艦を新しくするついでに,これを買ってみよう,と思っています。
心優しい,園芸部のお姉さんたちが心を込めて学校の前にパンジーを植えています。色とりどりのパンジーがとてもきれいでした。
こんな風に人間みたいにゴクゴクと水を飲めるのはハトの特徴らしいです。
木瓜の花がきれいでした.....。まだiruchanのところでは桜は少し早いです。
フィルターをつけてないので買ってきました。ユーエヌがφ34.5mmのフィルターを売っています。ありがたいことにシルバーフレーム
他に,KenkoのPro 1dのシリーズで34.5mmのシルバーがあったようなのですが,製造中止になったようです
売れないんでしょうか.....。
やっぱ,クラカメ&オールドレンズにはシルバーですよね。
☆ ☆ ☆
それにしてもこのレンズの発売は1952年。朝鮮戦争による特需で潤い始めた頃で,日本や朝鮮に出かけたGI達のカメラとしてSシリーズが大いに売れたようですね。米国人は写真が好きですから....。「ジャップのカメラだけど,意外にいいじゃん.....」ということだったのではないでしょうか。
まだ戦後の復興がままならない時期ですが,このように優れたカメラやレンズを世に送り出したことに驚かされます。日本人が得意な細かな作業を活かした精密機器産業は日本の外貨獲得の尖兵となりました。明治以降,工業化を進めましたけど,重工業は軍需優先で,外貨獲得には絹糸などの軽工業しかなく,このようなカメラや時計など,高度な精密機械,電機を輸出産業として育てず,貿易立国を目指さなかった政府の失敗が先の戦争につながったのではないか,と思います。
サブミニチュア管DCプリアンプの製作~その5・トラブル対策編~ [オーディオ]
2022年3月1日の日記
調整中ですけど,仮設でもパイロットランプ(LED)はつけておくことにしています。
前回,出力段の6N16B-Vが1本,スパークして昇天してしまった,と報告しました。
被害は甚大で,急遽,6N16B-Vをウクライナに注文し,すぐに届きましたが,念のため,周辺の回路を調べてみると,ツェナーDiのRD24Fが単なる抵抗と化していますし,出力段には金田氏の原設計にはないんですけど,アイドリング測定用に10Ωの抵抗を入れてあるのですが,これが数kΩになっていました。
やはり過電流が流れたのは間違いなく,それでスパークしちゃったんですね......
それで,てっきりiruchanは旧ソ連製の6N16B-Vが不良品だと判断し,なんや,スターリンもたいしたことあらへんな......って思ったのですけど.....。
末尾に-V(キリル文字では-Bですけど)がついているのは軍用で,特にOTKマークが入っているものは軍の規格適合品の証明で,信頼性が高いはずなのでおかしいな,とは思っていました。-Vがついているだけなら真空管メーカの品質管理の符号ですけど,OTKはソ連軍が受入検査をして合格した,と言う意味ですね。
とりあえず,これらの部品を交換し,6N16B-Vも新品に交換したのですが,現象は同じで,念のため,スライダックでゆっくり加圧してみるとかなり大きな電流が6N16B-Vに流れています。
こりゃまずい.....
と言う次第で,基板を取り外し,入念にチェックします。特に,プリント基板は自作なので,パターンが接触していないか,ハンダ屑がついてショートしていないか,チェックしましたが,異常ありません。
他にも抵抗や周辺のTrが壊れていないか,チェックしましたが,問題なさそうです。
蛇足ですけど,Trの不良は本当は外して調べるのが正しいですが,オンボードでも,P-N接合の電圧を見ると大体わかります。0.6V前後になれば,そのTrは正常です。
そのはずだったんですが.....
散々調べてもパターンミスや他に壊れた部品はありません。
そのうち,2段目のレベルシフト用のTrのエミッタ電位が片ch.がおかしいと言うことになんとか気がつきました。ここは金田氏の原設計(No.174 MJ '03.12)では三洋の2SA1967なんですけど,iruchanはモールドが嫌いなので,メタルキャンTO-5の2N5416を起用しています。
-Vccにつながっている方のTrのエミッタ電位が+になっています。
えっ~~~!!
金田氏の記事では,-102.8Vと書かれていますから,完全におかしいです。実際,正常な方はこれくらいの電圧です。
測ってみると+100Vくらいもあり,これじゃ,下側の6N16B-Vは異常な+の高電圧がg1にかかっていたことになり,スパークしたのだと思います。
なんや,こいつが悪いんか......。
と思って,2N5416を外して調べてみてもhFEが測定でき,正常です。
一応,念のため,別の2N5416に代えてみても現象は同じで,エミッタが+になっています。
こんなはずはないので,まだプリント基板がおかしいかと散々調べても異常は見つかりません。AOCがおかしいかと思いましたけど,Spiceでシミュレーションしても関係ありません。
ようやく,全部の真空管を抜いてこの電位を調べたら,やはり+になるのでおかしいことに気がつきました。
ということでようやく,このTrが高電圧で降伏し,リーク電流が異常に増えているのだろう,と想像しました。
Trの特性で,VBEが0Vでもリーク電流がどうしても少し流れ,これはどの規格表にも書いていますけど,普通,数十μAで,これならエミッタ電位は1V変わるかどうか,と言うくらいのはずですが,今回,5mA程度流れているようです。2N5416も熱っチッチです。3Wくらいコレクタ損失が出ているようです。
そこで,東芝の2SA1924(VCE=-400V,IC=-0.5A, PC=10W)に交換してみますと,正常に動作します。エミッタ電位も-100Vくらいになります。
やはり2N5416が不良のようです。VCE=-50Vくらいで降伏してしまう感じです。
実を言うと,この2N5416は5年前,eBay経由で中国から買ったものです.....
悪かったのはスターリンじゃなく,習近平でした.....orz。
どれもきれいな仕上がりで,メーカ表記がモトローラのものとオンセミのものが2種類ありましたけど,社名変更が1999年のことなので,それほど怪しくはない,って思っていました。
このうち,ON(オンセミ)と表記されたものが怪しいようです。
ということでM(モトローラ)と表記されたものに交換したら正常に動作します。
おそらく,ONと書かれたものは何か別の,耐圧が-50Vくらいの普通のTrをリマークしたもののようです。
安かったのですが,もう中国からは買いません。皆さんもお気をつけください。
このまま,東芝の2SA1924に交換しても良かったのですが,モールドパッケージだし,電極配置が2N5416とは異なるので,モトローラの2N5416に交換しました。
ついでに,初段の定電流回路とAOCに使われている,2SD756も耐圧ギリギリなので,2SC2551に交換しました。
おかげですっかり泥沼にはまってしまい,まる1ヶ月間,膠着状態でした.....。
☆ ☆ ☆
1918年3月,ドイツ帝国の西部戦線司令官ルーデンドルフは最後の賭けに出ます。ロシアは前の年に事実上,敗北し,1917年3月3日にブレスト・リトフスクで講和条約に調印していました。東部戦線の戦力を西部戦線に全面的に投入し,新兵器の戦車A7Vとパリ砲を投入し,乾坤一擲の大作戦に打って出ます。前年4月にアメリカがドイツに宣戦布告していましたが,まだ大部隊は到着していませんでした。
3月21日,ついにパリ砲が火を噴き,合計183発が発射されます。当初,パリ市民は飛行船からの爆撃,と考えましたが,砲弾の破片を分析し,大砲によるものであることが判明して驚愕します。
ドイツ軍はパリまで120kmの地点まで進撃しますが,5月にはアメリカ遠征軍が到着,7月には第2次マルヌ会戦で敗北するとドイツ軍の進撃は止まり,8月にはこの攻勢が終息します。
原因は補給不足であるとか,米軍の大部隊による攻勢とも言われていますが,スペイン風邪の流行による影響も大きかった,と思います。
そもそも第1次世界大戦が塹壕戦になって4年もの間,膠着状態に陥ったのは開戦劈頭のシュリーフェン作戦の失敗によるものであり,参謀総長のモルトケが前任のシュリーフェンが立案した作戦を改変して2個師団を削減し,また,先陣を切っていた,第1軍のクルック将軍がセダンの戦いの再現をもくろんでフランス第5軍を包囲殲滅して決定的勝利を得ようとパリを目前にして回頭したため,です。
そのあと,モルトケはヴィルヘルム2世に,「陛下,この戦争は我々の負けです。」と報告したことが知られています。参謀総長がそう言うなら戦争はもうおしまい,ですね。
モルトケと言っても,普仏戦争の大勝利の立役者であった,大モルトケの甥で,本来は参謀総長に就くような人物ではなかったようです。でも,戦争の行方は正しく見通していました。
小モルトケはヴィルヘルム1世の孫であったヴィルヘルム2世が「俺もモルトケが欲しい」ということで昇格させた人物でした。ルーデンドルフはモルトケを憎んでいたでしょう。
やはり三代目は国を滅ぼすようですね......。
☆ ☆ ☆
iruchanはなんとか膠着状態を脱し,これでようやく調整に入れます。詳細はまた次回です。