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父が亡くなりました。

2021年6月27日の日記

数週間前,父が亡くなりました。大正14年生まれなので,とても長生きだったと思います。

まだ母が健在のため,肉親と別れるのはこれが初めてで,iruchanも正直,何をしたらよいかまったくわからない状況で葬儀をし,父を見送りました。

戦争を体験し,たまたま次男坊で外で働いていた先が商船会社で,そこで航海士をやっていたことから兵隊として徴兵はされませんでしたが,船員として徴用され,北海道周辺で海上輸送に従事していました。いわゆる軍属ですね。

終戦の日,本土へ避難する人々を乗せて命からがら南樺太の大泊港(と思いますが,確認し忘れました)から稚内へ逃げ帰り,無事に生きて帰ってきました。

樺太には8月11日にソ連軍が上陸し,樺太での戦闘が始まっていました。

宗谷海峡を航行中,潜望鏡を発見し,魚雷回避のため,之字運航をする最中,船上の人々は皆合掌をしていたとか,そういう話を聞きました。商船だから魚雷を食らったらひとたまりもありません。

幸い,米潜だったのではないかと父は生前,言っていましたが,ソ連の潜水艦ではなかったらしく,魚雷を発射してくることもなく,稚内港に入れたようです。

戦後も今度は米軍に徴用され,日本軍の捕虜を帰還させる船に乗りシアトルまで行ったそうです。「Pという文字の着いた服を着せられた」,と話をしていましたが,それは捕虜(war prisoner),と言うことですね。

こういうこともあって,常々戦争反対を唱えていたのに,なぜか戦争映画は大好きで,よく戦争映画やドキュメンタリーを見ていました。ジョン・ウェインのファンで,アメリカ映画をよく見ていましたけど,原爆や空襲など,アメリカの非道ぶりを非難する一方で,アメリカ映画が結構,好きだったりして,「こんな国には勝てないな~。」と思っていたのだと思います。

戦争責任は日本の側にあり,また,アメリカの空襲や原爆などの非道ぶりを批判する一方で,当時の日本の軍人,為政者にも遠因があり,逆に,今のアメリカ人とは関係ない,と公平な見方をしていたのだと思います。

iruchanがディズニー大好きで,海外ドラマ大好きなのも親英米派なのもそういう影響があったのだ,と思います。また,世界史を選択し,19~20世紀の近現代史が特に興味があり,日本の戦争責任を探求して自分なりにあの戦争の原因を探っているのも父の影響だと思います。

戦後,父は一から商売をはじめ,苦労して私も大学に入れてくれました。自分は低学歴なので,自慢の息子だったのかもしれません。

とても感謝していますが,正直,戦前生まれのクソ頑固親父で,何かあるとしょっちゅう怒鳴られたし,下手するとものが飛んでくる,という親父で,まいりました。

小林亜星さんが先月末に亡くなっていますが,iruchanもよく見ていた,"寺内貫太郎一家" のクソ親父は体型こそ違いますけど,うちの親父にそっくりで,驚きながらも面白く見ていた記憶があります。

昨年末に歩けなくなるまで90歳過ぎても商売を続け,生活費を賄っていた,と言うのは本当に驚きです。「年金はこづかいや」と言っていたのはウソではありません。私にはとてもそんなことはできそうにありません。

と言うこともありますが,正直,まったくボーッとしてしまってなにも手がつかない状況です。しばらく,喪に服すことにします。


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