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LEDデスクライトのDCジャック追加 [電子工作]

2019年5月19日の日記

ANBURT LED desk light.jpg

とうとう,娘が小学校に入学したときに買った蛍光灯のデスクライトを買い替えることにしました。まあ,10年も使っているし,単に蛍光管が寿命が来ただけなんですけど,LEDタイプのものに買い替えました。

ただ,娘もそれなりに大人なので,好きなのをamazonで選ばせたのですが.....。

残念ながら,選んだのは安物の中国製。充電式でコードが不要で,割に明るいし,明るさも3段階,色も5段階変えられる,というものなんですけど.....。

ただ,充電式というのが曲者。おまけに,ACアダプタがついていませんでした.......[雷][雷]

つまり,USB接続なので,スマホの充電器が使えます,というのが売りなんですけど,単にACアダプタを省いて低コストにしただけ,という感じです。そもそも充電式で持ち運び可能ですって言っても,持続時間はほんの数時間だし,結局はACアダプタをつなぎっぱなし,と言う使い方にならざるを得ないはずです。それなのに,ACアダプタは付属していません[雨]

と言う次第で,まあ,スマホの充電器を使えばいいんでしょうけど,スマホの充電器はほとんど連日,スマホの充電に使わないといけないわけで,あまり空いてはいないわけですし,もう1台買うと1500円くらいはするのでもったいない!

そこで,iruchanは普通の5VのACアダプタが使えるよう,改造しちゃいました[晴れ]

5VのACアダプタはパソコン周辺機器なんかでよく使いますから,iruchanも余っちゃっています。

まあ,こんなことはiruchanは朝飯前(実際には昼飯までかかっちゃいましたけど[雨])なので,やっちゃいました。

まずは裏蓋を外します。

といって,簡単には外れません。どこかにねじがあるはずですが,見えないようになっています。

まあ,慌てず,底蓋に貼ってある,滑り止めのウレタンシートを指で押さえると引っ込むところがあるので,そこにねじが隠れていますから,カッターで丸くシートを切り取ってねじを外しました。

あとは簡単。φ5.5mmのDCジャックを取り付けます。ボディにφ7.5mmの穴を開ければOKですけど,ボディのプラは柔らかくてペナペナ。たぶん,安物のPET樹脂だと思います。日本製だと高級なABS樹脂を使っていると思いますけど......。ジャックの接続はUSBコネクタの#1と#4ピンが電源コネクタで,そこにパラにハンダ付けするだけです。ご丁寧にも,基板上に+5V,GNDと書いてありましたので簡単です。

ANBURT LED desk light  コネクタ基板.jpg DCジャックを取り付けます。
φ5.5mmの普通のDCジャックですけど,内側のピンの径がφ2.1mmと2.5mmのものと2種類ありますのでご注意ください。

ANBURT LED desk light 底部.jpg 底部の基板です。

充電池はNiCdではないかと思います。こんな小さいのじゃ,大した時間は点灯しませんね。

コネクタ部の基板には充電制御用のICがついています。スマホの普及で,いろんな種類のICが開発されています。スイッチング電源と同じ,DC/DCコンバータと制御回路がセットになったものです。DC/DCコンバータは昇圧スイッチング電源として動作していると思いますが,損失が多いので,充電開始時はかなり熱くなります。だから,底板が鉄板でできていて,放熱するようになっていますが,肝心のICと接触していません。これじゃ,放熱にならんやろ!!!!


ANBURT LED desk light 背面.jpg 充電中。

充電中はコネクタ基板の赤色チップLEDが点灯します。

最初,コネクタの基板についているICは単なるDC/DCコンバータで,充電池は常時接続となっていて,浮動充電になっているのか,と心配しましたが,3時間くらいするとLEDが消灯したので,一応,満充電を検知して,充電を停止するようです。なお,鉛蓄電池以外は浮動充電は原則禁止です。

          ☆          ☆          ☆

まあ,それなりにフレームはアルミでできているし,照度も十分で,明るいし,タッチスイッチになって色温度も変化できて電球色にしたりできて,割にいいデザインでした。

ただ,ACアダプタはついてないし,機械的にもすごくチャチ。そもそも,箱を開けて使い始めの状態でヒンジのねじがユルユルで,重力でLEDランプがお辞儀しちゃう始末。さすがの中華クォリティに呆れます。ヒンジ部にカバーがあって,ねじを締め付けてOKですけど,普通のお宅じゃ,それすらできないんじゃ,と思いました。



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遠距離受信用鉱石ラジオの製作~その1~ [ラジオ]

2019年5月12日の日記

けふはiruchanの家は1日中,シンナー臭かったです.......orz。

バリコン板塗装.jpg ただいま塗装中。

最近はiruchanも模型工作で塗装をしなくなりました。iruchanも年取ってすっかり根気がなくなり,面倒くさくなっちゃいましたしね......(^^;)。

まあ,最近はそういう方も多いのか,鉄道模型どころか,プラモでも塗装済というのが増え,最近は塗装しなくても組み立てられるものが増えているそうです。鉄道模型も実車があまりにも複雑な塗装をするようになり,手作業じゃもう塗れない車ばかりですしね......。

さて,この前の10連休は子供連れて田舎に帰ったと思ったら,今度はとうとう嫁はんに愛想尽かされて んなことねぇって 実家に帰ってしまい,子供の世話で追いまくられて何もできませんでした......orz。

今週は何とか嫁はんも機嫌直して帰ってきてくれたので工作再開です。やれやれ。

で,何を塗装していたか,というと,こういうものを作りたかったのです。

バリコン板.jpg バリコン固定板です。

単連と2連のエアバリコンを固定するための板を作っていました。アルミの板のままじゃ,錆びちゃったり,傷がついてみっともないので,グレーに塗装しました。

バリコンの固定板はラジオ作るときには重要なのですが,本当にめんどくさいですよね~。厄介なバーニヤダイヤルの穴は "花子" で図面描いてボール盤で穴開けしました。なんの修正もなしで取り付けられてホッとしました。トランスの4つの穴もなかなか一発では開けられませんが,きちんと図面を描いて紙に印刷してけがきするとうまくいきます。便利な時代になったものです。

ついでにコイルを巻きました。これも "花子" で図面描いて巻き枠を作りました。

basket coil1.jpg バスケットコイルです。

リッツ線を使ってバスケットコイルを巻きました。朝から丸1日がかりでした。疲れた~~[雨]

        ☆          ☆          ☆

詳しくはまた次回です。乞うご期待[晴れ] 誰も期待なんかしてへんやろって。


 

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さようなら平成時代 [紀行]

平成最後の日の日記

今日で平成の時代が終わります。iruchanも生まれてからこれで2回目の改元となりました。

けふは昭和最後の日の写真をお届けしたいと思います。

1989年1月7日,まだ大学の冬休みだったので,iruchanはその日,朝から車をとばして新疋田に出撃していました。北陸に住んでいるので新疋田は割に近いところです。

しらさぎ1号.jpg しらさぎ2号

クハ489先頭のしらさぎ2号です。9両編成ですが,1985年3月のダイヤ改正で食堂車が廃止されていますので食堂車は入っていません。EF63との併結用に,連結器が露出しているのがかっこわるく,クハ489が来ると嫌でした。今から思えば,なに贅沢言ってるんや? って感じですけど.....。

雷鳥.jpg 雷鳥

485系の雷鳥もまだまだ全盛期です。681系の登場は試作車が1992年からです。ゆぅトピア和倉の併結もはじまっていましたが,スカートの切欠きがまだない頃のものです。その後,全編成が併結対応になってちょっと不格好になっちゃいます。

ゆぅトピア和倉.jpg ゆぅトピア和倉併結の雷鳥9号

和倉温泉への誘客のため,非電化の七尾線に乗り入れるためにキハ65形を改造した車両です。どうみても北海道のアルファコンチネンタルにそっくりですが,やはり改造計画自体は国鉄の頃にはじまっていて,苗穂工場や国鉄本社の車両課が設計を支援したそうです。電化区間は非動力車で,トレーラーとして牽引されています。北海道のキハ201系や大雪やサロベツなどはこのような車両にして,小樽以南や旭川以南は電車に併結でいいんじゃない,と思っています。それに,和倉温泉も電化されちゃったわけですけど,小樽~ニセコ間は電化してもいいのでは,と思います。

日本海1.jpg 本命の日本海

まだトワイライトエクスプレスは登場していません。登場はこの夏からでした。日本海も2往復体制で,一時は函館まで足を伸ばしていたのに,廃止になってしまったのが残念です。やはり分割民営化の弊害のひとつだと思っています。北海道や東北の日本海側,北陸から関西への交流が衰退する原因にもなっていると思います。

DD51団臨.jpg なぜかDD51牽引の団臨

全くノーマークでしたが,この日,偶然,DD51牽引の団臨が走ってきました。14系座席車とDD51の写真はとてもきれいです。今はこの右側に直流の変電所ができています。

雷鳥・新潟.jpg 新潟行き雷鳥5号

485系1500番台による運転が多かったです。すでに上沼垂色と言われるツートンカラーになっていますが,なかなか485系に似合っていたと思います。iruchanも好きな塗色で,マイクロエースの模型も持っています.....(^^;)。

新潟行き雷鳥は2往復ありましたが,2001年3月のダイヤ改正で廃止になりました。

そういえば,新潟~大阪の移動には白鳥も使えたので,実質,新潟~大阪間の昼行特急は3往復あったわけですね。北陸新幹線の開通で金沢~直江津間が第3セクターとなり,北越も廃止されたので,大阪~新潟は金沢と上越妙高で2回乗り換えとなりました。Yahoo!路線情報では東京で上越新幹線に乗り換えするルートが出てくる始末ですし,大阪や金沢と新潟は非常に不便になりました。別に北越を第3セクター経由で残してもよいと思うのですけどね.....。これじゃ,みんな飛行機か,高速バスで行くよな~。欧州でやっているように,設備と列車運行を別にし,列車の運行を自由にいろんな会社ができれば,不便は解消されると思うのですけど.....。国鉄民営化はまだ未完だと思います。国鉄の分割民営化は便利なところはより便利に,不便なところはより不便になったただけ,と思います。おまけに株式を上場しちゃって,海外のもの言う株主が増え,西や九州などは非採算路線の廃止を迫られる,と言うことになっています。それってなんのための民営化だったの? って思いますけどね......。

白鳥.jpg 白鳥

同じく1500番台での運転ですが,こちらは国鉄色です。残念ながら後追い写真ですけどね.....。1500番台はもちろん,北海道電化用だったんですが,全然雪対策が追いつかず,冬期のトラブル続出で,結局,北海道には新製781系を投入することにし,1500番台は泣く泣く本州に舞い戻ってきたというわけです。

1997年3月から,電車の所属が変わり,JR西日本・京都総合運転所(旧向日町運転所)となって,雷鳥と共通運用となり,ボンネット車が入るようになりますが,新潟行き雷鳥と同時に廃止になりました。

きらめき.jpg きらめき

前年から走り始めたきらめきです。金沢発7:25→米原着9:19ですから,表定速度92.9km/hです。途中,福井のみ停車でした。iruchanは停車駅じゃなかったので,一度も乗っていないのが残念です。

キハ48.jpg キハ48

交流電化区間は交直接続が面倒なため,気動車の普通列車が多かったのは北陸だけじゃなく,東北や九州でも多かったのですが,正直言って,せっかく電化されているのに,何で気動車なんや!?と思ってました。おまけに非冷房なので,夏は暑く,うるさいし,しかものろいので大嫌いでした。今もキハ40は嫌いなのですが,おそらく子供の頃のトラウマが原因だと思います。もっとも,子供の頃,北陸線で使用されていたのはキハ20で,iruchanもキハ20が3両だった時代を覚えています。その後,キハ48になりましたが,2両になって混むので参りました。塗色はもちろん,首都圏色と言われる朱色5号で朱色一色でしたけど,後に民営化前にこのような青地に白帯となりました。

北陸線でも米原~敦賀,近江今津間は気動車の運転が多く,特に湖西線の各停は気動車のみで1日3往復しかなかったのは今じゃ,考えられませんが,鉄道で琵琶湖の西に行くのはきわめて大変でした。

22-1.jpg 475系普通電車と

帰りのきらめきと各停がすれ違いました。赤地に白帯の旧北陸色ですね~。国鉄時代に各地で塗装合理化と民営化に向けて,新塗色に変わりましたけど,結局は各JRでまた新しい塗色に塗り替えられたりして,そのまま継承したところは少なかったと思います。それに,これじゃ,北陸線も身延線と同じ塗り分けで,嫌いでした。419系共々,模型が出ていますけど,この塗色のものは買っていません。JRが発足して,白地に青帯の新北陸色に塗り替えられてしまい,意外に期間としては短かったです。

     ☆          ☆          ☆

この日,昭和天皇が崩御されました。撮影を終えて,カーラジオで訃報を聞きました。翌日から平成元年となりました。あれから30年も経つのか,と感慨深いです。電車もすっかり変わってしまいましたし,夜行列車もなくなってしまいました。それどころか,ここを223系が走り回っていたり,のみならず,EF65の団臨が走ったりするので驚いちゃいます。正直言って,お前なんか,ここじゃ見たくない,と思いますけどね.....。

残念ながら昭和は戦争の時代,平成は震災や豪雨災害など,あまりにも自然災害の多い時代でした。次の時代が平穏な時代であることを願います。そういえば,戦後,高度成長期に昭和元禄という言葉がありましたけど,元禄の次は宝永だったわけで,宝永4(1707)年,南海トラフ地震(宝永地震)の49日後に富士山が大噴火したのは有名です。繁栄の後で災害の多い時代,というのは江戸時代と同じような気がします。次の時代は何も起こらないことを祈っています。


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