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依佐美送信所再訪記 [紀行]

2015年1月11日の日記

依佐美送信所.jpg

愛知県刈谷市にある,依佐美(よさみ)送信所記念館へ行ってきました。ラジオや真空管など,古い電気技術に興味があるので,以前から行ってみたいと思っていました。

ここは1929年に開所した長波送信施設で,長波を使って欧州の在外公館へ連絡するために使用された施設です。もちろん,日本には大北電信会社(Great Northern Telegraph Co.)が明治維新直後の1871年に開設した上海~長崎やウラジオストック~長崎間の海底電信ケーブルがあり,翌年には欧亜陸上電信線と接続されたため欧州との通信は可能となっていましたが,この会社は英国系の会社であり, 有事の際には断絶することが懸念されたため,日本独自の設備による通信システムの構築が急がれていました。実際,1914年8月,英国がドイツに宣戦布告すると,ただちに5回線あったドイツの大西洋横断電信ケーブルはすべて英国海軍が切断しました。また,第1次世界大戦後,1923年の日英同盟解消の影響もあると思います。

 

そこで,愛知県碧海郡依佐美村に送信所を作ることに決定し,1927年に着工して2年後に完成しました。まだ短波による長距離通信が実用化していない時期だったため,大出力の長波送信設備により欧州との通信を可能にしました。世界各地にこのような長波送信設備があり,有名なのは独ナウエンの送信所や世界遺産にもなっているスウェーデンのヴァルベリ送信所でしょう。特にドイツのは先ほどの電信線切断後,大戦中,独米間の唯一の通信手段となったことは有名です。もっとも,ドイツと海外の公館との情報は無線でやりとりされ,それを英内務省の有名な40号室が傍受し,暗号解読していた,というのはよく知られていますね.....。

やはり電信は危ない,と言うことに日本もこの件で気づいたのかもしれません。この通信の米国側受信施設はロングアイランドにあったセイヴィルの送信所で,1911年から翌年にかけて独Telefunken社が作ったものです。もちろん,1917年4月6日にアメリカが参戦すると米海軍に接収されていますが,その前に大戦勃発の1914年8月には米海軍の監視下におかれ通信も検閲されていました。また,イギリスも秘密諜報部隊を組織し,ドイツの暗号電文を解読していました。

もっとも,ドイツもしたたかなもので中立国スウェーデンを介した通信ルートを確立し,在米大使館との連絡に使ったようです。このこともあり,第2次大戦中もイギリスはスウェーデン関連の通信をマークしていたのではないかと思います。 

ただ,日本の長波送信施設の建設は,ナウエンが1906年,ヴァルベリが1924年であることを考えると,後発です。また,すでに完成時には短波の技術が進歩しており,短波だと数Wの出力でも通信が可能であることから長波による対欧通信はすぐに短波にとって代わられることになります。依佐美でも1936年には短波局が完成し,主として海外への通信はこの短波局が行うことになります。

一方,潜水艦への通信には長波が有効であることに気がついた日本海軍が太平洋戦争開戦の1941年に接収し,以後,潜水艦との通信に利用されることとなります。長波は海面下数mから10数mに届くらしいです。

1941年12月2日,択捉島単冠(ひとかっぷ)湾を進発し,ハワイ真珠湾に向かっていた艦船は "ニイタカヤマノボレ一二〇八" の電文を受信します。 ハワイ真珠湾の米太平洋艦隊基地を攻撃すべく,ハワイへ向けて進撃していましたが,もし日米交渉がまとまり,開戦回避となった場合は日本へ帰航することとなっていました。

新高山とは台湾の玉山(ユイシャン,海抜3952m)のことで,当時,日本の最高峰は富士山ではなく,この山でした。この電文は日米交渉を打ち切り,対米英戦を12月8日に開始する,と言うことを意味していました....。

この電文を発信したのはこの依佐美送信所とも長崎の針生送信所とも千葉の船橋送信所とも,諸説あり,まだどこの送信所から発信されたのか,定説はありません。ただ,長波に関して言えば,この送信所しかなく,長波では依佐美送信所から発信されたのは間違いなく,伊号潜水艦で受信した記録も残っています。

当時,ハワイ攻撃に向かっていたのは南雲忠一中将麾下の空母6隻を擁した機動部隊でしたが,先行して潜水艦5隻がハワイに向かっていました。潜水艦は特殊潜航艇を搭載し,湾内艦船に対する特攻を計画していました。当然,事前の計画発覚を恐れて各艦船は無線封止となっていて,一切の電波の発信を禁じられています。日本からの通信は水上艦艇については短波でよかったと思いますが,潜水艦に関しては長波によらざるを得ません。平時なら浮上して短波のアンテナを上げ,短波で受信することもできたとは思いますが,作戦秘匿のため,潜航中,海面近くまで浮上して艦尾から数kmのアンテナを流して本土からの信号を受信することにしていたのだと思います。

戦後,役目を終えた送信所は解体の運命にありましたが,マッカーサーのGHQが接収し,今度は米海軍の長波送信設備として利用されることとなります。冷戦下のアメリカの世界戦略の一環として,潜水艦への通信施設として利用されることとなります。 

1962年10月,キューバ危機に際して,キューバにソ連の核ミサイル基地が建設されているのを知ったケネディ大統領は海上封鎖を指示し,キューバに向かうソビエト艦船の臨検を始めます。キューバ軍も総動員となり,米軍の上陸に備えることとなります。

このとき,局地的な戦闘が始まれば大変なことになったと思います。 実際,米政府内ではカストロ打倒のため上陸作戦を強硬に主張する軍幹部がおり,紛争が始まればもう止められない状況になったと思います。また,もし米軍が上陸することとなればソ連が欧州で行動を起こし,ベルリンに攻撃を開始することは大いに予想されることでした。地上兵力ではワルシャワ条約機構軍がNATO軍を圧倒していましたから,戦術核兵器で応酬することは事前に想定されており,そうなれば第3次世界大戦が勃発する事態でした。もちろん,キューバ海域でも地上,水上,航空戦力ともすべて戦術核を持っていましたから,こちらで偶発的な核戦争が始まれば世界に波及することは必至でした。

戦術核兵器は目前の水上艦艇や地上軍を破壊するための兵器で,1発で15キロトンくらいの小型核兵器のことを指しますが,小型とは言っても広島の原爆がだいたいこのクラスでしたから,1発だけでも大変な損害を与えることは明らかです。報復が報復を呼び,第3次世界大戦を招くことは容易に予想できます。

ここからは私の想像ですが.....

キューバ危機ではこの基地に勤務する米軍人達は異常な緊張感に包まれていたと思います。 

キューバや欧州で核戦争が始まった場合,全世界に展開した米原潜に原爆を搭載したポラリスミサイルを発射する指令が飛んでいたはずです。この依佐美送信所からも発信されていたかもしれません。 その後の世界は.......私も読みましたが,ネヴィル・シュート原作の "渚にて" を読めば大体想像がつきますね....。ご一読をおすすめします。

幸いにして,どうもソ連の指導者フルシチョフは最初から妥協するつもりだったとの最近の研究がありますが,フルシチョフが妥協して危機は回避されます。 私が生まれる前の出来事ですが,本当によかったと思います。

このような戦争遺産という側面もあるのは事実ですが,人類の貴重な科学技術の進歩の記録でもあり,2007年には機械学会の産業遺産に認定されていますし,2009年には米電気学会のIEEEのマイルストーン賞を受賞しています。同年,経済産業省の近代化遺産にも指定されています。2012年に記念館がリニューアルオープンしました。

子供を連れて,見に行ってきました。

2号鉄塔.jpg 2号鉄塔

長波のアンテナは高さ250mの4本の鉄塔を2列並べ,逆L型アンテナを構成して送信していました。8本の鉄塔が夕日に照らされる姿はとても美しかったのを覚えています。残念ながら,1本くらい,元の状態で保存して欲しかったと思いますが,何とか2号鉄塔だけ,下部を少しモニュメント的に保存されています。一見,きれいな鉄塔ですが,近くで見ると重厚なリベット構造で,やはり戦前の構造物であることがわかります。

かつての送信設備を格納した送信所の建屋を模擬して記念館が建てられています。

中は驚き! ドイツ・テレフンケンやアルゲマイネ(AEG)社製のオリジナルの高周波発電機を中心とした設備がきれいな状態で保存・展示されています。アルゲマイネはEC40やDC11でよく知られていますね。

励磁機+補助発電機.jpg 直流補助発電機(手前)と直流電動機(奥)

主直流電動機+高周波発電機.jpg 直流電動機(手前)と高周波発電機(奥) 

まだ大型送信管がない時代なので,高周波の発電機をモータで回すシステムとなっています。高周波発電機はGEのアレキサンダーソンが発明したアレキサンダーソンタイプです。スウェーデンのヴァルベリ送信所に設置されたものと同じ形式ですが,アレキサンダーソンはスウェーデン人だったようで,故国に恩返しをしたわけですね。米国に移民後,高周波発電機を発明したようです。のちに機械式TVの開発もしています。

そういえば,TBSの "世界遺産" でもやっていましたがスウェーデンのヴァルベリ送信所は民間に開放され,市民が電報を打つことができたようです。 ものすごく高価だったようですが,米国へ移民した親戚に連絡するのに重宝がられたようです。アレキサンダーソンも故国の親戚からの電報を受け取ったことでしょう。

誘導電動機で直流発電機を回し,その出力で高周波発電機を制御しています。ワードレオナード式といい,インバータがない時代の回転数制御としてよく用いられた方式です。つい最近までエレベータなどの制御にもよく用いられました。ここでは回転数を1400rpm一定にするように制御しました。高周波発電機の出力周波数は5.814kHzですが,これを三逓倍して17.442kHzを発信しました。空中線電力は700kWと大規模なものです。 

直流補助発電機は直流発電機の界磁を励磁するための発電機で,奥の巨大な直流電動機を励磁します。その左にある直流電動機を回転させます。

高周波チョークコイル.jpg 高周波チョークコイル

驚いたことにこのコイルはリッツ線で巻かれています。高周波だと表皮効果で電流が電線の表面近傍しか流れなくなり,単線の電線では表面積が稼げないので,細い電線を絹で絶縁し,多数束ねたリッツ線が使われますが,このような大電力の送信所でも使われているのは知りませんでした。枠が木でできているのは導電性の材料が使えないためです。 

對歐無線通信発祥地.jpg 對歐通信発祥地の碑(1989年建立)

左にあるのは米IEEEのマイルストーン賞記念碑です。同賞は新幹線0系も受賞しています。 

まわりはフローラルガーデンよさみとして美しい公園に整備され,花と緑が美しく,出店もあるし,素敵なカフェもあり,たくさんの子供連れで賑わっていました。 残念ながらミニSLもあるのですが,この日は運転日じゃなく,次は2月1日とのことです。子連れで訪れても十分楽しめるところです。

実は,ここは19年前に一度,訪れています。1993年に米軍からの送信が停止され,翌年,日本に返還されていましたが,当時,用途がないため,解体,撤去の方針が報道されていました。あまり天気のよくない日だったのと,フィルムで撮影しているので退色がひどいですが,ご覧下さい。

依佐美送信所.jpg 遠景(1996.8.17 撮影)

遠くから見るとこんな感じで,8本の鉄塔がそびえ立っていました。結構住宅地の真ん中に立っている,という印象がしますね。中波の鉄塔と違って各鉄塔のてっぺんをつなぐようにアンテナ線が張られています。

依佐美送信所1.jpg 鉄塔

依佐美送信所2.jpg 上部はこんな感じでした。

依佐美送信所3.jpg 基部。

依佐美送信所4.jpg 本館建屋

もちろん,立ち入り禁止でしたが,門の所から守衛さんに伺ったら撮影してよい,とのことだったので,写真を撮らせていただきました。 

愛知県の建築家竹内芳太郎の設計による逓信省建築様式の優美な建物です。どこか参謀本部(→東部方面総監部)の建物に似ている気がしてなりませんけど。 幸い,参謀本部は大講堂と正面玄関だけ移設されて保存されましたが,こちらは解体されてしまったのが残念でなりません。参謀本部もやはり全体を残すべきだったと思いますけどね。

また,この建物は事務所で,奥に送信機などを格納した送信所の建物があったのですが,撮影してません。とても残念です。 

本館と送信所建屋,鉄塔が残っていれば,世界遺産間違いなしだったと思います。しかし,これだけの設備が残っただけでも素晴らしく,後世に残る遺産となるでしょう。 


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ぼち吉鉄道

おはようございます。
長波って全く知りませんでした。
ラジオの短波放送を、祖父が聞いていたのを記憶しているくらいですね。
仕事がら、発電機には興味があります。
直流発電機などは、聞いただけで見たことないですから。
なんせ、半導体時代なので構成のよくわかるハード回路ってなんか楽しいですね。
でも行くには少し遠いかなぁ…。
by ぼち吉鉄道 (2015-01-14 08:16) 

iruchan

どうもコメントありがとうございます。

長波は30~300kHz以下の周波数で,変な区切りなのは波長で決められているためです。波長だと1km~10kmの範囲です。潜水艦からは1波長くらいの電線を流したと思います。

電離層に反射されるので,遠くまで飛びます。

驚いたことに欧州やロシアでは長波のラジオ放送があり,日本でも受信できます。

真空管がないので発振回路を使うことができず,高周波発電機を使っています。

ここは三相60Hz,3300Vを受電し,誘導電動機で直流発電機を回し,その直流で直流直巻電動機を回して高周波発電機を回していました。

高周波発電機は多極の発電機で,60極とか,ものすごく多い数の局数を持っていたはずです。依佐美のも調べればわかりますが現時点でわからないので書きませんでした。
by iruchan (2015-01-14 21:44) 

sabutaka

知られてないが長波鉄塔間に懸架された欧州向けの大短波空中線が3個あった。型式はSFR型双方向性で他に類例ない高さ150m低角(3°~8°)発射性のものがあった(参考:日本海軍の作戦に使用は無線電信局が横須賀海軍で制御、無線送信所が依佐美で長波は現用予備の交互と短波は20KW3台が、無線受信所は長波・短波は小野で海軍は駐在した)
by sabutaka (2015-03-13 19:28) 

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