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北海道のローカル線 1987 [紀行]

2011年11月5日の日記

先月末に北海道へ行ってきました。石北本線の臨時貨物を撮りに行くためでした。天気もよく,いかにも北海道らしい,大自然の中を走る貨物列車の写真が撮れたと思います。

しばらく余韻が続いているので,昔の写真を紹介したいと思います。国鉄時代末期の1987年,北海道に出かけたときの記録です。当時,猛烈と言っていいくらいの廃止ラッシュで,全国でローカル線が廃止となり,北海道も例外ではありませんでした。いや,例外でないと言うより民営化後の新会社の経営を少しでも楽にするため,どんどん廃止した,と言うのが正しいでしょう。

大学に受かって,ようやく時間ができて北海道へ行きました。といって,お金がないので飛行機なんてとても乗れるものじゃなく,いつも特急「白鳥」でした....。

北陸から延々12時間近く座席に座り続けてようやく日付が変わる頃,青森駅の長いホームにたどり着きます。そこから猛ダッシュで青函1便に乗り継ぎます。多客期は貨物船改造の石狩丸か檜山丸を使った臨時便が続行で出ていました。

ようやく,これから4時間ほどの間,睡眠時間です。ゴロ寝できるカーペット席が人気でしたが,混んでくると結構,他の人が気になるし,話し込んでいるグループもあったりして,1回で懲りた記憶があります。2回目はちゃんと寝台を取って寝ていきました。青函連絡船の寝台はゆったりしている上,料金も2,400円と安く,とても快適でした。

石狩丸に乗ったときは座席で寝ていました。新幹線0系のシートを使った座席はリクライニングして,結構快適でした。

さて,朝4:00すぎに函館に着くと,すぐに「北斗」1号に乗り換えます。山線経由の特急「北海」1号が'86年1月に廃止になっていますので,「北斗」が続行運転となり,2本ホームに並んでいました。

長万部で下車し,瀬棚線に乗ります。本来,瀬棚線は国縫からですが,ほとんどの列車は長万部発でした。

【瀬棚線】 国縫~瀬棚 48.4km '87.3.16 廃止

瀬棚線1.jpg 瀬棚線

瀬棚線.jpg キハ24が珍しいです

もともと数が少ない,気動車の近郊形キハ45系の中で,北海道などの極寒地用として作られた両運のキハ24が珍しかったです。全部で10両しか作られていません。帰りに乗った列車は3両編成だったので,わりに乗っていた路線だったと思いますが,第2次特定地方交通線に指定され,廃止されました。瀬棚駅から歩いて,三本杉岩を見に行ったのを覚えています。

この日は札幌のユースホステルに泊まりました。翌日から,幌内線や歌志内線,上砂川支線を乗りにいきました。

【幌内線】 岩見沢~幾春別 18.1km '87.7.13廃止

幾春別駅1.jpg 雪に埋もれる幾春別駅

【歌志内線】 砂川~歌志内 14.5km '88.4.25廃止

歌志内駅.jpg 歌志内駅にて。

砂川から2つ,ローカル線が出ていて,もう1本は函館本線の枝線で,通称,上砂川支線と呼ばれていました。こちらも'94.5.16に廃止されています。本来なら,↑ の写真でもわかるように,乗客数は上砂川支線の方が少なく,先にこちらが廃止されてもおかしくなかったのですが,こちらは線籍上は函館本線の扱いで,廃止する手続きが面倒だったのだと思います。同様の理由で,道南の松前線の場合も,隣接する江差線より乗客数が多かったのですが,江差線は木古内まで青函トンネルの連絡線として使用されるため,木古内~江差間を廃止する手続きが部分廃止となるので見送られ,先に松前線が廃止('88.2.1)されたと言う話を聞きます。先月,北海道へ行ったとき,北海道新幹線の新函館開業にともない,道がこの区間のバス転換を提案する,と言うことが報道されていました。

この後,道東へ回り,士幌線を乗りつぶしました。

【士幌線】 帯広 ~十勝三股 78.3km(糠平~十勝三股は代行バス)

この線は少し不思議な線で,すでに'78.12.25には途中の糠平~十勝三股間(18.6km)がバスに転換されていて,'87.3.23に廃止になったのは帯広~糠平間59.1kmです。有名なタウシュベツ橋梁が小雨期間になるとダム湖から顔を見せますので,一度見に行きたいと考えています。ただ,どうも橋までの林道が一般車通行禁止になっているらしく,延々4km近い道を徒歩で行かないといけないようです。

士幌線1.jpg 糠平にて

士幌線2.jpg バスは十勝三股行き代行バス

残念ながら,代行バスには乗りませんでした。乗っておけばよかったと思います。最近,NHKアーカイブスで,この区間の放送がありました。バス代行をしていた時代ですら,ほとんど乗る人はいなかったようです。いまは糠平付近で線路を再敷設し,観光用にトロッコが運転されているようです。

士幌線3.jpg 結構,有名な看板(糠平~幌加)

糠平駅から北へは線路は延びていても列車は走りません。

【羽幌線】 留萠~幌延 141.1km '87.3.30廃止

国鉄時代末期に,NHK特集で放送されていたので,ぜひ行きたいと思っていました。日本海側のため,雪が水分を含んで重く,除雪に大変苦労している,と言う内容でした。こういった苦労を重ねて,輸送が保たれていました。

羽幌線1.jpg 残念ながらキハ40でした

羽幌線.jpg 

その後,吉村昭の "羆嵐" を読んでゾッとしました。北海道最悪の死者7名を出した三毛別羆事件(1915年12月)の舞台ともなった苫前を走っており,本に出てくる鬼鹿,力昼などの駅もあります。苫前と言っても,事件現場はひとつ山を隔てた山奥ですけどね。いまは風力発電で有名な苫前町ですが,このような悲惨な事件があったとは知りませんでした。実は,この本を読んでいたので,先月,常紋峠へ行ったときはかなりビビっていました。

稚内へ行って,宗谷岬やコンクリートのドームになっている稚泊航路用の桟橋(たまにCMで使われたりしますね)を見に行きました。泊まった旅館のにしんがおいしかったのを覚えています。

帰りは天北線(音威子府~南稚内 148.9km '89.5.1廃止)経由。まだ急行が運転されていました。寝台車を連結していますが,昼行列車で,文字通り,昼寝もできました。天北線内はDE10による運転でした。

急行天北(美深).jpg 急行「天北」(美深)

急行天北.jpg 急行「宗谷」上りはヒルネでした

急行礼文.jpg 急行「礼文」(豊富)

急行「礼文」は新鋭のキハ54形の急行仕様車で運転され,新幹線0系のリクライニングシートを転用して快適でした。ただ,一般車と車体は同じなので,窓とシートがうまく合わず,座る場所を選ばないと外がよく見えない,と言う車両でした。当時は多かったですね。宗谷本線高速化事業の完成に伴い,2000年3月に「スーパー宗谷」に吸収される形で廃止になりました。しかし,一時的に乗客は増えたものの,現在,かつての急行3往復時代の方が特急になってからより乗客が多かったようで,高速化事業がなんだったのか,今後の他の線の高速化事業にも影響しそうです。

【湧網線】 中湧別~網走 89.8km '87.3.20廃止

網走からキハ22に乗って中湧別へ。結氷したサロマ湖がとてもきれいでした。サンゴ草で有名な能取湖畔も走るので,廃止記念のオレンジカードはサンゴ草とキハ22の組合せでした。

何か,去年,能取湖に導水事業をしたらしく,湖水の塩分が低下し,今年,サンゴ草がほとんど生えず,地元でも問題になっているそうです。 

湧網線.jpg 湧網線列車

湧網線は終点の中湧別からオホーツク海へ向かって湧別まで枝線が出ていました。1日2往復しか運転されない列車に乗っておけばよかったと後悔しています。その日は紋別のユースに泊まりました。残念ながら,この年は流氷の少ない年で,まったく見られなかったのが残念です。この後,名寄本線を乗りつぶしました。本線なのに,'89.5.1に廃止されています。また,このあたりには興浜南線,北線がありましたが,一足先に廃止されてしまっていました(南線'85.7.15,北線7.1廃止)。

【三菱石炭鉱業大夕張鉄道線】 清水沢~南大夕張間7.6km  '87.7.22廃止

北海道最後の私鉄でもあった南大夕張へぜひ行ってみたいと思っていました。実はこのときの旅行はここへ行くのが最大の目的でした。DD13牽引の客車列車がとても珍しかったです。DD13は当然,SGを積んでいませんから,車内の暖房はストーブでした。

三菱南大夕張1.jpg

三菱南大夕張.jpg いまは博物館になっています

南大夕張駅.jpg 鄙びた木造駅舎

この年,ほかにも標津線(標茶~中標津~根室標津~厚床 116.9km '89.4.30廃止)や深名線(深川~名寄 121.8km '95.9.4廃止)に乗って帰りました。深名線は1次特定地交線に選定されていましたが,平行している道路の整備が遅れている,と言う理由で廃止が見送られていました。
もう少し早いと, 胆振線(伊達紋別~倶知安 83.0km '86.11.1廃止)や渚滑線(渚滑~北見滝ノ上 34.3km '85.4.1廃止)なんかに乗れましたが,少し遅かったです。また,まだデジカメなんてない時代なので,せっかく乗ったのに,あまり写真を撮っていません。フィルムも高かったですからね。もう追憶の彼方でしかないローカル線を記憶でしか思い出せないのは残念です。

 

【青函連絡船の思い出】

 この後,連絡船が廃止になる前にもう一度,行きました。函館まで4時間弱,という時間は長いようで短くもあり,いまの青函トンネル経由はちょっと味気ないです。ただ,何か洞爺丸事故や石川さゆりの歌のせいもあるのか,青函連絡船は悲しいイメージが強く,最後まで乗るたびに落ち込みました。その点,讃岐うどん食べながら瀬戸の島々を眺められる宇高連絡船の方が明るくてよかった,と言う印象があります。

十和田丸.jpg 十和田丸(青森にて)

羊蹄丸.jpg 羊蹄丸(函館・八幡坂から) 

石狩丸.jpg 貨物船改造の石狩丸(函館)

石狩丸線内.jpg 石狩丸船内。0系シートですね。

寝台.jpg 寝台(摩周丸)

空知丸.jpg 空知丸(貨物専用)

函館まで4時間近くかかるので,反対側を行く連絡船が撮影できました。あまり知られていない,貨物専用の空知丸です。貨物が減って,石狩丸,檜山丸が改造され,2等船室のみの多客期の臨時便として活躍しました。

 


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コメント 2

風旅記

こんにちは。
北海道の廃止されてしまった数々のローカル線、私の世代はどうにも、それらを旅することは叶わなかったのですが、お写真で拝見しますと、一度は訪ねてみたかったとの思いが強まります。
貴重なお写真、楽しませて頂きました。
一つ一つの路線は、車社会になり人口も減って、役割を終えたとしか言えないのだと思います。中には石炭などの貨物輸送を目論んで建設したものの、鉄道よりも先に炭鉱や荷主となる一次産業が衰退してしまったケースもありました。
しかし、ローカル線には、そこにしかない情感があると感じています。
クルーズトレインも良いですが、ローカル線にも乗る楽しみ、車窓を眺める時間の豊かさがあります。
もっと旅の形が多様化して、ローカル線にスポットライトが当たることを願うばかりです。
今後とも、宜しくお願い致します。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/?pc
by 風旅記 (2016-03-08 15:43) 

iruchan

風旅記さん,どうもコメントありがとうございます。

おっしゃるとおり,私が行ったときですでに北海道のローカル線は役割を終えていたところがほとんどでした。

残念ながら,岩内線や渚滑線,美幸線,興浜南北線,広尾線など,行けなかったところもたくさんあり,本当に残念に思っています。

ローカル線の旅は本当にいいと思います。人生の中で貴重な体験となっています。

こちらこそよろしくお願いします。
by iruchan (2016-03-08 20:06) 

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